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死なせたくないから行くんだよ

 なんて猛々しい姿なんだ。

 こんな時でなければ何時間でも見ていたい。


 だけど残念ながらそうも言っていられない。今、俺は背中に命を1つ背負っているんだから。

 本当に……本当にもう残念すぎて血の涙が流れそうだけど、俺は行かなければならないぃぃっ!!!


 ところが肝心の黒龍もまた俺との別れを惜しむように……ぶっちゃけ逃がすまいと道を塞いでいた。


 どうしよう、これ。



『これより先に進むことまかりならぬ』


 頭に直接響くような不思議な声。人間ならかっこいい壮年の男性をイメージさせられるこの声の主は、なんだかんだ想像がつく。

 驚いた。餓獣ではない原種のドラゴンはしゃべるのか。へぇ……。


「しゃべったぁぁぁぁぁ!!?」


 今日日、映画や漫画なんかのメディアミクスの中ではべらべら喋って当たり前の存在になりつつあるドラゴンだけど、常識的に考えて爬虫類の声帯で人間の言葉なんて話せないだろ! シャーとかシューが精々だろ!!


 いや、落ち着こう。相手はファンタジーどストレートの不思議生物だ。骨の強度やらブレスやら、言い出したらきりがない。

 このドラゴンはしゃべる。よし、オーケー。……それならむしろ好都合だ。


「悪いけど急いでるんだ! また今度来るから用があるならその時にしてくれ!」


 言うだけ言って、反応が返ってくる前にタタターっとドラゴンの足の隙間を走り抜ける。また来るよ必ず。その時は背中に乗せてね。

 が、行く手を阻むように尻尾が回された。いや「ように」じゃないな。完全に邪魔をする気だ。通るなって言ってたし。


『進むことまかりならぬと、伝えたつもりだが?』

「伝わってたけど、行かなきゃいけないんだよ」

『青き者は通ってもよい』


 俺、だけ?


『お主は先日ここを通過した人族の片割れであろう。我が主より命じられているのは、新たに世界を渡る者……魔導師オリジンを生み出させぬこと。憎たらしやテロス・ニヒ。ヤツの妨害が無ければあの日貴様等がここを通過することも無かったものをっ』


 そうか、このドラゴンはいわば門番。その主っていうのが誰かは知らないけど、誰も通さないように回廊を守っていたのか。10年前、俺達が追い返されたように。

 そして俺と琴音が異世界に渡ったあの日、先に鳥居をくぐったテロスの手によって門番は遠ざけられていたんだな。どうりでドラゴンがいなかったわけだ。テロスめ、余計なことを。


『だがその娘はならぬ。あの鋼のごとき男に続き、貴様等の通過を許したあげく更にもう1人などと、主に申し訳がたたぬ』


 鋼のごとき男? テロス……ではないよな。このドラゴンはテロスを知っているようだから、それなら普通にテロス・ニヒと名前で言うはずだ。

 ということは……鐵のオリジンか。

 正体不明だったけど、性別は男だったんだな。


 しかし俺が10年間憧れ続けたドラゴンは、どうやら失敗続きで焦っているらしい。少し気の毒だという気持ちはあるけども、悪いがもう一度だけ失敗してもらう必要がありそうだ。


「俺1人だけじゃ意味が無いんだよ。智世は、この子はオリジンに変化しないと助からないんだ!」

『我が主より定められし事柄は1つ……ここを通さぬ事それだけよ』

「ドラゴンのくせにお役所仕事かよ! だったら無理矢理にでも通るだけだ!! ジル!」


 あわよくば話し合いで解決できないかと、5分も貴重な時間を無駄遣いしてしまった。


『その鳥……そうか、なるほどそうか』

「仮にもトカゲなら生えてくるよな!? ジル、その邪魔な尻尾を食ってくれ!」


 生えてこなかったら謝ろう。

 だがそうはならなかった。尻尾を食べようとしたジルのクチバシが、ドラゴンの鱗に弾かれたのだ。


「な、なんで!?」


 ジルはこの世界に存在する物はなんだって食べられるんじゃなかったのか!?

 テロスはもちろん例外として、時間や心のように存在はするだろうけど実態の無い曖昧なものでなければ何でも食って自分の力に変えられる。それがジル。それが俺の「世界」属性だ。

 肉体なんてはっきりと存在するものがどうして食べれない。空の餓獣王ですらペロリだったのに。


『この世界の生物ならば、喰らえたか?』


 なんだ、その言い方は?

