すっぱい
小さな鳥だ。
ツバメより一回りくらい小さい。形としてはセキレイに似ていて、肩をすくめているような、ぽっちゃりした可愛い姿をしている。
そんな小鳥が電撃の前に飛び出した。電線に掴まってるからって鳥に電気への耐性がある訳じゃない。焼き鳥になるだけでは済まされないぞ。
バチンっと激しい光が迸る。
だが覚悟していた痛みと死はやってこなかった。俺の心配と不安をよそに、小鳥はとぼけた顔でクチバシをカツカツと鳴らしており、そのさらに先で陛下が黒焦げになって死んでいた。
もう一度見る。陛下が黒焦げになっていた。殿中でござる!
「まじでか」
何が起きていたのか光でさっぱり見えなかったが、この小鳥が何かをしたとしか考えられない。
様子がおかしいと気づいたのか恐る恐る顔を上げた琴音も、状況の変化について行けず頭上にハテナマークを浮かべている。
小鳥がぴゅーっと飛んできて、座ったままの俺の膝上にチョコンと乗った。感じる雰囲気はどこか誇らしげだが、こいつは果たして安全なのか?
なにせ一撃で陛下を倒したくらいだからな。どうやったのか、なぜやったのか分からない以上、気が付いたら黒焦げにされていても不自然じゃない。とりあえず友好的にいくか。
「助かったよ。ありがとう」
そう言って指先で首元を撫でると、小鳥はチチッと鳴くと満足した様子でふっと消えた。何の痕跡もなく。
危害を加える気もなく、ただ助けに来てくれただけだったのか。本当になんだったんだろうか。
「最近の動物は凄いだな……」
「そういう問題かなぁ、これ」
でもドラゴンがいたんだから、電気を飛ばしてくる虎や、その虎を黒焦げにする鳥が居たっておかしくないだろ。
琴音は納得できないのか、複雑そうな表情で何やら考え込むと、窺うように言った。
「悠斗君って、小説とか読む?」
何で急に小説? うーん……文字ばっかりの本って読んでると眠くなるんだよな。ドラゴンについて調べるのに文献とか読むことはあったけど、最後まで読むのが大変だった。途中で寝ちゃうから。
だが琴音は真剣そのものだ。どういう意図か、彼女にはきちんとした理由があるんだろう。
「小説は読まないかな。どうして?」
「インターネットで無料で読める小説のサイトがあってね? 私よく読んでるんだけど、そこで流行ってるのが、異世界を舞台にしたものなの。高校生なんかが飛ばされちゃったりして、そこで活躍する話」
…………あ、そういう事か。ここがその異世界じゃないかと思ってるんだな?
いや、さすがに無いだろ。確かに不思議空間を通ってきたけど、異世界なんて有り得ない。ドラゴン調べてればファンタジーいっぱい夢いっぱいの話なんかも聞くから、異世界の概念くらいは俺だって知ってるよ。
異世界ってのはつまり、地球みたいのが他にもあるってことだろ? 地球がどれだけの奇跡の上で生物が生まれる環境になっていることか。しかも同じ宇宙じゃなく、別空間なんて謎の理論の中にだ。
「あり得ないだろ。常識的に考えてさ」
何故か琴音がものすごいショックを受けていた。
ドラゴン探してた人に常識とか言われた……とか呟いて。おい、失敬だな。常識知らない奴だと思ってたのかよ。
「で、でも。あの回廊が異世界に繋がってて、あのドラゴンはこの世界から迷い込んでいたんだとしたら、つじつまが合うと思うの!」
「だからさ。異世界なんか存在する訳ないんだから、つじつまも何もないだろ。そんなの空想、物語の話だろ」
そしてなんで悔しそうなんだよ。俺に常識を諭されるのが、そんなに釈然としないのか。
「待って、ドラゴンだって物語の存在なんだから、異世界があってもおかしくないんじゃないかな!? ドラゴンの体の構造だって、私達の常識的にはあり得ないんだし」
そう言われると、そんな気がしてきた。
そうなんだよ、羽あるけど、あの巨体で空なんか飛べる訳ないんだよ。そもそもあの大きさからして不可解。クジラのように水中ならともかく、地上であんな巨体で活動するのは不可能だ。自分の体重で死ぬ。
だが異世界なら……魔法とか魔力とか、そんな不思議パワーが本当に存在するのなら、あるいは。いや、でも異世界って。
「もしここが異世界なら、ドラゴンとかウジャウジャいるのかも」
「ここは異世界だ。間違いない」
そうだよ。いくら探してもドラゴンが見つからなかった地球なんか、もう知らん。ここは異世界。ドラゴンがいて当たり前の世界。なんてことだ、夢が広がる。胸が躍る。あの頃の情熱が湧き上がってくる。俺は今日、常識を捨てる!
