こんな世界が、壊れていないわけがないだろ
約1200年前にも来たことがある、原初の塔の最上階。
周囲をグルリと石柱に囲まれた、厳かな聖域のような空間で、その中心に置かれた祭壇の上にテロスはいた。
「やあ、来たね父さん」
テロスの姿は最後に見たものとは違っていた。いつも身に着けていた黒いローブは脱ぎ捨てられていて、あどけない少年のような顔がさらけ出されている。その足は鳥脚。その背には緑と赤の光を放つ光翼を広げて。
祭壇からは光があふれていた。だけどその光は、ただ零れ出した物にすぎない。あそこに溜め込まれた力が解放された時、この世界は消滅するのだろう。
「リゼットは、死んだぞ」
「そうだね。予定とは違ったけど、まあいいさ」
興味は無いと、そう告げるような明け透けな態度だ。俺も、それを伝えてお前が殊勝な反応を返すと思ってた訳じゃない。
「もう十分だろ? もう、俺はこれ以上苦しみようがない」
リゼットを失ったこと以上の悲しみなんて、きっと無い。世界が滅びたとしても、彼女の命が失われた時以上の喪失感を感じるとは思えない。
「十分だって?」
だけどお前は、それでも満足しないんだろうな。いや、きっと満足するボーダーラインなんて最初から存在しなかったんだろう。俺が、何をしようとリゼットを追い詰めたテロスを許せないように。
「十分なもんか。もう世界を消し去る儀式は完成する。目の前で、何も守れなかったことを絶望しながら死んでいけ。その魂を食らって神となり、僕はこのくだらない世界を再生するんだ」
「この世界は、くだらない、か?」
「ああ、くだらないね。最初から壊れてたのさ。世界を創りあげた神が自分勝手な無責任野郎だった時点で、最初から間違いだらけだったんだよ!!」
テロスの表情がどんどん怒りに染まっていく。話していく中で一度は鎮火していたものが再燃していくみたいに、熱く激しく燃え上がっていく。
「僕が私怨だけでこんなことをしているとでも思ってるのかい!? 父さんが無責任だから、僕が代わりをしてやろうって言ってるんじゃないか!! 十分なもんか! 僕は見てきた! 父さんが放棄した世界で、人間たちの怨嗟の声を! 悲鳴を! 怒りを!! こんな世界が、壊れていないわけがないだろ!!」
そうだな。創世の精霊ジルは人類が現れ始めて間もない内に転生した。人間の汚い部分をそれほど見ない内から神の座を降りた。だけど俺は今人間だ。人間として、決してそんな汚い部分だけではないと断言できる。
「本当か? 本当にそれだけだったか?」
「それだけだったよ」
テロスをそう作ったのは、他ならぬ俺だったな。世界の滅びを求める声を聴き、それに応える精霊。そんな風に生み出された彼が、負の声ばかりに耳を傾けてしまうのは当然だった。そんな風に生み出しておきながら、それだけに耳を傾けるなと教える間もなく放り出したのは俺達だ。
「テロス。俺は人間が好きだよ。そりゃあどうしようもない奴もいるけど、そんな奴でさえ完全に孤独じゃない。この世界に本当の意味で独りぼっちな人間なんていないと思ってる。どんなに酷い人間にも、きっといい部分があるんだと思う。どこか放っておけない部分があるんだと思う。汚い部分だけじゃなく、綺麗な部分も見てほしいと思ってる」
「……なにを、言ってるのさ」
お前のこれからについてだよ。
琴音のこと、智代のこと、リゼットのこと……いやそれだけじゃない。大勢の人がテロスの行動によって苦しんで、そして死んでいった。それを許すことはできない。できないけど……それは俺にも原因があった。いや、俺にこそ責任があったと言っても過言じゃない。それほどまでに、ジルのテロスへの扱いはあんまりだった。
俺が悪いのに俺が断罪するなんていうのもおかしな話だ。だから正直、扱いかねていた。テロスとどんな決着をつければいいのか。伊海 悠斗して復讐すればいいのか。精霊ジルとして罪を受け入れればいいのか。あるいは--
