勢力図が書き換えられる
「先生! 頼まれてた餓獣、狩ってきたよ!!」
「やぁ早かったねぇ! 海の餓獣だから見つけるだけでも大変だったろうに」
「運が良かったのかな」
なんせジルにたっぷりと海水を飲ませれば、水を操ってスイスイ小舟を進めることができる。あとは伝導率抜群の海水につかっている気の毒なくらい圧倒的不利な餓獣を電撃でバチッとやるだけの簡単なお仕事だ。
正直、この電撃がある限りは海の餓獣に負ける気がしないね。
「ジルに音を食べさせて、ソナーみたいに探そうと思ったんだけど、そっちは無理でしたよ。いや、だって反響した音とかわかんないし」
「そなー? 面白そうだね、後で聞かせておくれ?」
肝心のブツは家の前の砂浜に転がしている。
マクリル先生は密封パックみたいな容器を手に、いそいそと必要な部位を切り取りに向かった。後で俺も討伐証明部位を取ってギルドに持っていかないとな。
迷宮都市なら素材としても重宝され、高値で売れるところなんだろうけど、残念ながら餓獣の素材なんて不定期かつ不確定なもので商売が成り立っているのは、迷宮に行けば必ず同じ餓獣がいるあの町だけだ。
例えそれが今砂浜に転がっているAランクの餓獣でも、だ。
最初の頃はAランクBランクをさくさく倒してくることにマクリル先生も驚いてくれていたけど、とうとう何の反応も得られなくなってしまった。
今朝なんて、お使いを頼む感覚でAランクの餓獣を持ってきてーっと頼まれたからな。
海は広いな大きいな。
あの広大な海は、高ランクの餓獣の巣窟だった。怖いね、異世界の海。
餓獣の基本は「デカいは強い」だ。海の生物ってどこまでもデカくなれるイメージあるもんな。鳥や亀があそこまでデカい世界だ。クジラなんて大陸と変わらないんじゃないか?
おっと、こんなことを考えていると本当に遭遇しそうだ。海の餓獣王とか。琴音が言ってたっけ、こういうのをフラグって言うんだよな。
ま、どんなにデカくて強かろうと、所詮は海の生き物。地上には出て来れないんだから俺達にはあんまり関係ないね。
「あ、先生どうでした? 目当ての部位は」
「いやぁーバッチリだよ。これで一気に研究が進みそうだ。これならひょっとすると君達が帰ってしまう前にお披露目ができるかもしれないねぇ」
「おお! 頑張ってくださいよ、楽しみにしてますから!」
だってマクリル先生、何の研究をしてるのかあんまり教えてくれないんだもんなぁ。完成してからのお楽しみってさ。
「これが完成すれば、餓獣と人間の勢力図が書き換えられるに違いないよ」
「それで、どういう物なんですか?」
「それは完成してからのお楽しみさ!」
ほらね。
「そういえば智世は?」
「トモヨちゃんなら、奥で料理をしているよ?」
ああそうか、今日はロンメルトが帰ってくる予定だったな。現代日本みたく電車やらを使ってるわけじゃないから予定はあくまで予定に過ぎないんだけど、2日前に最後の町を出たって手紙が届いたから、そう大きくは違わないはずだ。
ということで智世は現在帰郷アンド再会パーティの準備をしているらしいんだけど……。
「あいつ、料理なんてできたのか?」
どうしよう、できる気がしない。
だってずっと入院生活をしてたんだろ? どこに料理を覚える時間があったというのか。しかもここには料理のレシピすらないのに。
「嫌な予感がしてきた」
「そうだね。嫌な臭いもしてきたようだし……」
様子を見に行かないといけないのかな。行きたくないな。
でもマクリル先生は困ったように苦笑いするばかりだし、行くしか無いんだろうなぁ。
意を決して厨房への扉を開く。
そもそも2週間ずっと町の食堂に足を運んでいて、半ば開かずの間と化していたここの封印を何故いまさら解放してしまったのか。誰も料理をしようとしなかった時点でお察しだったというのに。
扉を開いた瞬間、目の前が真っ暗になった。比喩では無く、本当に。
「うわ!? なんだこの煙!」
「ほう、この暗黒の間に足を踏み入れるとは、命が惜しくないと見える」
「バッカ、自分で暗黒とか言うなら最初からするなよ! 命が惜しいから様子を見に来たんだろうが!!」
誰も使っていなかったからこそ、この家で一番片付いていた筈の厨房が、ちょっと出かけていた間にとんでもないことになってた。
散乱する食器の破片、黒煙を吐き出し続ける調理器具、飛び散る謎の液体。
なんという混沌。魔女が怪しげな薬を作る部屋を不気味と表現するなら、この部屋は地獄とか悪夢としか表現しようがない。
「お前これ自分で掃除しろよ?」
「……こんなはずじゃなかった」
まあ悪気は無かったんだよな。仕方ない、新しい食器くらいは買ってきてやろう。
「ところでこの生成された暗黒物質と混沌水溶液だけど……」
「捨てろ!!」
速やかに、迅速に!
