影話・世界を壊してしまうような
「む……ユート達はどうした? 訓練所か?」
「ケイツ様」
早朝に届いた情報を手にアンナの元にやってきたケイツは、そこの悠斗と琴音の姿が無いことに首を傾げた。訓練が始まっておよそ一週間。当然、今日もアンナの冷たい指導のもと、ボッコボコにされていると疑わなかったのだ。
だがその当人達は、ちょうど王都への帰路についた所だった。
「お二人でしたら、昨日ギルドに登録されましたので、今日は早速依頼を受けると朝早くから出かけられました」
「なに!? まだ一週間かそこらだろ……であろう?」
「普通に話してくださって結構ですよ。今は陛下もおられませんし、私の前で猫をかぶる意味は無いでしょう?」
「……それもそーだな」
ケイツがこの城にやってきたのは10才の時で、その時すでに見習いとして働いていた当時7才のアンナとは、以来19年の付き合いだった。余談だが、ケイツの初恋アンド初玉砕の相手でもある。
「で、だ。早すぎんだろ、オレは剣術のこたぁ分からんが、一週間じゃ基礎がせいぜいじゃねーのか?」
「基礎ができれば十分です。人間とのみ戦うと言うのならばまだまだ教えるべき事はありますが、彼の敵は当分は餓獣でしょう? ならば型など当てはまりません」
人間相手ならどんな魔法を使ってくるにせよ、おおよそパターンは限られてくる。となれば対処法のノウハウもあるというものだが、餓獣が相手ではそうはいかない。
普通の獣のように牙で噛みついてくるものもいるが、そうと見せかけて口から何を吐き出してくるか分かったものではないし、牙が伸びたりする個体までいる。毛に触れると毒を受ける個体や、目を合わせると麻痺する個体。果てにはそもそも姿が見えない個体だっているのだ。下手な技術は視野を狭め、命取りになりかねない。
「餓獣との戦いは臨機応変。残念ながらそれは教えてどうにかなる物ではありません。もちろん、まだ剣の振りはなっていませんし、周辺の把握や重心のコントロールなどは未熟そのものですが、それらも一度教えた以上あとは反復練習と実戦経験で伸ばすもの……私はもう助言以上のことをするつもりはありません」
百聞は一見に如かず、とは実に真理を射た言葉だ。最初の説明ではまるで意味が分からなかったことが、実際に経験した後にもう一度聞くとすんなり理解できてしまう。
悠斗はすでに説明を受け、多少だが練習もした。あとは実戦を経ることで、今まで漠然と理解していたことが吸い込まれるように身につくことだろう。
「ばっかやろう。その実戦がくせものなんだろうーが」
「野郎……?」
「こ、細かいことで怒んなよ……。じゃなくてだな、いくら練習でうまくできても、本番はそーもいかねぇだろ? ましてや餓獣共は躊躇なく命を狙ってきやがるんだ……一瞬の身のすくみで死んじまうかもしれねー」
ケイツにとって、悠斗と琴音は希少なオリジンという以上に、いわば大事な預かり物の様なものだった。
先代の王から保護し、帰してやるべしと命じられている為。そして彼らを守って殉死した部下達に報いる意味でも、死なれてしまっては困る。そうでなければケイツもここまで心配はしなかった。男がびびってんじゃねーよ、と背中を叩いて放り出していたに違いない。
「せめて護衛をつけるべきだったんじゃないか?」
兵を動かすには軍のトップであるケイツの許可が要る。そんな申請をされた覚えがないということは、誰も側についていない、ということになる。もっと安全に、もっと確実にできただろうと、ケイツはアンナに非難の目を向けた。
「邪魔です」
「な……オリジンを過大評価すんじゃねぇ! 魔力の量以外、ただの小僧と小娘だぞ!?」
オリジンは確かに強い。1200年前、人類を滅ぼす寸前だった餓獣のことごとくを撃退した実績は現代の魔法士が何千、何万集まろうが不可能だ。事実として近年、少しずつだが餓獣によって人間の領域が侵食されつつあり、200年後には人類は絶滅すると論じる学者さえいる。