その答えが、今ようやく出た。
「僕は人間が嫌いだよ。自分の欲望のためなら、平気な顔でなんだってする。ああ、父さん達が生み出した生物だなって思うよ。こんな人間のはびこる世界、壊れた箇所を直す気にもならない。お前らみんな消えちまえ!」
テロスが両翼を広げる。世界を掌握する、神の翼だ。
「儀式の完成まで、まだ少し時間がある。何か策があって来たんでしょ? でもさせない。まあ、手足の2,3本でも消し飛ばしてやれば大人しくしててくれるよね?」
テロスが酷薄な笑みを浮かべる。その威圧感はすさまじいの一言だった。もしジルと一体化せず、まともに戦うつもりでここに来ていれば、きっとこの瞬間に心が折れていたに違いない。
これが神と呼ばれる存在か。なるほど格が違う。
「テロス。もしお前が物語のような宿命の対決を思い描いているのなら……悪いけど、そうはならないよ」
「言ってる意味が分からないんだけど? ああ、まるで相手にならないって意味かな?」
戦いにならないという意味なら、その通りだ。相手にならない。相手をする気も無い。最初から戦う気で俺はここに来ていない。
「世界が命じる……消滅の権限を剥奪」
テロスが目に見えて動揺した。そうだろう。なにせ今まで当然のように自分の中にあったものが唐突に失われたんだからな。
「世界が命じる……育みの権限、並びに生命の権限を剥奪」
テロスの背から緑と赤の翼が失われ、バランスを崩したテロスが祭壇の上に転がった。なんの抵抗も受け身も取れずに転がる様は、まるで転んだ子供のようだ。だが事実、今のテロスには普通の人間の子供程度の力しか残っていない。
「なんだよ……何をしたんだよ!!」
「お前から精霊の力を没収した。もともと俺の物だったものを返してもらっただけだよ」
「ふさけるな! そんな能力、父さんには無かったはずだ!!」
わめくテロスだが、俺にはそれに構ってる余裕はない。時間が無いんだ。やるべきことが、まだいくつか残っている。
「世界が命じる……失われた肉体の再現」
何も無い虚空から突如として二人の人間が創造される。智代が言っていたようなアカシックレコードなんてものは存在しないから俺の記憶をベースに作ったものだ。多少スタイルが違うだとか、もっと胸が大きかったとか言われても許してもらうしかない。
「世界が命じる……貯蔵された魂の開放」
「あ、あああ……やめろ……やめろぉ!!!」
テロスの体から無数の光が舞い上がり、天へと昇っていく。あるべき輪廻へと戻っていくのだろう。だが2つばかし俺の手で確保させてもらった。その2つを、さっき作った人間の体へと融合させる。
「う、ううん? 悠斗、くん?」
「なぜに? 確かボクは……」
よかった。うまくいったみたいだ。他の魂は生きていた時代から大きく外れてしまっている。悪いけど、生き返らせてやることはできない。アンナさんも、できれば助けてやりたかったんだけど。
そしてリゼットは、既に魂が現世を離れてしまっている。残念だけど、悲しいけど、現世を離れた時点でリーゼトロメイアとしての情報は残っていない。そもそも彼女は不本意とはいえキチンと亡くなった。それを生き返らせるのは、やっぱり世界を歪めてしまう。
「今のは、創造の力? ありえない。だって世界にはもう空白が残っていないんだ。それも、これだけの奇跡……宇宙を半分消したって不可能だ!」
わかってるさ。不可能なら、可能なように創造すればいい。だけどぎゅうぎゅう詰めの世界に新しいものを入れたければ、今あるものを無くす必要がある。そしてこれだけのモノを創造するには、それ相応の代償が求められる。
そしてその代償を求められ、俺の体がサラサラと砂のように崩れ始めた。
「この世界を生み出した、創世の鳥。その存在は、奇跡を起こしてもお釣りがくるくらい大きかったよ」
11月20日、二話連続投稿をもって完結となります。