1時間はもつんだな?
赤巻 智世と出会ったのは、つい昨日のことだ。
それを知らない看護師の女性は、親し友人として俺を彼女のもとに案内してくれた。
まず目に入ったのは、泣きじゃくりながら医師に詰め寄る智世の両親の姿だった。
智世の病気が何なのかもどんな手術をしたのかも知らない俺には、うろたえながら説明する医師の言葉はちんぷんかんぷんだったけど、ただ1つ、失敗の原因が機材の故障だという言葉だけは理解できた。
くだらない。
何が原因かなんて関係ないんだ。病院側がごまかそうとしているのか、本当に予測不能な悲劇だったのかなんて、涙を流して訴えかける両親には関係ない。
あの人達はただ、なんとかして娘を助けてくれと言ってるんだから。
どうしてくれるんだ、とか。責任をとれ、だとか。そんなことは誰も一言も言ってない。ただただ、助けてやってくれと悲痛に訴え続けている。
そしてガラスを一枚隔てた先に、数時間前にお母さんの側で生きたいと笑った女の子が、いくつものチューブに繋がれた状態で寝かされていた。
なんて顔色だ。人間の顔は、あんなにまで青ざめるものなのか。
背後で説明を諦めた医師達が謝罪を始める。
どうやら今夜を乗り切ることは難しいらしい。そうか……助からないのか。
俺は静かに部屋を出た。
「おい、伊海」
「中田か……」
「中田だ……あれ? まあいいや、聞いたぜ手術のこと」
そうか、こいつも結果が気になって来たんだな。俺に電話すれば済むことなのに、律儀というか。どこまでも人がいい。
「なぁ、お前の力でどうにかならねーのか? いやお前じゃなくたっていい、魔法がある世界なんだろ? なにか方法はねーのか」
「俺がそれを考えないと思うか?」
無理なんだよ。
魔法の世界と言っても、属性はたったの10種類しかないんだ。俺と琴音、あと最初から期待できないけどもう1人のオリジンを含めても、13種類。
そしてその中に治癒に関するものは1つも無い。
リリアやユリウスみたいな変異属性ならもしかすると存在するかもしれないが、明日の朝日も見れない人間にそれを探す時間は無い。
「そもそも最初に出る森から人里まで、数日かかるんだ。森から出るのですら2日近くかかった。異世界に行った所で、森をさまよってる内に死んでしまう……」
中田に声をかけられるまで、散々考えた。考えたけど、森から出る時間すら無い時点でどうにもならないんだ。
「でもよ! ほら、お前の鳥は何でも食えるんだろ!? なら病気だって食えるんじゃねぇのか?」
「患部を食いちぎって解決するなら、外科医なんかいらないだろ。食った跡の傷はそのままなんだからさ」
他にも例えば、ジルに薬を食べさせてみればとも考えたけど、水と植物、あるいは菌類の成分を吸収するだけだろう。
「……どうしようも、ねーんだな」
「ああ、どうしようもない」
助けられるものなら、助けてやりたかった。
所詮は昨日会ったばかりの、昨日の夕方までは赤の他人だった子だ。気に病むことなんて何も無い。
だけど……だけどあの子はお母さんと一緒にいたいと言ったんだ。夢よりも家族だと。その直後にこんなのはあんまりじゃないかよ。
「なんでっどうしようもないんだよ! ちくしょう!!」
なまじ魔法なんてものがあるから、何もできないことが悔しい。本当に何もできないのか、なにかできるんじゃないかと考えてしまう。
だけど何度考えても答えは変わらない。
頭を抱える。前髪がぐしゃぐしゃになってしまったが、頭の中はもっとぐしゃぐしゃだ。
ついには何で自分がこんなに悩んでるのかも分からなくなりそうになった時、中田がポツリと呟いた。
「あ……? なんか違くね?」
「? なにが?」
「いや、違和感っつーか……ああ、そうだ! お前が前に自慢してた傷痕が無いんだ」
傷跡?
「ほら、言ってたじゃねーか。ドラゴンにつけられたとかって。治ったのか?」
「ああ……これは」
これは、なんだ。なんだった?
