海で危ないのは波とかだけじゃない
波の勢いがどんどん強まっていく。船の上で一緒に揺られているから高さまでは分からないけど、このままだと船がヤバいことは分かる。というか既に転覆する寸前だ。俺とロンメルトは船にしがみ付いて振り落とされないように必死だ。なんでゲンサイさんは普通に立ってられるんだ?
「ジル! 船を頼む!!」
ピィ、と一声鳴いてジルが海に飛び込むように姿を消した。
同時に今までの揺れがウソのように船が大人しくなる。見れば船の周辺の海だけが台風の目のように穏やかになっていた。
だがジルを通じて感じる。ジルはマクリル先生……いや、海王フォカロルマーレから船周辺の支配権を奪い取ることで精一杯だ。到底こっちに戻って来れる状態じゃない。海、水は流動するものだ。常に流れ、入れ替わる。それを同じく常に支配するために、ジルは持ち場を離れられない。
「ふはは、足場が落ち着いた! 助かったぞ、ユート!!」
「けどジルは戻せそうにない」
「構わぬ。フルフシエルのように丸のみにされても困るであろう?」
まあ、な。生物に対してはほぼ無敵に近いジルの理喰らいだけど、マクリル先生の中の餓獣の血だけを食べる、なんていう器用な真似はできない。これは俺の思い込みとかではなく、本当に不可能だ。食べた後に分離して吐き出すことは出来るけど、生き物でそれをやっても吐き出されてくるものは死体だろう。
「でも、だから防御は当てにするな。自力で避けてくれ」
フルフシエルの風や雷のような攻撃は、今までジルに食べさせて防いできた。今回はそれができない。
「海ならばそういった攻撃もあまり無いのではあるまいか?」
「だといいけど」
海王フォカロルマーレ。
地皇アガレスロック、天帝フルフシエルに続く3体目の餓獣王。今までの流れからして、その能力は当然、海の支配。アガレスロックが地形を自在に操り、フルフシエルが天候を操作したように、フォカロルマーレもまた海を操れると予想できる。
しかし海っていうと、なんだろう。災害という意味で言えば津波くらいしか思いつかない。海底火山はアガレスロックの領域だろうし。あとは渦潮とか潮の流れとかか? うん、問題無い。どれもジルが船周辺の支配権を強奪できてる時点で心配いらない。
「もしかしてコイツ、餓獣王の中で一番弱いんじゃないか?」
「と、思っていた時期がボクにもありました」
「こら、出てくんな。船の中に戻ってろ」
智世が船室に繋がる扉からひょっこり顔を出して嫌な事を言った。いや、そうだな油断は良くない。
「確かに弱くはないのかもしれないな。普通なら支配権なんて奪えないんだから、あっという間に海の底に引きずり込まれて終わりだ。人間は結局、足場が無いと戦えないんだし。でもジルが足場を確保してくれる以上、あいつはなす術が無いはずだ」
「という夢を見たのさ」
「お前さっきから何なんだよっ!?」
苦戦して欲しいのか!?
「ふっふっふ、ボクがアカシックレコードからダウンロードした知識がお望みかい?」
「何か気づいたなら普通に教えてくれよ」
「き、気づいたんじゃない。智世とは世界を智るという事だから、アカシックレコードだから」
お前の御両親はそんなつもりで名付けた訳じゃないだろうけどな。
「教えてあげる。だから先生を助けてあげて」
「心配しなくても、誰も諦めてないよ」
「うん。……海で危ないのは波とかだけじゃない。もっと怖いのは……海の生き物」
その言葉に、ぞわりと寒気を感じた。
そうだ。海で泳いでいて何が怖いって、先の見えない水の中に何か恐ろしい生物がいるような気がして怖いのだ。おまけに妄想でもなんでもなく、サメやらウミヘビやらが実際にいるから恐怖にリアリティがある。
「普通に毒とかあるし、重さを気にしなくていいから体も大きいし、なにより多い」
それらは全部地球での話だけど、この世界でも間違いなく当てはまる。それほどまでに異世界と地球の環境は似通っている。
そして地球では面積の7割が海だった。その深さが何千メートルもある広大すぎる空間の、上も下も右も左も360度どこにでも生物が生息していると考えると、3割の地上の、そのまた表面でしか生息していない地上の生物の少なさが分かる。
大きさだって、地上最大が6メートルほどのアフリカゾウ。そして海はシロナガスクジラで25メートル前後だ。文字通り桁が違う。
操れるのか? それらを?
今まで戦ってきた餓獣王2体は、他の餓獣までは支配しなかった。だからフォカロルマーレもできないと、そう言い切れるのか?
いや待て、そもそもフルフシエルは他の生物が入ってこれない空間に閉じ込められていたんだから、仲間を呼びたくても呼べなかったのかもしれない。ユリウスの呼び出したフラッシュヴァルチャーは彼の友達だから操れなかったんじゃないのか?
