影話・魔女
「ここは、どこじゃ?」
意識を取り戻したリリアは途方に暮れていた。
亜空間に引きずり込まれたリリア。何もない空間が広がっていて、永遠にそこに閉じ込められるものと思っていたリリアの想像とは大きく異なり、そこにはむしろ、物であふれ返った世界が広がっていた。
「ワシは、ここを知っておるのじゃ」
見慣れているわけではない。だが、確かに見覚えがある。
「ユートの、コトネの、トモヨの世界じゃ……」
そこは以前訪れ、悠斗に案内された街並みそのもの。いや、ほとんど同じだが、そのものというのは少し語弊があった。
わずかな違和感を感じながらも、リリアは町を歩く。記憶を頼りに進んだ先は、悠斗の家があった場所。だがそこに記憶にある家は無かった。
「む? そこの者、ここに住んでおった者はどうしたのじゃ?」
「はい? ここは昔から空き地でしたよ?」
たまたま近くを歩いていた主婦らしきゴミ袋を持った女性に聞いた結果がそれだった。その言葉通り、悠斗の家があった場所に建物は無く、長い時間放置されていたであろう、荒れ果てた空き地があるだけだった。
「そういえば爆撃があったのであったな」
琴音が暴れた時、町にも大きな被害が出ていた。それで家が壊れて引っ越したのかもしれない。悠斗の両親が無事だったことは携帯電話で確認できていたが、家は無事ではなかったのかもしれないとリリアは考え、しかし違和感はぬぐえない。
最近引っ越したにしては、荒れ果てすぎではないだろうか。主婦も昔からだと言っていた。もしや未来に来てしまったのかと考え、周囲を見る。
「むしろ、過去かの?」
そんなにはっきり覚えているわけではなかったが、色々と以前の風景より新しく見える。電柱やガードレール、舗装された道など、どれも以前はもっと汚かったように思えたのだ。
だが爆撃で壊れて直したという可能性もある。真相をはっきりさせるため、リリアは琴音の実家でもある神社へと向かうことにした。
そして確認できた、黒の鳥居。
「やはりここは、過去のニホンじゃったか」
鳥居は悠斗が破壊した。ここが未来の世界なら、これは存在していない。
試しに鳥居に顔を突っ込んでみると、悠斗達の話にあった通りの回廊がそこにはあった。リリアは悠斗の血を受けている。それがオリジンしか通れない回廊への通行許可証になっていた。
「ならば話は簡単じゃ。元の世界に戻って、元の時間に戻ればよいのじゃからのう」
かっかっか、と笑いながら回廊を歩いていたリリアは、しかしすぐに引き返すことになった。途中で巨大なドラゴンが道をふさいでいたのだ。
何を言っても「ここは断じて通さん」と意気込むドラゴンに、リリアは這う這うの体で逃げ帰るしかなかった。
「うむむ。おのれピーチャンめ、ずいぶんと融通のきかん石頭に育ったものじゃ」
大きくなってはいたが、その姿と全身に纏った強化魔法からピーチャンだと見抜いたリリアだったが、残念ながら向こうはリリアにまるで気づいていなかった。1000年以上待ってようやく現れた初めての侵入者に、主人の命を果たす時と張り切っていてそれどころではなかったようだ。
「仕方ないのじゃ。悠斗が初めて異世界に来た時はピーチャンが留守だったという話じゃし、その時を待つしか無いのう」
それからは苦労の連続だった。
まず町中をフラフラと徘徊していたリリアは警察に補導された。見た目は10才、小学校に行っているはずの時間だったからだ。そして国籍不明、親も不明、戸籍も無いとなって大騒ぎ。しかし子供に事情を聴いても異世界から来たと意味不明なことしか言わない。
紆余曲折の結果、リリアには日本国籍の戸籍が作り与えられ、児童養護施設へと預けられることになった。
小学校に入学させられた1180歳は焦った。これから二年間をここで過ごし、さらに中学で三年間をほとんど同じ顔触れと過ごさなくてはならないと聞かされたのだ。5年もあってまったく成長しないとなれば、不可解なことこの上無い。
だがその心配は杞憂に終わった。
「まさかワシの体の時間停止が解除されとったとはのう」
思い当たるのは、オルシエラ軍を止めた時だった。その予想は当たっており、命を削るほどの魔力の放出はリリアの時間を止めていた魔力をも使用していて、その時からリリアの時間は再び流れ初めていたのだ。
順調に成長していく体と、1200年間聞いたことも無い新しい知識を楽しみながら、やがてリリアが日本に来てから5年の月日が流れた。
そして毎日の日課として、今日もリリアは神社へと向かう。悠斗達との再会を願って。
その日は唐突にやってきた。何年も、毎日毎日神社に通い続けたリリアの前で3人の子供が楽しそうに遊んでいたのだ。
7歳ほどの子供たちの姿に、リリアはすぐさま駆け寄った。一目でわかった。
「お姉ちゃんも、仲間に入れてくれんかの?」
もちろんこの子達はリリアのことなんて知らない。リリアも知らない体で一緒に遊んだ。やがて男の子が「森の中を探検しよう」と言い出した。
(この頃から冒険好きだったんじゃのう)
この森には怪獣がいて~などと空想の冒険劇を語る姿をほほえましく眺めながら、リリアは子供探検団の後に続く。そして探検団は黒い鳥居の前にまでたどり着いた。
危ないから、と止めようとしたリリアだったが、思い直す。ここで悠斗達はドラゴンと対面し、それが未来の流れへと繋がるのだ。止めることはできない。
しかしドラゴンと対面した時、やっぱり止めておけばよかったと後悔することとなった。
