“光の庭”のうたた寝 =013=
遼帝国の後嗣・耶律大石は、マニ教徒であった。広域な中華地帯で知る人ぞ知る若き貴人であった。 金軍が迫ると200人ほどの契丹部の重装騎兵を引き連れて外蒙古の廃墟・可敦城に避難した。 その地でモンゴル高原一帯の18部の王を招集して自立した。
「僧 聞くが、この様な場所で なにゆえ 」
「耶律大石軍事統師殿の一行かと。 これにて待つは 晋王・耶律敖盧斡が一子 耶律楚詞。 耶律大石様を ここにて お待ち申しておりました 」
二人の騎馬武者はその申し出に 慌てて下馬したが、不審が晴れぬ様子にて 剣の柄に手をやり「その証は・・・・」
「ここに 師の文がございます、 これを・・・・・」 と用意していたのであろう、懐から紫の袱紗を取り出し手渡した。 及び腰で受け取った武人は、袱紗を開き、納められている一通の封書を確認した。 しかし、不審げに口を開く。 「誰宛の書面か、あて名がない。 差出人は慧樹と記してあるが」
「慧樹大師が私を明かす証の文として下されしもの、誰宛の文ではございません。 軍事統師殿ならば慧樹大師が筆跡はご存じのはず。 自照を示す裏面の署名を一見されれば、すべてをお解りになりましょう」
武人は 裏面の確認もそこそこに、すばやく騎馬するや馬に鞭を当てて走り出している。 走り去る騎馬武者が起こした砂塵が舞い、疎らな樹林の間で消えずに漂っている。 一時の後 散在する樹林の奥に砂塵を突いて、白馬が疾走して来るのが見えた。 砂塵が再び舞い上がる。 一騎の白馬のみがぐんぐんと砂塵を背後に巻き上げて迫りくる。 騎者がだれなのかは伺えない、が 白馬を確認できるや、楚詞は飛翔していた。
「馬を借りる、ごめん」
僧のすばやい挙動を制することも叶わず、ただ 大きく目を開いたままで圧倒されていた武人は、我に返えるや、徒歩で しかし 急いで後を追った。 彼とて、身辺卑しからぬ旅の僧が人とは思えぬ飛翔で己の頭上を越え、手にする手綱を何時奪ったのか判らぬ間に馬上からの詫びに一時の失念をしていたのであろう。 走り去る楚詞を追う行動は早い。
耶律大石は、疾走して来る伝令のただならぬ様子に一人先行して馬を走らせてきた。 伝令との距離が縮まり、伝令が掲げ持つ紫の房に気付くと白馬を止めて待った。 時を置かずして、馬上で紫の袱紗を受け取った大石は、中の封書を確認し 直ちに、裏を覗った大石は一呼吸も入れずに『時 あとは頼む』と大声の指令を後方にいる腹心の時に発し、愛馬に鞭を当てるも、もどがしいげに一目散に馬を走らせていた。 彼が見た封書の裏には、【慧樹】と墨痕鮮やかに書かれていた。 大石の心が躍ったのである。
楚詞は大きく迫りくる白馬が≪大石様だ≫と確認できるや、手綱を絞り 引き、下馬した。 そして、片膝を地面に付けた。 その姿勢で髭が生えそろわぬ顔を上げ、白馬の主から目を離さずに、耶律大石統帥を待った。 そして、不動のその姿勢に、やや歩みを落とした馬上から凛とした声が飛んできた。
「晋王が長子 楚詞王子でござろう 立たれよ 立たれよ」 その声が届かぬかの瞬間に、楚詞の日に焼けた秀麗な顔に一条の涙が落ちた。
葦原ー1
身の丈を越す葦原の海。 ゴビ砂漠が葦原の北にあるのだが、近くまで 陰山の黒き山肌が迫り、葦原はその麓まで続くようであった。 馬上からは四方が見渡せ、穏やかではあるが寒風がそよぐ。 厳冬になれば、マイナス40度近くの厳しい原野に変貌するこの地。 厳冬までには時間があるのだが、視界を覆う四辺の冬枯れした葦原は寒々しさが増している。 乾燥地帯であるこの地では雪の降ることは少なく、降れば消えずに残る。 耶律大石が引率する牛車の轍は乾いた地表に支えられ、二頭の牛が曳くのを容易にしていた。 その牛車を取り囲むように騎馬武者三十数名が黄河を離れ北上していた。 先ほどまで黄河が気ままに奔走した残跡であろう湖面が散在する地帯を抜けて葦原の海の北側に向かって行くのである。 南に馬の鼻を向ければ 蛇行する黄河の河原が見える。 その対岸がオルドスである。
耶律時は騎馬武者三十数名と共に牛車を護衛しつつ、耶律大石の後を追っていた。 彼の背には美しい指物旗が垂直に掲げられている。 北遼・軍事統師の印旗である。 穂先が純白の毛で飾られている。 それは あたかも葦原の海に浮ぶ小舟の存在を誇示するようである。 確かに、北遼軍事統師・耶律大石の来訪を上天に誇示するがごとく 葦原の海を北に向かって進んでいた。 耶律大石は白馬に跨り、一隊を先導していく。 その傍には僧衣姿の耶律楚詞が寄り添うように轡を並べて進んでいた。 彼の顔は晴れ晴れとし、目には輝きがあった。 大石は時折、温かい目を楚詞に注ぐも、顔に憂いが浮かぶこともあった。 時折 吹く風が二人の会話を四散した。 耶律時には、二人の笑い声のみ聞こえてきた。
❝ =第一章第1節_13= 遼王朝崩落 ❞