“光の庭”のうたた寝 =018=
❝ =第一章第2節_05= 陰山・五原 ❞
耶律楚詞が南京(燕京)から戻った年、1124年の晩春 久しぶりに 耶律大石は皇太子・秦王殿下に伺候した。 太陽が頭上に在り、温かい日和であった。 耶律尚将軍の案内で中門から奥に進み、正面建屋から左手への書院風の建物の階を登り、回廊の上に上がった。 この回廊で中央の本殿と東端の寝殿建屋を結んでいる。 建物は日干し煉瓦を多用した木造である。 高床である。 因みに、日干し煉瓦で腰壁を築き、木材で全面床を張り、その床の下部空間に煙を巡らせるオンドル式の床暖房が施されている。 酷寒の折にはマイナス40度になる処なのだ。 使用する部屋の背面に焚口が設けられている。 五原の東方30里の地点にある包頭村落近郊には黒い燃える石=石炭=が産出するのである。
書院棟を西面には生垣で囲まれた吾妻屋が二っ三っ散在する。 回廊からは確認できないが、独立する東屋の背後に奥の用を務める所管人や宮人の宿舎があるのであろう。 官人や武人は中門の外に住まいしていた。 大石は蕭徳妃皇太后は書院棟と離れて建てられている大きな吾妻屋に居住しているのであろうと思った。 遼王朝の皇女にはふさわしくない構えである。 寝床は別として床暖房が施されているとは思えない。 大石の脳裏に、国を追われて仮寓の生活を余儀なくされている皇后の心痛がふとよぎった。 大石は打開策を急がねばならないと心中で呟きつつ、秦王耶律定の部屋の前で大きく息を吸い込み、入室を願うた。
秦王太子が居住する書院部屋に上がると 太子は暗い部屋の中で鎮座していた。 窓からの陽光が皇太子を浮かび上がらせ、蒼白の顔を物憂げに 薄暗い部屋の日が差さぬ空間に視線を漂わせていた。 大石には嫌な予感があった。 ここ、三日 毎日 同じ夢を見ていた。 天錫皇帝が現れ、その後 天錫の姿は天祚に変わる。 その天祚皇帝は薄暗い部屋で、皇后の閨の中で戯れている。 皇后蕭徳妃は裸体を天祚皇帝に弄ばれている。 再び 天祚が天錫に変わる。 そして 天錫皇帝が己が剣を抜いて、皇后の胸を・・・・ 蕭徳妃を突き裂く夢である。 久しぶりに皇太子を訪れようと思い立ち、拝謁するのはこの夢を否定する為かもしれなかった。
「秦王殿下 いかが なされた 」
「先日 父・みかど の勅命が降り、太子として南京(燕京)に去れ と・・・・」
この瞬間、俯いたまま、弱々しく答える秦王耶律定、いや 北遼皇太子耶律定の恐れを大石は理解した。幼い皇太子は従事から勅命が意味することを理解させられたのであろう。 また 摂政の蕭徳妃・皇太后が常日頃に教えている大石への信頼が唯一無二の取りうる行動であると理解し、昨夜は一人で孤独に耐え 待っていたのであろう。
下を向いたまま、視線を上げない北遼皇太子の蒼白の顔に涙が零れ落ちたのを大石は見た。 無言のまま時は過ぎた。 大石は声を掛けることなく踵を返した。 そして、大石は動揺することなく回廊を渡り、直ちに天祚皇帝に拝謁を願い出た。 だが、予想にたがわず許されなかった。 さらに、皇后の仮寓に伺候に伺うことをも許されなかった。 対応に出た耶律隆先が不許可の意を伝えに往復したのである。 その夜、大石は連夜の同じ夢を見た。 夢の中の皇后は いつも目を閉じている。
連日の再三再四に及ぶ拝謁要望が許可されたとの連絡があったのは、皇太子に拝謁した日から数えて六日目の午後であった。 大石は、急ぎ参内した。 老将軍耶律尚が知らせてくれていた秦王耶律定太子の南京行きは明日のはずである。 中門を抜け、砦のようなで潤いのない庭を悠然と渡り行き、宮廷内接見の間へと大石は歩んで行った。 光が差し込まない接見の間は薄暗く、中央を蝋燭の火が明るさを作り上げている。 諸将の姿は見えず、檀上の皇帝と左右の側近が待っていた。 耶律隆先が皇帝の右側に佇んでいる。 大石は長身をすっきりと正し、胸を張り、一礼の後 直ちに口を開いた。
「皇帝閣下に伺いたい。 皇太子・秦王殿下の降格、南京への太子として帰任、これは いかなることでありましょうか。」
皇帝は臆するように腰を引いた。 そして、虚勢を張るがごとく 大きく胸を張り、声高に言う。 「大石、汝たちは天錫を擁立し、北遼を建て あまつさえ「湘陰王」に余をと言わしめた。 この壇上に立つは太祖が遼王朝の七世 天祚。 秦王を帝都に向かわせるは 遼王朝再興の礎、今宵 鹿鳴の宴に参列するが良い 」
「なれば、蕭徳妃皇后陛下に秦王との同行が勅命を 発せられましたか 」
「皇后は同行叶わぬであろう、北遼の建国は 摂政の意志であった。 汝らは摂政皇后を助け、幼き秦王を皇太子としての冠位を持たせた上で、摂政を維持するため朝議を誘導した。 辞退する耶律淳に策を巡らし、無理やり 天錫帝として擁立した。」
虚勢を飾る生気なき声が大石の耳に至り来るようであった。 声はなお続いた。 「我が忠臣、宰相・李処温を誅殺した事は、汝の北遼への忠節。 遼王朝の永続の為ゆえであった事と認め、汝は不問に致した。 が、・・・・・」
「さらに 申しておこう、 昨夜 皇后は天錫・耶律淳の下に、余が送った。 余に服せず余の怒りをかったのじゃ 」
蒙古高原
大石の耳の中で“耶律淳の下に、余が送った”の低く鈍い声が幾重にも繰り返され反響し、大石を動揺させた。 ・・・・・≪蕭徳妃が皇帝・天祚に殺害される事件が起きていた≫・・・・・・・しかし、大石は表情も変えずに、「そのこと 皇太子 いや 秦王太子はご存知か?」 と皇帝に向かって設問した。
「いずれ 都にて耳にするであろう、太子には政つり事を知るには幼すぎる 」
天祚帝の返答は予測できたのであろうが、大石は 未だ治まらぬ動揺を隠す為であろうか 超然と言う、「皇帝閣下のお時間を頂き また 愚将へのお言葉 肝に銘じました。 今宵の鹿鳴の宴、参加せぬ事お許しを賜りたい」