“光の庭”のうたた寝 =035=
❝ =第一章第3節_05= 五原脱出 ❝
“北帰”が話し合われた三日後の晩、 大石の草庵には、昨夜の参集者以外に七人の将が集まっていた。 各中隊の統率者である。 大尉と階位を与えられている。 五十名を率いる能力があると大石の懐刀の時が判断し、与えているのである。 みな若かった。 大石・軍事統師を信奉し、戦い抜いてきた勇者たちである。 耶律楚詞は大石の右側に座し 両名を中核に円座である。 梁山泊の宋江のとの密約に向かっている耶律抹只の子である耶律康阮と康這兄弟、大石子飼いである欽宇阮と苞力強の四名は将軍の器である。 耶律巖、耶律化哥に耶律磨魯古も若き将である。
苞力強はモンゴル族であり、彼の父親は有力な部族の長であった。 欽宇阮は大石に代々仕えてきた契丹族の正嗣である。 抹只と康阮の父親・耶律抹只の字は留隠。 遼帝国の異能の官吏であった。 文人である。 若き大石を導いた一人でもある。 天祚帝に苦言を呈し、宋軍が北進すれば自ら戦場に赴き宋軍を迎え撃ち、撃破している。 燕雲十六州の大同軍節度使に転じていた折、霜害のために食糧が不作だった年の事である。 民衆に税を納めるさい、例年は一斗の粟を5銭に換算して納めていたものを6銭で換算して納めさせている。 民衆の苦難を助ける独断で遼帝国を支えたと言う。
大石の草庵には、円座で話し合う若き諸将の他に石隻也と石チムギ、曹舜・厳劉兄弟、何蕎に何亨理も同室している。ただ 前夜と異なるのは畢厳劉と何亨理が円座から離れた場所で楽器を奏でている。 三味線のようなラワープを厳劉が操り、亨理がタンブリンであろうダップを指の腹で打っている。 陽気な宴席を演じているのだ。 石隻也とチムギたちの談笑がその音楽に和していた。 おもむろに 大石が口を開いた。
「我々はこの地を離れて、 他所で集結を計る。 その候補地は、蒙古草原にある砦。 砦は現在使われてはいない。遼帝国の交易所であった。 陰山山脈の北 ゴビ砂漠の北辺にある。 この地は間もなく雪に閉ざされた酷寒の地となろう。 予定する砦は北庭都護府・可敦城。 されど、遼の混乱が長く、廃墟に成っているであろう。 また、この時期 遊牧の民は近くにはおるまい」
「この五原を逃散して、この地に集結して身を隠す。 この砦を我々の雄図の出発が牙城にするのに 他に求めるべき場所はない・・・」 大石は柔和な顔を若者たちに注ぎながら話を継ぐ。 ウイグルの民族音楽に大石の声が柔らかく絡み付き、若者たちの目が輝いている。 全員が大石の話に耳を傾けている。
「二百有余の兵士が酷寒の地で営為しなければならぬこと。 このことをまず念頭に置いて、この場所を離れることの危険を肝に命じて、明日からの行動を起こしてもらいたい」
「北帰の行動に齟齬が生じぬように隊を分ける。 今朝 日が昇る前に時と二十五名の勇者が先遣隊として出立した。 残る有志を大きく四隊に分けるのだが、無論、各隊の任務は異なる。 しかし、この地を離れるまでは全員が一丸と成って20日分の兵量と予備の兵馬、弓矢を密かに集積してもらいたい。」
「統帥さま、天祚帝の兵の中に われ等と、いや 統帥について行こうとする将兵が、更に見受けられますが」
「ここに参集した者が信を置ける将兵なら構わぬが、北帰が漏れぬようにせねば成らぬ。 先日話したことだが、阿骨打の動向が計画の基軸になる。 従って、時が偵察に出たのだが苞力強は先遣隊の援軍として働いてもらう。 ついては、耶律化哥に陰山南麓の適地に支援基地を造営してもらう。 苞力強と耶律巖は分散する各隊の連絡員として・・・・・・」
「して、我等は・・・・・・」
「欽宇阮は西夏に向かって西夏の宰相セデキ・ウルフ殿の援助貰い受ける。 耶律康阮と康這兄弟はオルドスの地で宋と金の動向を探りつつ、天祚帝の亡命行動を探る。 耶律磨魯古は兵糧の管理と運搬に汗と知恵を出してもらう。」
「各隊の人員と行動を起こす吉日はきめておられますか?」と 欽宇阮が聞き、大石統帥が答えていく。
「そこで、一部の隊が姿を隠そうが、残る諸隊の隊員には日ごろの行動を厳守し 天祚帝の警備兵に気付かれてはならぬ。 従って 各隊の要員は後日に伝えるが、全員がこのことを厳守しなければ成らない。 また、時がもたらす情報次第なのだが 楚詞に隻也にも情報集めに燕京に向かってもらわねばならなくなろう・・・・・」