後ろからパトカーが来てる
窓を開き、空中に身を投げ出す。
夕日も沈み、夜の帳が下り始めた薄暗闇の中での飛び降りは思った以上に怖かった。いくら魔法で安全に着地できると知っていても、建物の4階から飛び降りるのは気持ちのいいものじゃない。
ただ……股間はちょっと形容しがたい気分になった。
「ジル、智世が風で負担を受けないようにしてやってくれ」
「ピッ!」
着地するための風操作で俺は手一杯だ。智世の守りはジルに任せる。
周りから見ればふわりと、実際は人間2人分を受け止めるためにズボンが吹き飛ぶんじゃないかと不安になるほどの風を受けて地面に降りる。
智世は……うん、しっかりジルが守ってくれたみたいだ。
「乗れ、伊海! 10分で神社まで連れて行ってやる!!」
「頼む!」
病院の庭を突っ切って、田中の操るオートバイが現れた。
日が暮れて人がいなくなっていたから良かったものの、なかなか無茶な運転ぶりだ。これなら本当に10分で神社まで行ける気がする。
「ヘルメットは無いからな、振り落とされんなよ!!」
乗ったと同時に急加速で走り出す。
地面をボロボロにしながら中庭を抜け、駐車場を過ぎ、公道に飛び出して更に加速する。
「うおおおおおお!? こぇぇぇぇーーー!!」
「耳元で騒ぐな! 俺だって怖えよコンチクショー!」
いや、でも俺バイクとか乗ったことないし、おまけに風があるせいか実際以上にとんでもなく速く感じる。高速道路と違って、風景がごちゃごちゃしているのもまた体感速度を速めていて、200キロくらい出てるんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
車みたいに装甲に守られているわけでもない、生身剥き出しの状態での時速100キロ近い速度は真っ直ぐ走っているだけでも死ぬほど怖い。
家が、電柱が、車さえもが圧倒的な速度で置き去りにされていく。
「よぉし! こっからは他の車もだいぶ減るからな、もっと加速するぜぇ!!」
ぐん、と更に体にかかる風圧が増した。
けどまあ、うん。ちょっとだけ慣れてきた。話をする余裕ができるくらいには。
「悪かったな田中、乗せてもらって!」
「何言ってんだ、これくらいのこと……これから命1個背負うお前に比べりゃ、なんてことねーよ!」
うーん、でもなぁ。
「俺達は異世界に行くからいいんだけど、これって誘拐じゃん? お前大丈夫か?」
「…………え?」
「それに俺は行方不明扱いになってるから家族もそんなに責任は問われないと思うんだけど、お前はそうじゃないもんなぁ」
「えええ……マジか。えぇ……人助けしてるのに犯罪者なのか? いやでもそうだよな、誘拐……なんだよな。ぅわああ」
俺も智世を助けるんだ、ってことばかり考えていて、その辺りを失念してた。そうと気づいていたら他の方法も考えれていたかもしれないのに。
「まあきっと大丈夫じゃないかな? 母親の方は最後納得してくれてたっぽい雰囲気だったし」
「そう、なのか?」
「病院側も手術に失敗した上に患者を強奪されたなんて公表したくないだろうし、智世の両親さえ告発しなければ……たぶん」
「やたら予想が生々しくて、かえって怖えよ……」
でも母親はお願いします的なお辞儀してたし、大丈夫! きっと大丈夫!!
最悪、リリアの時魔法をジルに食わせてなんとかしよう。
「うおお……こんなに明日が怖えのは初めてだぁーー!!」
「いや、マジでごめん。とりあえず現在進行形で実行中の犯罪行為は俺がなんとかするからさ」
「あ? どういう意味だよ」
「後ろからパトカーが来てる」
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおお!!」
おお、さらに加速できるのか。
けどパトカーの方はさすが本職、華麗なハンドルさばきでみるみる距離が詰められていく。
しかしパトカーが来たってことは、結局通報されたのか?