臭いんだよ! なんで制作者がマスクしてるのに俺がダイレクトに嗅がされてるんだよ!
「ジル様なら食べれるかも」
「……ジル」
「ピィ? ピィィ……」
もしかしたら最強の武器になるかもしれないと本気で思ってジルを呼び出した。でも部屋の様子を見た瞬間に、今まで聞いたことが無いような弱々しい声で鳴いたあたり、無理そうだ。
世界の全てを喰らう魔法ですら食べることを拒否する、これは一体なんなんだろう。まさに未知の物体だ。
風を操り、とりあえず換気だけして逃げるように……ていうか実際逃げたんだけど、リビングに戻るとマクリル先生が興味津々にこっちを見ていた。
「どうだったね?」
「あの研究が完成したら、世界の勢力図が書き換えられますよ……」
「そ、そうかい。一応言っておくけど小生の研究はもうちょっと真面目だからね?」
「わかってますって」
でも研究したってあんな未知の物質は作れそうにないだろうに、そういう意味では大したもんだ。あれを量産して餓獣に食べさせれば人類の新しい武器になるんじゃないだろうか?
その時は新しい属性「混沌」として歴史の残りそうだ。まさか本当にそういう系統の属性じゃないだろうな。
「それならやっぱりパーティーは町の酒場になるかな? やれやれ色んなガラクタは作れても、料理1つできないのが情けない限りだよ」
「でも物を作る器用さがあれば料理だって出来るんじゃないんですか?」
「はは、職業病とでもいうのかな? つい創作料理をしようとしてしまってね。あまりの不味さに作るのが怖くなってしまったんだよ」
それは、恐ろしいな。
発明品と違って、全て自分の身に降りかかってくるんだから堪らない。自業自得だけど。
「ロンメルトも『料理は料理人の仕事だ。専門家から仕事を奪うのは王のすることではない』と言って料理をしようとしなかったしね」
「なるほど……言いそうだ」
あの努力の天才なら、頑張れば美味い料理を作れそうなのにな。
「さて、それじゃあ小生はもう少しだけ研究を続けようかな。念を押すけれど、地下には来てはいけないよ?」
「はい、王様が帰ってきたらいつも通りベルを鳴らしますね」
それで頼むよ、とマクリル先生は手に入れたばかりの研究材料を手に地下室へと下りて行った。
地下は先生の研究室の1つだ。その中でも特に扱いのデリケートな物を置いているらしく、俺と智世の立ち入りは完全に禁止されていた。何が危ないのかすら分からないんだから、当然の措置だ。
用がある時は地下室への階段にあるベルを鳴らせばいいだけのことだしな。
さて、外はもう夕暮れが近いことを感じさせる赤みを滲ませ始めている。ロンメルトは夜までには着くと手紙で言っていたから、予定通りならそろそろ着く頃だ。
智世が粉砕した食器も買いに行かないとだし、ついでに迎えに行ってみるか。