 こいつまさか……「世界」属性を知ってる? そうだ、今の言い方は知っていなければ出てこないはずだ。


『我の肉体は、我の主の力によって変質している。ゆえに世界の枠外の存在』


 そんなのズルい。

 というかどんなに改造しまくっても、世界の法則から脱するなんておかしいだろ。地球上で無重力、硬いけど柔らかい、空飛ぶ鳥だけどエラ呼吸……的なレベルの魔改造じゃないのか!?


「っだったらぁ!!」


 地形操作。

 足元の石畳がせり上がり、尻尾を乗り越えられるよう橋を架ける。


『ほう』


 当然、すぐに壊される。

 その前に素早く尻尾を乗り越えることには成功したが、背後から異常な熱を感じた。


 最初から地形操作をしなかった理由がこれだ。足場が制限されるから、次の攻撃が避けにくくなる。それにしてもいきなりブレスかよ!


「やば……」


 智世の小さな体をぎゅっと抱える。

 その時、俺達とドラゴンの間……ブレスの射線上にジルが割り込んだ。同時に風の防壁を築く。



 ドラゴンの体には理喰らいルールイートは無効だった。

 しかしその体から発せられた炎には有効だったらしく、ドラゴンのブレスがジルの口に吸い込まれる。


 やった、本物のドラゴンブレスが手に入った。まあただの炎だけど。


「10年前みたく簡単に追い返せると思うなよ!」

『……そうか小僧、貴様あの時の童か。なるほど、よくよく見ればその娘の白き髪にも覚えがある』


 なんとなくそんな予感はしてたけど、やっぱりそうなのか。

 智世は10年前に俺と一緒にこのドラゴンを目撃した人間の1人だ。日傘を持った白髪赤目の女の子……ドラゴンに言われるまで確信が持てない俺って人間としてどうなんだろう。


『同じだ。尻尾を巻いて逃げ帰るが良い』

「尻尾があるのはお前だろ!!」


 ほら言ったそばから尻尾で攻撃してきた!

 すぐさま地面を隆起させて尻尾を飛び越える。今度はブレスではなく手の爪が振り下ろされた。

 大木だってバターのように切り裂けそうな鋭く長い爪。業物の日本刀を巨人が振り回しているようなものだ。かすっただけでひとたまりもない。


「ジル、風で腕の方向をずらせ!」

「ピィ!」


 風の砲弾がドラゴンの腕を横に吹き飛ばす。

 くそ、目一杯圧縮した風でやっとギリギリ避けられるのか。かすかでも魔力をケチったら直撃だな、これは。


『むっ』


 雷光がはじける。

 吸収はジル頼みだけど、放出は俺にだってできるんだ。ドラゴンが目をくらませている内に回廊を駆け抜けよう。

 戦っている時間も説得している時間も無い。


 ついでに氷も降らせておこう。フルフシエルみたく天候ごと変えるなんていう真似はできないからジルの口からだけど。やろうと思えばできるのかもだけど、天気を変えるなんてどうやればいいのか見当もつかないし。

 空から落としていない分勢いは足りず、石をぶつけているのと大差ないけど、少しでも足止めできればそれでいい。

 あいつは見るからに足が遅そうだった。今の内に距離を離せば逃げ切れるはずだ。 


 走る。


 走る。


 走る。早く出口へ--


『面白い魔法だ』

「地形操作! 壁を……」


 とっさに背後に地面の壁を作ったが、あっけなく砕かれて破片が降り注ぐ。


 岩片を避けながら俺は空を見上げた。

 火岩のアッドアグニとは違う。このドラゴンには翼がある。空を……飛べる。


 ドラゴンが急降下してくる。

 風では防げない、壁だ。さっきのじゃダメだ……もっと分厚く、もっと固く!