ゴチン、と石が当たって気絶する悠斗。泣きわめく琴音。全てを受け入れたような目で呆ける智代。これを一人でどうしろというのか、とリリアは頭を抱えるのだった。
「やめんかピーチャン! 父様はこんな子供の命を奪うことなど許さんじゃろう!!」
『イ、イリア様!?』
ピーチャンはリリアの顔は忘れていたが、姉のイリアの顔は覚えていた。成長したリリアの顔は、母親が違うとは思えないほど姉によく似ていた。
あんなに可愛がってやったのに、と苛立ちながらもリリアは語り掛ける。
「ワシは妹のリリアじゃ」
『おお、そういえば』
「この者達は迷い込んだだけじゃ。ワシが連れて帰る」
『そういうことならば……。ところで先ほどの「ピーチャン」とは?』
「おぬしの名前じゃ」
リリアは絶望的な表情を浮かべるピーチャンに背を向け、回廊を脱出した。そして悠斗の傷を治療し、両親の下に送り届けると再び回廊へと舞い戻った。
もはやピーチャンに襲われる心配は無くなった。回廊を抜け、異世界に戻ることができる。
「さらばじゃ」
世話になった人達を思うと心苦しくはあるが、帰れる以上、この世界に留まる理由は無い。この5年間は楽しかったが、向こうは1000年以上もの日々を過ごした故郷なのだ。
ポケットに入っちゃうモンスターズの新作は惜しいが、あまりこっちにいると堕落してしまいそうで恐ろしいというのもある。
異世界に戻り次第、リリアは迷宮都市シンアルを目指した。未来を変えようとする気は無い。琴音達の死は悲しいが、それがなければリリアがリディアと戦い、時間と空間を越えることも無くなってしまうのだから。
迷宮にたどり着き、リリアは杖を掲げる。
「タイム・トラベル。時よ、ワシを未来へ!」
たどり着いた戦場で、オルシエラ軍を止めようと必死で魔法を行使するリリアに手を貸して、塔を登っていく悠斗達の後を追う。みんなが戦っている後ろをコソコソと移動し、たまに早々と決着をつけた者にギョッと驚かれながらリリアは居住区へと戻ってきた。
ちょうど過去のリリアが亜空間に飲み込まれたところで姿を現す。リディアが驚いているのを無視して、リリアは亜空間へと時魔法をかけた。空間と時間が混ざり合い、過去の日本に流れ着くように。
「今度こそ、大きくなったわねぇリリア? イリアに……そして若い頃の私によく似ているわ」
「美人になったじゃろう? 中学ではマドンナだったのじゃからのう」
「チューガク?」
わかりはしないだろう。彼女は何もない亜空間に飛ばしたつもりなのだ。自分が死ねば解除される亜空間で、世界の滅びと再生を乗り越えて、新しい世界でもかわいい孫が生き延びれるように。それまでの間は亜空間で保護するために。
なぜリリアが成長しているのかも、なぜ亜空間から脱出しているのかも、彼女に何があったのかも、わかるわけがない。
「婆様の優しさはわかってるつもりじゃ。じゃが、それでもワシは小僧を信じておる」
「あら、そう。見た目ほど中身は成長していないみたいね? 何度でも言うわ。テロスには誰も勝てない」
「それを見届けるためにも、ワシは小僧を追うのじゃ」
リリアが杖の下……鋭利に尖った部分をリディアに向ける。
「ワシは時流の魔女、リリア・ラーズバード。過去も未来もワシの物じゃ」
自信に満ちた声で告げ、彼女は走りだした。杖の先端をリディアに向けたまま、まるで槍を構えた戦士にように駆ける。
その姿にあきれたような顔をしていたリディアだったが、リリアが亜空間の種の場所を回避しながら向かってきていることに気付き、動揺した。
わかる筈がない。亜空間の種は、肉眼で見えるものだはないのだから。だがリリアは確かに、正確にその位置を回避し続けている。
「だけど私には触れられないわ。この身の周りの空間は、異なる場所につながって--」
リディアの言葉が止まり、声の代わりに血を吐き出した。その胸には鮮血。
「ここ、じゃろう?」
リリアはリディアから東に30歩も離れた場所で杖を突きだしていた。その鋭利な先端は、ある空間を境にどこかに消え去っている。その行先は、リディアの胸……心臓の前だった。
「な、ぜ……?」
「何度も未来を見たのじゃ。何度も見て、実際に戦って、試して、何度もやり直して……。ようやく見つけたのじゃ。その歪められた空間の接続先をの」
リディアの胸に向けて突き出された攻撃は、歪んだ空間を渡って見当外れな場所から飛び出す。逆にその飛び出した場所に攻撃すれば、今度はリディアの胸から前方に飛び出す。ならばその出口の方の裏側から攻撃すれば? 答えは見ての通り、リディアの胸から後方……皮膚と肉を突き破り、心臓へと突き刺さる結果となった。
「婆様。もう守ってもらう必要は無いのじゃよ。ワシの方が年上になっておるのじゃからのう」
「あら……そう? さみしい、わねぇ……」
リディアの体がフラフラと揺れ、最初に座っていた椅子に倒れこむ。窓から差し込む光で、まるで日向ぼっこを楽しむ穏やかな老人のように、彼女は息を引き取った。
そこにタイミングを見計らったように、下層で戦っていたメンバーがやってきた。
リリアの成長した姿に驚きながらも、すべてのオリジンを全員無事に撃破できたことを喜び合う。そして誰からともなく、最上階への転移ポータルへと手を伸ばした。
「では行くとするのじゃ。あの日ドラゴンに憧れ、ついには世界を越えた、無邪気な少年の結末の未届けにのう」