これはオリジンに変化した時の副作用のようなものだ。
リリアが言っていたっけ。滅紫のオリジンは、失くしていた片腕が生えてきたと。オリジンに変化する時に、最適な状態に作り変えられるのかもしれないと。
その話を中田に……いや田中に伝え、俺達は顔を見合わせた。
「でもなぁ、魔法の世界に連れていけば助かるかもしれませんって言うのかぁ? あの頭の固そうなお医者様達に?」
「説明、するしかないだろ。なるべく安全に移動させるならさ」
言うだけならタダだしな。
再び部屋に戻ると、智世の母親は椅子に座って泣いていて、父親がそれを慰めていた。
できるなら事細かに説明したいところだけど、とにかく時間が無い。
「こんな質問、失礼極まりないことは分かってますけど、1つだけ聞いてもいいですか?」
「……なにかな?」
智世の両親が顔を上げる。母親の方は目が虚ろだ。
「ここで最期を看取るのと……二度と会えないかもしれないけど、どこかで生きているのとどっちがいいですか?」
わかっていたことだけど、父親の怒気が膨れ上がった。当たり前だ。こんな質問、ふざけているとしか思えない。
だけど母親の方の反応は違った。
「……生きて、欲しい。生きてさえいてくれるなら他は何も望まないわ。うぅ……智世ぉ」
助ける方法があるのか、とは聞かれなかった。本当に単純な質問として答えたんだろうな。だけどそれが聞ければ十分だ。
「先生、智世をそこの神社まで運んでもらえませんか?」
「何を馬鹿な……殺す気かね!」
いま殺しかけてるのはお前らだろう。
「助ける気だ」
「現代のどんな技術でも彼女を助けることは不可能だ。それを神社だって? 神様にでも祈る気かね?」
「似たようなものかな。知識も技術も科学も通用しないから、だから俺は不思議な力に頼るんだ」
ジルは出さない。病院内で動物を出して必要以上に怒らせることもないだろう。
今の俺ならできる筈だ。あくまでもジルは魔力を出力しやすくする媒介にすぎないんだから。
電気、はマズイ。なにせ周りは複雑怪奇な機械類でいっぱい。壊してしまうととんでもないことになりそうだ。
風だ。
周囲への影響は最小限に、足元と、それ以外は姿勢制御のみに抑える。
「と、飛んだ?」
床から浮かび上がった途端に、バランスを取るのが難しくなった。転ばない内に解除して着地する。
「…………面白いが、手品で命は救えんよ」
やっぱりダメか。まあ簡単に信じた田中や俺の両親のほうがおかしいのかもしれない。
さてどうする。今使えるのは地と空の餓獣王の力ばかりで、こんな病院内で使っていいものが少ない。強力すぎるんだよな。
ジルを出すか? いや、いっそう手品っぽい。
「そのチューブを外して連れ出すと言ったら?」
「なっ!? そんなことをしてみろ! 1時間ももたないぞ!!」
「そうか……1時間はもつんだな?」
田中が「おい、まさか」という顔で俺を見てきた。
「バイクで来てるんだよな?」
「ああくそ、やっぱりか! どこで待ってりゃいい」
「そこの窓の下でいいよ。飛び降りる」
風で空を飛ぶのは難しそうだけど、着地に使うくらいなら簡単だ。一回強制スカイダイビングで経験してるしな。
「お、おい馬鹿なことを考えるな! おい!!」
そこまで馬鹿なことだとは思わないね。このままなら数時間で死ぬ。オリジンになれば助かるかもしれない。母親も生きていて欲しいと言った。
なら俺は、彼女を異世界へと連れて行く!
「娘に何をするつもりだっ!!」
俺を取り押さえようと飛びかかってきた父親を風の壁で受け止める。優しくね、優しく。
母親の方は、じっと俺を見ていた。
「あの子を、助けられるの?」
「さっきも言ったけど、もう帰ってこれないかもしれない。でも命だけは必ず助けます」
絶対の保証は無い。帰ってくる方法は必ず見つけてみせる。
おれはその二つは伝えなかった。
そうすればもし助けられなかったとしても、きっとどこかで生きていると希望を残せるから。そうしなければ帰還できなかった時に、帰ってこないのは助からなかったからなのだと不安を引きずらせてしまうから。
「必ず、助けますから」
無言で頭を下げた母親に背を向け、智世を迎えに行く。こんな怪しい男にすがってでも助けたいという気持ちに応えなきゃな。
振り返ると、ちょうど智世がいる部屋への扉に鍵がかかる瞬間だった。鍵を持っている人は扉の向こう側か。まあ無菌室ってわけじゃないみたいだし、ドアノブくらいなら壊してしまっても構わないかな?
ぱくりっとクチバシの形にドアが削れて消える。
おっと、お医者さんが腰をぬかしてしまったようだ。今なら手品じゃないって信じてもらえそうだけど、患者はより一層渡せなくなったか。
さて無事(?)に智世のもとまで辿り着いたわけだが、このチューブなどは適当に引っこ抜いていいんだろうか? いや、まずいだろう。体に刺さってる物もあるし。
仕方ないので一番怯えている人に頼んで外してもらった。クビにならなければいいけどな、この人。命がかかってるってことで勘弁していただきたい。
「軽いな」
抱き上げた智世の体は、信じられないくらい軽かった。
もう既に命が流れ落ちてしまった後なんじゃないかと思ってしまうほどだ。時間が無いのだと、そのわずかな重みがうったえているようだ。
急ごう。もってあと1時間だ。