そんな彼らと同じ属性を受け継ぎながら、餓獣を抑えきれない理由はただ1つ……魔力の量が違うからだ。属性に強さは無く、魔力の量で魔法の威力が変化する。つまりオリジンが強いのは全ての原点であるオリジンの魔力が一番多いからでしかない。
オリジン級の魔力を手に入れた襲撃者アンゴルが琴音に勝利している事も、それを証明している。
悠斗たちは魔力の量以外、自分達と変わらない。魔法を発動する間も無く不意打ちされたら、人質をとられたら、毒を仕込まれたら……彼らは簡単に命を落とす。無敵なのは、真正面からの魔法の打ち合いをした場合だけなのだから。
「ユートの奴にいたっては相手が魔法を使ってくれないことには、魔力を持たない人間と同じなんだぞ? わかってんのか?」
「わかっていないのは貴方の方です」
すぐにでも兵を向かわせて保護させようと考えていたケイツに、アンナは呆れたように呟いた。
「貴方はユウト様を過小評価しすぎているようですね」
「あ?」
そう言われ、ケイツは悠斗の姿を反芻した。
この一週間、互いに忙しかったこともあって会う機会はあまり無かったが、全く会わなかった訳でもない。会う度にドラゴンの話をしてくる、少し変だが悪い奴ではないというのがケイツの認識だ。目標に向かってがむしゃらに努力する様には好感も持てる。目標の内容がイカレてるとしか思えないが。
だが戦う男、というイメージは持っていなかった。体つきも細く、ドラゴンについて語っている時の表情は、騎士に憧れる少年のようにキラキラと盲目的だ。現実をわかっていないガキ。それがケイツの出した結論だったが、アンナの認識は違った。
「彼は故郷でも野生動物と命がけで戦った経験があるそうで、戦う上で一番最初に要求される物を既に持っていました」
「……だが野獣と餓獣は違う」
「同じです。自分を殺そうとするモノを殺す。殺される覚悟の無い者は敵の攻撃に怯えて死に、殺す覚悟の無い者は攻撃をためらって死ぬ。その初歩にして最大の関門を彼は既に突破していました」
違うのは敵の強さのみ。だがそれは選べるものではない。もしケイツが言うように護衛をつけたとして、その護衛より強い餓獣に遭遇すればそれまでだし、護衛が外れた後に強い敵に遭遇しても同じことだ。
「けどよ、そりゃやっぱり本人の実力あってこその話じゃねーのか? いくら心構えができてようと、倒すだけの力がないんじゃ意味がないだろう」
「心配しなくとも、彼は強いですよ。本人は魔法の便利さでコトネ様に負け、剣術で私に負け……自信無さそうでしたけどね」
クスクス、とアンナは笑った。おかしかった。彼は自分が弱いと思っているのだ。
あんな化け物のくせに。
「剣術に詳しくない貴方に、参考までに教えてあげましょう。剣とは、一週間程度で学べるほど浅くありません」
基礎、と一言でいってしまえばそれまでだが、それを実戦で使えるまでに通常何か月かかることか。才能の無い者なら、何年もかかったとして何もおかしくはない。
「なにより過小評価していると思うのはですね、魔法です」
「魔法? 魔法を食って吐き出すんだったな。魔法を奪われた状態で、何倍にも増幅された魔法を跳ね返されるってのはゾッとしねーが……対策なんていくらでも思い付く程度の魔法じゃねーか」
「やっぱり過小評価していますね」
これは私の予想に過ぎませんが、と言い添え、アンナは悠斗の呼び出す青い小鳥に思いはせる。
話を聞いた限り、あの小鳥が食べるのは魔法だけではない。餓獣の体質による能力も食べることができる。そしてジルとは小鳥の名前であって、EXアーツの名前は〈理を喰らう鳥〉。
さて、理とは一体どこからどこまでを指しているのか。
「あの魔法は、そんな程度のものだとは思えないのです。もっと……もっと恐ろしいものですよ、きっと」
そう、それはきっと……世界を壊してしまうような恐ろしいモノ。