「くっううううううう!!」


 全力で魔力を込めた壁にドラゴンの爪が突き刺さる。

 耐えたのは一瞬、爆発するかのように壁が砕け散った。質量と速さと鋭さを合わせ持つこの攻撃を防ぐ手段は……無い。


「ジル! 防御は自分でやる。とにかく攻撃してくれ!!」


 再び空に舞い上がったドラゴンを追ってジルが飛び上がる。

 空にいる以上、地形操作は使えない。ならばと風が、雹が、雷がドラゴンに向けて放たれた。


『この世の枠内に収まった攻撃などで、我がウロコを貫けるものか』


 歯牙にもかけず、ドラゴンがまた急降下してくる。

 壁では防げない。なら、避ける。風で自分を吹き飛ばす不恰好な方法で、どうにかドラゴンの爪を回避できた。


『諦めよ。引き返すならば手は出さぬ。死にたくないならば、戻ることだ』

「死なせたくないから行くんだよ!!」

『あちらの世界に行っても同じであろう。お前たちよりも先に行った人族……あの男は貴様では勝てまい』


 鐵のオリジンか。


『あの男は我を真っ向から抜いて行った。恐ろしい強さと精神の持ち主よ。切れぬはずの鱗を切り裂き、剣の届かぬ上空に逃げるまで我を殺すことに執着し続けた』

「ちょ、ちょっと待て。そいつはまだオリジンになってなかったんじゃないのか!?」


 それ以前になんで剣を持ってるんだよ。初めて異世界に行く時の話をしてるんじゃなかったのか。包丁でも持ってたのか? どっちにしろ変質者だけどさ。


『当然であろう。あちらに行って初めてオリジンなのだからな』


 日本で生活してたのに剣を持ってて、オリジンでもないのにドラゴンを真正面から叩きのめして行った?

 ……なにその怪物。

 どうしよう異世界に行きたくなくなってきた。いや行くしか無いんだけども。うん、鐵のオリジン先輩には低姿勢で行こう。逆らってはダメだ。隙があったら不意打ちしようそうしよう。


『む、話している内に出口が見えてしまったか。ではそろそろ終わりとしよう』


 ドラゴンの口元に光が収束する。

 ブレスか? それならジルが防げる。それはドラゴンも承知しているはずだけど。


 いや、溜めが長い! ここから出口の門までの一帯を全部焼き払うつもりか!!

 しかも高速で飛びながら放たれたら、ジルがどんなに頑張っても防ぎきれない。


 どうする、防御するか? でもこっちの手の内を見た上で出してくる攻撃を、今まで通りの方法で防げるわけがない。

 地形操作でも、天候操作でも無理ならどうする。新たに食べられそうなものも、こんな何も無い回廊では期待できない。ならもう、焼かれる前に門に飛び込むしかない。


 間に合うか?

 間に合う訳がない。だからドラゴンは終わりだと言ったんだ。


 何か無いのか! なんでこの空間かこんなに広いのに何も無いんだ!!


『さらばだ、青き者』


 空が燃えているかのような光景だった。

 圧倒的な量の炎が降って来る。あと数秒すれば地上も空中も全てが炎に埋め尽くされるだろう。


 走馬燈のように異世界で過ごした日々を思い出す。

 魔法に目覚め、餓獣と戦った日々を--


「ジル! 光だ、光を食えーー!!!」


 流れ込んできた光の力を身体に纏わせる。

 これを使うのは二度目だ。一度目はフラッシュヴァルチャーの力を喰らい、使った時。


 効果は、光速移動。


 さすがに本当に光速は出ていないけれど、生物に許された領域を逸脱した速度で風景が流れていく。


 門まであと50メートル。

 炎が後ろから追ってくる。くそ、炎のくせに早い。


 あと30メートル。

 智世の残り時間はどうだ。かなり手こずったから、もうあと何分なのかも覚えていない。


 あと10メートル。

 服が燃え始める。まずい間に合わない!


「ジル! 風を!!」


 ジルの風が服の火を消し、同時に俺の前方の空気抵抗を減らす。

 体感できるほどに加速した世界の中、とうとう門まで到達した。そのままの速度で飛びこ--


『終わりだと言ったのだ小僧! 終わっておけ!!』


 上空を埋め尽くしていた炎を蹴散らし、ドラゴンが直角下降してきた。

 速いっ!?


「くっおおお!!」


 無理矢理に身をよじり、ドラゴンの爪を避ける。

 智世の体が離れそうになるのを必死で手繰り寄せ、少し壊れた門に不安を感じながら暗闇に飲まれていった。


 意識がかき回される。


 頼む、助かってくれ智世…………。

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