ボクは運命に身をゆだねるだけ
次の日の朝食は流石に母さんが作ってくれていた。
「ちゃんと帰ってきたら、今度こそ好きなものを作ってあげるわよ。……ナメた口をきかなければね」
「き、気をつけます」
砂糖の入った甘めの卵焼き。赤みそと白みそを絶妙にブレンドさせた独特の味わいを出す味噌汁。サラダは母さん自慢の特製マヨネーズで食べた。
「……おいしい」
「あったりまえでしょ?」
うん、当たり前だ。これよりおいしい物なんて存在しないとさえ言える。あるとしても、それを作るのはやっぱり母さんに決まってる。
「母さんは料理がうまいからなぁ。父さんも手作りのお弁当を貰った時にプロポーズを決意したんだよ?」
「あら、そうだったの?」
「言っていなかったか。ははは、まだまだ夫婦仲は進展しそうだなぁ。悠斗、次に帰ってきた時には妹か弟が生まれているかもしれないぞ?」
いや、あんたらもう40代中盤だから。
「はぁ、会議さえ無ければ会社なんて休んだんだがなぁ」
「どっちにしても今日はずっと病院だけどね」
「ああ、例の病気の子か。ちゃんと説得してくるんだよ?」
わかってる。異世界こわーい、きゃーってくらい言わせてくるよ。万が一にも俺がいなくなった後に、やっぱ異世界行こう! なんて思わないようにな。
行って、帰ってきたからこそ分かる。親とは、別れるべきじゃない。
「俺が安定した帰り方を見つけてから、改めて連れて行けばいい話だからな。きっと納得してもらえるよ」
「ああ。おっとそろそろ時間だ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
じゃあ俺もそろそろ行こうかな。徒歩だし、病院の場所も曖昧だし、着くころには程よい時間になるだろう。
「気をつけるのよ。勝手に異世界なんか行くんじゃないわよ?」
「大丈夫だって。最悪テロスが連れ戻しに来ても電話する時間くらいはもらうからさ」
「……それは安心していいのかしら?」
あいつは怪物だけど、話が通じない相手じゃないから大丈夫。
家を出る。
家族にいってらっしゃいと言うのも言われるのも二ヶ月ぶりだったな。
さて、神社から一番近い病院だったっけ? 何号室だったかは忘れたけど、名前は覚えてるから問題ない。レッドスパイラル・アカシックレコードだっけ。
「その前にオル君……」
「みぎゃぁ」
俺の言わんとする事を察したのか、講義の目を向けられた。鳴き声もどこか不満そうだ。
「もう忘れない……じゃなかった、用が済んだらすぐに出してあげるから、袋の中に入っててくれないかな? 病院は人間以外はまずいんだよ」
「ぎゃぅ……」
仕方ないな、もう。としぶしぶガーランド袋に入ってくれた。ふう、実は昨日は忘れていたと白状しそうになった事には気づかれなかったようだ。
というか日に日に賢くなってないか? もうトカゲとは思えないくらいの知性を感じるんだが……。
さっすがオル君! 俺の相棒だ!!
「ここかな?」
どうせなら病院の名前を聞いておけばよかった。
まあ近くに市立病院は無さそうだし、ここで合ってるだろう。
「すみません、レッ……赤巻 智世さんの病室はどこですか?」
受付で聞いてみると、ほがらかな笑みを浮かべた優しそうなナースさんが対応してくれた。
「あら? 智世ちゃんのお見舞い? 珍しいわねぇ、ここ数年お見舞いに来る人っていなかったから、きっと喜ぶわ」
数年? そんなに長い間入院していたのか。
だったらなおのこと異世界なんて行くべきじゃないな。病気が治っても、体力や免疫力なんかは落ちたままだろうし。向こうで病気になったら原始的な治療法しかないから、致命的だ。
ゲームや物語のような、傷や病気を治す魔法なんて存在しないのだから。
「智世ちゃんの病室は1025室よ。知っているかもしれないけど、今日のお昼から手術に入るから励ましてあげてね?」
「はい。ありがとうございました」
病院の案内図を頼りに歩く。
ううん、なかなか複雑で迷いそうだ。迷宮を攻略した俺が言うんだから間違いない。
1025、1025……隣の建物だった。そりゃ見つからないわ。
「ここだな、名札もあるし……」
コンコン、とノックを二回。あれ? 二回はトイレの時だっけ? まあいいや、受験の面接じゃあるまいし。
「待っていた、伊海くん。鍵は開いている」
「そもそも勝手に鍵かけられないだろ、病室って」
そもそもなんで俺だって解ったんだ? なんにせよ大丈夫そうだから入るとしよう。
ガラリとスライドドアを開けると、ベッドに横になった智世と、昨日も見た母親。それに白衣の先生がいた。これ本当に入ってよかったのか?
