“光の庭”のうたた寝 =028=
❝ =第一章第2節_14= 陰山・五原 ❞
陰山の五原、天祚帝が仮寓する王庭の一隅に構えた吾妻屋の庭先、柔らかい秋の陽光が若やいだ雰囲気を包んでいる。 先ほど、石隻也が駆け込んで来てき耶律楚詞の帰来を告げていた。 耶律大石はわが子を出迎えるような面持ちで待っていた。 楚詞は耶律時と肩を並べて庭先に現れた。 その後ろにウイグル衣装の若き女性と四名の若者がそれぞれに彼らの馬であろう2頭を牽いている。 3頭を牽く者もいた。 女性と楚詞が使用した馬を勘案すれば、若者がそれぞれの替え馬を荷物運搬用に牽いて来たのであろう。 その様子に、大石はすべてを理解した。 そして、庭先に近づいて来るウイグルの若き女性に・・・・ 「おおー、これは、お美しい 石抹言殿がご息女ですね・・・・安禄明殿から文がありました」と声を掛けた。
「お会いできて嬉しゅうございます。 耶律大石様、軍事統師さまですね。 父よりかねがね伺っております。 このたび、晋王子さま、失礼申しました、楚詞さまに無理を願って参りました。 楚詞さまには帝都よりの長き道中、大変お世話に成りました。 また、今日から 同道いたしましたあれら四名もお世話にならなければなりません。 ご無理を承知で参りました・・・・・」
「ここは、ご覧のような砦。 よろしければいつまでも、して ご尊父はご承知のことで・・・・ こちらから、文を送りましょうかな・・・・」
「父は、私がここに参ったことは承知しているでしょう。 セデキ様を通じて兄が知らせていると思います。 旅立つ手配は義兄のセデキ様が差配してくだされました。 西夏の中興府(銀川市)に旅立つ折、『叶えば、晋王子に付いて何処までも行け』との父の伝言を伝えてくれました。」 凛として、答える チムギに大石は好感を持った。 チムギは淀みなく続ける。
「また、中興府の出立の時に、四名の武者を楽士として同行させ、私が歌わぬ歌姫と成れば、楚詞さまには迷惑が及ぶまいとのセデキ・ウルフ殿のご配慮がございました。」
「そうでしたか、 安禄明から聞き知っておったが、儂にはソグドの民、ウイグルの民の繋がりは、私の想像以上のように思えてきます、羨ましい。 また、西夏の宰相セデキ・ウルフ殿にはかねがねお会いしたいと考えておりました」
「セデキ・ウルフさまは父抹言をウイグルの長と尊び、何かと交流がありました。 姉のパチグルが嫁いで親子の縁しを結ぶ前からの関係で、異邦に定着する私たちの民族的な互恵の知恵が遠く離れているにもかかわらず、濃密な相互関係を生んでいるのでございましょう。 もともとは、兄の抹胡呂が義弟である安禄明さまに私を女真族から遠ざける策を相談された結果が生んだ旅立ちであり、 私が帝都から遠く離れていることが両親を安心させることなのです。 従いまして、無理を申して楚詞さまに西夏まで案内していただいたのですが・・・・」
「いや、委細は禄明どのから、逐一 文にて知っていました。 よく参られた。 また、ご尊父のお考えも知りましたがゆえに、何の遠慮が要りましょう。 だが、ここは不自由な砦であるとお考えいただこう」と 再び 念を押した大石に石チムギが頷いている。 二人は初対面とは思えぬ談笑を重ねる傍で 耶律楚詞を中心に耶律時・石隻也に四人の若者が笑い声をあげている。 天空蒼く、風はない。 だがしかし、耶律大石の胸中に黒き雲が去来していた。 都は・・・・・その頃 燕京は金軍に包囲され、北遼の第四代君主・英宗は内訌によって家臣たちに殺害されていたのだ。 安禄明が伝書鳩に託した通信文が昨日届いていた。 天空から舞い降りた文には、耶律定秦王は帝都・南京(燕京)から雲中に向かっている模様とも追記してあった。
チムギ一行をむかえた二週間後の十月の中旬、燕京・安禄明からの伝文が届いた。 開いた文面には ただ一行【金の阿骨打が長春を離れた。 入京のためと思われる。 軍団を率いての南進であろう。 阿骨打の弟・呉乞買は燕雲十六州の制圧のために、耶律余睹を活用しているもよう。】と走り書きの墨痕が浮かんでいる。 耶律大石の行動は早い、直ちに 耶律時に王庭内の軍営の動きを確認させ、石隻也に将兵の状況を探らせていた。 耶律楚詞にチムギ一行を呼ばせ、諸事の命を発した後 王庭の奥にある宮中に歩み出している。 日が陰り始めていた。