これでやっぱり地球上の秘境でしたとかだったら心折れるな。
「差しあたって、まずは生きて森を出ないとな。あんなモンスターが普通に出てくるとしたらヤバすぎる。昔やってた、蘇った恐竜から逃げ回る映画みたいなものだからな」
「え……あの映画すごく怖かったのに」
残念ながら、今の俺達は観客ではなく当事者だ。主人公ポジションなら生き残れるんだろうけど、脇役だったらどうしよう。
「って言っても体がまだ動かないんだけどね。参考までに、その小説では、異世界に放り出されたらどうするの?」
「モンスターとか盗賊に襲われてる人を助けて、町まで連れて行ってもらうのが多いかな」
襲われてたの俺達じゃん。
ようやく体の痺れも抜けてきたので、どうにか立ち上がって歩き出す。痺れている間に新手が来たらと気が気じゃなかったけど、まだ運は残っているらしい。
最大限周囲を警戒しつつ、急ぎ足で探索を進める。ゆっくり行った方が確実だろうが、そろそろ日が沈みそうなのだ。こんな森で夜を明かすのは可能なら避けたい。危険な動物が接近しても命の恩ドラゴンにして相棒のオル君が教えてくれるが、肝心の俺達が寝てたんじゃ流石のオル君もどうしようもない。
またあの小鳥が助けてくれる保証もないしな。
そんな不安を肯定するように、木々の隙間からかすかに差し込む光はどんどん横向きになり、赤みを増していく。そして森を脱出する目処は未だ立っていない。
ますます急がなくてはならない俺達だが、一本の巨木の前で足を止めていた。
木の根の間に大きな窪みを見つけたのだ。俺達二人が隠れられそうな。
「どうしよう?」
琴音が尋ねてくるが、森の中はもうほとんど真っ暗だ。むしろ隠れる場所が見つかったことを喜ぶべきなんだろう。
多少窮屈だが、なんとか二人とも窪みに入れた。
「一応一息つけそうだし、腹ごしらえしとこうか」
バッグから途中で手に入れた赤い木の実と青い木の実を取り出す。木が大きいもんだから、一つずつしか手に入らなかった。
お腹が空いていたのか琴音の顔に喜色が浮かぶが、すぐに不安そうに眉をハの字にした。
「食べれるのかな……」
まあ気になるよね。毒の有無なんか分かりっこないんだから。ここには図鑑も無ければ、地球での常識も当てにはならない。
だが俺達には彼がいる。
偉大なるサンドアーマードラゴン(※アルマジロトカゲ)のオル君が!!
「さあ、野生の本能で毒の有無を教えておくれ」
木の実を二つに割り、それぞれオル君の鼻先に近づける。まずは赤い木の実。くんくん……ぷいっ。次に青い木の実。くんくん……あーん。
木の実を食べられる前に引っ込め、ポケットからオル君の餌を出す。
「おっと、オル君のゴハンはこっちだよ」
「あ、良かった……毒見させるのかと思ったよぉ」
俺がオル君にそんなことさせる訳ないだろ。毒見は俺がやる。ま、オル君のジャッジは今日まで百発百中だから心配はしてないけど。
シャクシャクと青りんごに似た木の実を租借する。
「うん、青いのは熟してなかったからか。すっぱい。でも食べれないほどじゃないから、はい」
しかし琴音は差し出した木の実を受け取らず、悲しそうに目を伏せた。
「ごめんね……悠斗君ばっかり頑張って、私なんの役にも立ってない」
そんなこと考えてたのか。
膝を抱えて小さくなる琴音の姿に、俺は少し呆れていた。危ない場所にいきなり投げ出されて、モンスターに襲われて。そんな状態で普通の女の子がどんな活躍をできるって言うんだ?
というか俺もそんなに役に立ってないんだが。
「最初、ドヤ顔でビニール袋に草入れてたけど、食べれる果物見つけたから、あれ意味無かったよな」
「へ?」
知らなかっただろう。実は今このバッグの中、めちゃくちゃ葉っぱ臭いんだぞ。
「虎を倒したのは小鳥で、あいつが来なかったら全滅だったし、果物が食べれるのはオル君のおかげ。そもそもオル君が教えてくれなきゃ、最初の襲撃でモンスターにやられてたな。あ、オル君は俺の相棒で、ペットじゃないから、オル君の手柄はオル君のものだぞ? あらいやだ、俺ってば全然役に立ってないじゃん」
ようやく俺の言いたいことが伝わったのか、琴音の顔から悲壮感が消えた。
そうだよ。俺達二人とも、こんなちっちゃな動物達に助けられてる役立たずなんだよ。
「役立たず同士、なけなしの力あわせて生き残ろうな。ほら、食える時に食っとこう」
差し出した木の実を、琴音は今度は受け取り、俺と同時にかぶりついた。
「「すっぱい!!」」