アガレスロックはどうだろう。ヤツの能力の地形操作。自在に地震や地割れを引き起こして、地面から尖った岩を隆起させたりもしていた。そんな所に仲間の餓獣を行かせるか? 巻き添えにするだけだ。
「や、ばい……っ!!」
嫌な予感に背中を押され、船の帆に向けて手をかざす。欲しいのは、風だ。
俺の魔力によって引き起こされた風が帆を叩き、船が動く。いきなり動かされたジルから非難めいた意志が伝わってくるが、緊急事態だったのだ。
「ぬお!? 急に動かすでない--」
俺に文句を言おうとしていたロンメルトが言葉を見失って絶句した。
さっきまで船がいた位置に水柱が立ち上る。その中にはワニとサメを足したようなエゲツない口をした生物が垣間見えた。しかもデカい。5メートルはある。
ザバン、と海に戻るサメ(?)を見送り、俺は安堵と同時に恐怖した。今のサメに齧りつかれていたら、間違いなく船に穴が空いていた。結果は当然、沈没だ。
「じょ、冗談じゃない」
慌てて船の端に駆け寄ると……おおう、気持ち悪いくらい生き物が蠢いている。生物の影で水面が真っ黒だ。
「よし、死ね!」
水面に向かって思い切り電撃を放ってやった。こんなのいちいち船を動かして避けられるか。
バチバチと電気が弾け、次々と死んだ生物が浮かび上がって気持ち悪い。っていうか魚のビジュアルがもう気持ち悪い。なんでどいつもこいつも深海魚みたいな見た目なんだ。
しかしキリが無い。倒しても倒しても、どこかから補充されている感じだ。
どうしたものかと思っていると、頭の上からオル君が逃げ出した。テシテシと必死に短い手足を動かして、まだ扉の隙間から様子を見ていた智世の手の中に逃げ込んだ。それでもまだ安心できないらしく防御モードになっているということは、全然逃げきれてないってことなんだろう。
一瞬遅れてジルから危険が迫っていると知らせが入った。オル君が船の上に安全な場所なんて無いぞと言っていることからして、狙いはさっきのサメ同様この船そのものに違いない。
「もいっちょ風!」
さっきと同じように船を動かす。再び水柱。さっきよりはるかにデカい。オル君とジルが知らせてくれなければ間に合わなかった。
「ふほぉぁ、なんだこれは! デカい手か! 余も見たことがないぞ、こんなものは!!」
意外と物知りなロンメルトでも知らないのか。地球でさえ海の解明はできていないんだから当たり前か。
現れたのは人間のものによく似た手だった。ただし似ているのは形だけで、この船を握り潰せそうな大きさをしている上に、なんだか水草みたいな緑色でヌメヌメした表面をしている。
次の瞬間、巨大な手は真っ二つになって海中に沈んだ。
「は?」
「おお?」
「へ?」
「巨大な手という割に、手ごたえの無い」
まさかのダジャレだった。
抜き放った刀を肩でトントンさせながら、ゲンサイさんがつまらなさそうに海を見つめる。
「手が出てきたならば、次は頭か体、足が出て来るのではないのか? 出てこんのか? つまらん」
いや、出てこなくていいんです。
というか、どう見ても刀の長さ的に切れる訳ないんだけど、どういうこと?
フォカロルマーレの目が怒りをはらんでゲンサイさんを睨みつけた。そしてゲンサイさんの言葉に応えるように、水しぶきと共にいくつもの生物が甲板に乗り込んできた。
魚人、と言う他無いものが5体。貝……アンモナイトみたいなのが7体。
「こやつらは余と師匠に任せるがいい!」
ロンメルトが大剣を掲げる。
手伝いたいけど、海の中にいる連中を攻撃できるのは俺だけだ。デカいのが来たら船も動かさないといけない。上がってきた奴らは任せよう。
「ふはははは!! 余の剣の錆にしてくれるわ!! この剣は錆びるような材質ではないがな!!」
どうでもいい情報を叫びながら、ロンメルトが貝に斬りかかる。重量たっぷりの刃は、しかしその甲殻に弾かれた。というより貝の方が弾かれて海に落ちた。結果的に船の上の敵は減ったけど、無傷なんだからどうせすぐにまた登ってくるだろうな。
「固い敵を無理に斬ろうとすることはない。上から叩き付けて砕くのだ」
そう言いながらゲンサイさんが貝を切り裂く。あんたは斬るのかよ。いや、無理に斬るなって話なんだろうけど、そのアドバイスの直後に斬るのはおかしいだろ。
だがロンメルトは反論することもなく、アドバイス通りに貝を砕き、ついでのように魚人も斬り捨てる。その間にゲンサイさんが残りの貝4個と魚人4体をたたっ斬っていた。……強すぎる。
「さすが師匠であるな!! こやつらは一応、Bランクの餓獣だというのに! ふははは、それを斬った余もさすがであろう!!」
「Bか。Sはいないのか?」
剣技ではこの2人には勝てる気がしないな。俺は魔法で頑張ろう。
さて、乗り込んできた奴らは片付いた。船の下から攻撃してきても、そっちにはジルがいるから防ぐなり避けるなりするぞ。船に上がってこれない魚共は俺の電撃の餌食だ。
けどフォカロルマーレを拘束する方法はさっぱり思い付かない。相手は海の上にいて手が届かないし。船を近づけてみようか?
「マダ、ダ」
ざばっと水しぶき。
また登ってきたか。今度はクラゲみたいな奴や、短い脚の生えた魚も混ざって全部で10、20、30……ちょっ、多い!
「マダ、マダ、マダ……」
40匹、50匹……。智世がドアを閉めて逃げた。
60匹……。俺もマストを登って逃げた。