「君が伊海君か……」
「え?」
なんで病院の先生が俺の名前を知ってるんだ? まさか異世界のこととか馬鹿正直に話したんだろうか。だとしたら厄介なことになりそうなんだが。
「人が来る度に、今のセリフを言っていたんだよ赤巻くんは。早い段階で来てくれて良かったよ」
「先生、バラしたら折角の演出が台無し」
「大丈夫だ、なんとなくそんな気はしてた」
果たして何人に「待っていた伊海くん」と言い続けていたのか。
でもそれもあってか、昨日ほど母親からの視線が厳しくない。今日は普通の服を着ているというのも大きいな。異世界の服はガーランド袋に入れて腰のベルトにくくり付けれられている。
「では赤巻くん、またお昼に。大丈夫だよ、私を信じておくれ」
「ボクは運命に身をゆだねるだけ」
「は、はは。そうかい? じゃあまたね」
苦笑いを浮かべて先生が退室した。どうやら厨二病はお医者様でも打つ手が無いようだ。
「お母さんも、もう行くわね? また手術の前には戻ってくるから、大人しくしてるのよ」
「大丈夫」
「……」
最後に俺を一瞥して、母親も出て行った。怪しんでいる男と二人きりにしてまで出て行くってことは、なにか用事があるんだろうな。
でもそんな睨まなくても変な真似はしないっての。
「昨日ぶりだな、赤巻」
「レッドスパイラル、あるいはアカシックレコードと」
「さすがにそれは勘弁してくれ」
冗談で言う程度ならまだしも、普段からそんな呼び方なんて恥ずかしくてできるかっ。
「じゃあ智世と。苗字は、イヤ」
「なんで?」
「ボクを苗字で呼ぶ人は、みんな上っ面の笑顔を張り付けて話しかけてくる。名前で呼んでくれる人は、優しい顔で接してくれる。だから苗字で呼ばれるのは、好きじゃない」
そういえば受付で会った優しそうなナースさんは「智世ちゃん」と言ってたな。そして医者の先生は「赤巻くん」と。
仮面の笑顔と心からの笑顔を見抜いてるってことか?
「わかった。まあ異世界では名前呼びが普通だから、俺も楽でいいかな。たった二ヶ月で馴染んじゃってさ」
「そう、異世界。話聞かせて? なぜ名前呼びが普通なの? 風習?」
「向こうの人には10種類しか苗字が無いんだよ。だから名前で呼ばないと誰が誰かわからなくなるんだ」
「どうして10種類?」
「それはだな、魔導師ってのがいて--」
ピーピー……と無機質な電子音が鳴った。
「時間」
「そうか」
たくさんのことを話した。3回目ともなると慣れたもので、余すことなく伝えられたと思う。
異世界の楽しさと、それ以上に恐ろしさを。
田中や両親にも伝えなかった戦争の可能性についても、しっかりと伝えた。
あとは智世がどう答えを出すか、だ。
「お待たせ、赤巻くん。大丈夫だね?」
「うん」
「智世。お母さん、お仕事休ませてもらったからね。お父さんもすぐに来るわ。終わるまで、ちゃんと見守ってるから……がんばるのよ!」
「……うん」
先生と助手の数名が移動用の台車を部屋の中に運び込む。
手術が始まるんだな。結局なんの病気でどんな手術をするのかは聞いていない。
「答えを聞くのは手術が終わってからでいいのか?」
「ううん、今でいい。ボクは……」
智世が助手の先生に抱えられながら俺を見て、次に母親を見た。
「ボクは、行かない」
「うん、それがいいと思う。安全な道を見つけたら、また誘いにくるよ」
「待ってる」
俺は夢と家族、両方を選んだ。だけど帰り道が見つかる保証が無い以上、夢を選んだと言える。
智世は家族を選んだ。
どっちの選択だ正しいとかは、誰にも決められない。俺達はそれぞれ、自分の答えを出したのだ。
「なんの話?」
「ボクが、お母さん達とずっと一緒にいたいって話」
「っ智世」
母親が智世を抱きしめた。
「大丈夫よ! ずっと一緒! 難しい手術じゃないって先生も言っているわ! 絶対に大丈夫よ!!」
「うん」
ちょっと母親の方は意味をはき違えているけど、大した問題じゃない。言っていること、思っていることは同じだと部外者の俺にだってわかる。
「結果も気になるし、終わるまで俺も待ってるよ。頑張れ」
「ありがと」
智世が運ばれていく。
それを追っていく直前に、母親が俺に会釈をしていった。さてどんな評価に落ち着いたのか。
手術が終わるまで4、5時間か。
難しい手術は10時間以上かかるって聞いたことがあった。医者も簡単な手術だと言っていてようだし、きっと大丈夫だ。
黙って待つにはちょっと長い時間だけど、窓から見える日本の風景を眼に焼き付けておくとしようかな。
それから1時間後に父親を名乗る人が来たので、もう手術室に行ったと伝えた。
3時間後に、いつ向こうに戻ろうかと持て余した時間で予定をたてた。
そして5時間後。
手術が失敗したという知らせを受けた。