いや、さすがに早すぎる。これは普通に交通違反で追いかけてきてるやつだな。タイミング悪く見つかってしまったんだろう。
えーっと、スピード違反にノーヘル三人乗りか。そりゃ追ってくるわ。
「ジル。その辺の暗闇食べて、バイクのナンバーを隠してくれ」
「ピィ」
智世を風圧から守りながらで悪いんだけど、食べるのはジルの仕事だからね。俺は放出はできても吸収はできないんだ。
とにかくこれでナンバーは隠せた。神社が近づくにあたって広い道を外れているおかげで周囲は暗く、顔やバイクの種類もそう簡単に特定はされないはずだ。近づかれなければの話だけど。
田中は必死でバイクを走らせているけど、パトカーとの間は縮まる一方だ。近づかれてしまえば、今を乗り切ったところで後日田中は逮捕されてしまうだろう。芋づる式に病院でのこともバレそうだ。
「なんとかして退場してもらわないとな」
とはいえ猛スピードで走る車を強制的に止める手段なんて、中の警官が死んでしまいそうなものしか思いつかない。
地面を変形させればどう足掻いても大事故。地面を泥にしたら、とも考えたけどやっぱりスピードから考えると危ない上に近隣住民の人が大迷惑する。なにより国民の血税で作られた公道を壊しちゃダメだよな、税金なんて消費税くらいしか払ったことないけど。
車が進めなくなるくらいの風なんて普通に車体をぐちゃぐちゃにしてしまいそうだし、暗闇で目くらましとかも危険すぎる。
いや待てよ、なんで一種類の力だけで解決しようとしてるんだ俺は。
それになにも、必ず魔法だけでなんとかしなければいけない訳じゃないじゃないか。要はパトカーが追ってこれ無くなればいいんだ。
「よし、智世のガードは代わるから、ちょっとジルに頑張ってもらおうか」
「ピピッ!」
任せろ! と言ってるんだろう。多分。
「おい、まだ撒けないのかよぉ! もうすぐ神社に着いちまうぞ!?」
「次の曲がり角で決めるよ」
俺達を乗せたバイクが直角のカーブを曲がる。少し遅れてパトカーもカーブにさしかかるが、そこで急に減速して停止した。
「なにしたんだ?」
「曲がり角の少し前で、微妙に暗闇を濃くした。視界が悪い状態で先の見えないカーブなんて、怖くてスピード落とさずには曲がれないだろ? そこでジルにタイヤを食ってもらったんだ」
「なるほどな、パンクか」
「あいつはどんなに頑丈なものでも問答無用で食えるからな」
暗闇とカーブで目一杯スピードを落としてからだから、パンクしても事故にはならないというのは予想にすぎない。運転手がパニックになれば事故の可能性はあった。
まあそこまで減速していれば風で多少はサポートできるだろうとジルにスタンバってもらってたんだけど、運転手はどこまでも冷静な人だったらしい。綺麗に路肩に止めてみせた。
でもタイヤがパンクしたんじゃ追ってこれないよね? お疲れ様でした、さようなら。お騒がせして本当に申し訳ない。
「という訳で安心して神社に向かってくれ」
「おう! もうすぐだ!!」
さすがに神社の中まではバイクでは無理だ。階段を始め、障害物が多すぎる。
入口の階段の前で止まったバイクから飛び降り、俺は田中と向かい合った。
「ありがとう、助かったよ。この後大変かもしれないけど、脅されたとか適当に言って俺に全部押し付けといてくれ。時効になるまで異世界に避難しとくからさ、ふへへ」
冗談めかして言ってみせたが本心だ。向こうに永住する気満々な俺にとって、こっちの世界で犯罪者扱いされたって痛くもかゆくもない。
「ああ、まじでやばそうならそうさせてもらうわ。でもたまには帰ってこいよ?」
「当たり前だろ。少なくとも2人、連れて帰らないといけない奴がいるんだからさ」
「だな。柊の実家には俺がなんとか話しとく。お前らが行方不明になった時の騒動で顔見知りになってっからな」
「悪いけど頼むよ。自分で伝えたかったけど時間が無い」
「……もう行け」
田中がバイクのアクセルをふかせる。警察の応援が来ないとも限らないから、こいつにも余裕は無い。
やれやれ、今生の別れかもしれないっていうのに慌ただしいな。
「またな」
「おう、またな」
また明日会えるかのような挨拶を残し、走り出したバイクのエンジン音はやがて遠ざかって消えた。
また会おう、必ず。
智世を背中に背負って階段を登る。
田中は宣言通り10分でここまで俺達を届けてくれた。あと50分。確実性を考えて30分以内には異世界に到着したいし、早ければ早いほどいい。向こうに繋がる門に入った瞬間に智世が治る保証なんて無い。もしかしたら体が作り変わるのに何時間もかかるかもしれない。
だから俺は足は止めずに、走りながらポケットから携帯電話を取り出した。
電話帳から目的の番号を選び、電話をかける。呼び出し音はすぐに通話状態へと切り替わった。
「もしもし、母さん?」
もしかしたら、今日こそは御馳走を作って待っていてくれたのかもしれない。それを思うと胸が痛む。
だけど俺は今すぐに行かなければならない。
その理由を、何があって何をするつもりなのかを伝えた。
父さんはまだ帰ってきていないらしい。残念だな、行く前に挨拶したかったのに。
「うん、うん。わかってるよ。じゃあ……行ってきます」
携帯電話の電源を切り、ガーランド袋に放り込む。智世に剣やら異世界の食べ物やらを見せてやろうとガーランド袋を持ってきていて正解だった。
これさえあればいつでも異世界に行く準備が整う。
俺の前には夜闇よりも黒い鳥居。
「もう少しの辛抱だ。頑張れ智世」
背中の重みを確認して、俺は鳥居をくぐり、石畳の回廊へと足を踏み入れた。
あと45分。前回琴音と歩いた時は20分くらいで異世界側の出口までたどりつけたはずだ。走れば15分もかからないだろう。
だけどそれは、なんの邪魔も入らない場合の話だ。
「……どうしていつもいつも、ゆっくり感動に浸れないタイミングで現れるんだろうな」
俺の心を捉えてやまなかった存在。探しても探しても見つからないくせに、会いたくない時に決まって現れる。
10年ぶりの再会も、これじゃあちっとも喜べない。
それにしても変わらない。10年前に見た時と変わらない。その尾も、羽も、牙も、漆黒の鱗も。
なんて雄々しく、壮大で、カッコいいんだろうな。
ドラゴンってやつは。




