影話・帝王
「--というように、余は辛く苦しい修行の日々を終え、ついに追い求めていた我が剣の神髄を得たのである!!」
「おおー……」
密林の中にパチパチと小さな拍手がひっそりと響いた。
「おもしろかった」
「ふはははは! そうかそうか! ではこの件は余の伝記として後世まで残るよう書き記し、帝都の書庫に保管するとしよう!!」
鬱蒼と生い茂った木々の中で、草の絨毯に腰を下ろして仲良さげに談笑する2人。彼らの素性を知る者が見れば迷わずこう言うだろう。お前ら戦えよ、と。
どうやらロンメルトが降伏を促すべく語り出した、自分がいかに強いのかという武勇伝が彼女……風を司る天波のオリジン、ゼノビア・ルッケンベルンのお気に召したようだった。
「英雄譚は、好き」
元よりギリシャの出であるゼノビアにとって、こういった伝説や武勇伝とは馴染みが深かった。彼女は一際そういった物語を好んでおり、なにかと大げさに語るロンメルトとは妙に波長が合うというか、利害が一致していた。喋りたがりと、聞きたがりのコラボレーションである。
「でも、ウソは嫌い」
誰でも一度は経験があるのではないだろうか? 学んだことを自慢げに友達に話した結果、それがウソだったと発覚して恥ずかしい思いをする、ということが。ゼノビアは信じていた。大英雄は試練を越え神となったし、とある島には迷宮に閉じ込められた牛男がいたし、見た者を石に変える怪物は鏡を使って倒されたのだと。それは伝説に過ぎないのだと大人達が言おうと、彼女にとってそれらは神話ではなく歴史だったのだから。
だけどそれが本当に真実どうか、誰にも明らかな状態に解き明かすことなどできない。だが、ロンメルトの語った内容が真実かどうかを確かめることは、そう難しいことではない。
「本当なら、見せて。あなたの、最強の剣」
「……よかろう。だが残念であるな」
「なにが?」
「余の剣は最強であるからなぁ。余の話をこうも楽し気に聞いてくれた者は初めてだというのに、この最強を証明するということは、すなわちそなたを斬るということであろう? 実に、残念である」
ギャリン……と金属のこすれる不快な音をたて、ロンメルトは背中に背負っていた大きな剣を抜き放つ。普通の人にとっては不快な金属音も、彼からすればこれから始まる戦いへの賛美歌にも聞こえた。だがゼノビアが不快そうに顔をしかめたのは、その音が原因ではない。
「むり。剣で風は切れないもの」
その言葉にロンメルトが剣で空を切る。その巨大な剣からは想像もつかない、ヒュッ--という風切音。
「斬れたではないか」
「? 切れてない」
「ふはは。いいや斬れた。斬れたが、すぐに元に戻っただけで、斬れた事は事実であろう?」
その屁理屈としか言いようがない理屈に、ゼノビアはため息を吐いた。非常に残念ながら、やっぱりさっきの英雄譚は愚か者の虚言でしかなかったのだと。
そして彼女は速やかに行動を起こした。さきほどの物語が楽しかったからこそ、それが嘘っぱちだったと証明するロンメルトの存在がわずらわしい。即刻消えてしまえと願いを込めた風の刃がロンメルトの首を狙い、唸る。
「ふっははははは!」
その豪快な笑い声とは不釣合いな、やはり巨大な剣を使っているとは思えない、繊細にして優美な、鋭い一閃。
霧散した風に銀色の前髪を揺らされながら、ゼノビアは静かに驚愕した。
「切っ……た?」
「火は、切ったからと冷たくなるわけではない。水は切ってもまとわりつき、剣を鈍らせる。地は硬い。切れるが、多少は苦労する。雷は切るとこちらも只では済まぬ。が、風ならば斬れる。まとまってこそ意味のある風ならば、斬り、流れをかき乱すことができる」
他のオリジンならばいざ知らず、お前には負ける気がしない。ロンメルトは遠まわしにそう告げた。もちろん本心としては、他のオリジンが相手だろうとさらさら負ける気は無いのだが。
案の定、ゼノビアはあからさまに機嫌を損ねていた。
英雄譚に憧れる者が、自分も英雄にと夢想することはそう珍しいことではない。格好のいい物語のワンシーンがあれば、主人公と自分を置き換えて妄想の1つもしたくなるのは世界も時代も関係無かった。生き物が呼吸をするがごとく、ゼノビアもまた英雄願望があった。
「勝てるつもり? わたしに……天波のオリジンに? 魔力も持ってない、普通のヒトが?」
彼女は人類の救世主、オリジン。押しも押されぬ英雄だ。そしてその称号に付随してきた「プライド」が刺激されてしまった。その剣呑とした目に、さきほどまでののんびりとした雰囲気は無い。
「逆に問おう。勝てるとでも? 余の、究極の剣に」
それが開戦の狼煙になった。
ゼノビアが右手に持った指揮棒を振ると、そのリズムに合わせるように風が舞い踊る。地表を滑り、空を駆け、風は無数の刃となってロンメルトに襲いかかる。
「ふは、は、は、は、はーーー!!」
ロンメルトの剣技はゲンサイとの修行の前と比べ、あまりにも変質していた。巨大な大剣をアシストアーマの力で豪快に振り回しつつも、決して剣筋がブレない積み重ねられた修練の現れ。だがロンメルト自身も忘れかけていたことだが、その戦い方はロンメルトの本懐ではなかった。
彼が初めて剣を握ったのは、およそ10になろう頃だった。住んでいた町を襲った餓獣を撃退するゲンサイの姿に憧れ、民を守る強い王の姿を思い描きながら、ロンメルトは剣を振り始めた。持ち上がりすらしなかった。彼は恐ろしく貧弱だったのだ。
悠斗とロンメルトが出会った時、ロンメルトは大剣を背負っていた。その理由は至極単純。軽い剣と貧弱な腕力では、いくら剣を当てても最弱の餓獣の薄皮すらまともに切れなかったからだ。大剣なら、当てさえすれば切れる。切れなくとも重みからくる衝撃で倒せる。だからまともに振れないことを承知の上で、ロンメルトは大剣を背に迷宮に挑んでいた。
そして出会った、琴音の成長魔法。強靭な肉体から放たれる重厚な大剣の一撃は強烈で、一撃で吹き飛ぶ敵の姿にロンメルトの体は震えた。さらにアシストアーマによって魔法に頼らなくても大剣を振り回せるようになり、彼は単独で魔法士にも負けない剣士になった。
「力任せに振り回すことを、剣技などとは呼ばぬ。さあ、その目に焼き付けるがよい! これが「剣技」である!!」
剣閃が煌めく。ロンメルトの腕は、もはや視認できる速度を超えている。だと言うのに風を切る音はほとんど聞こえず、まるで紙をナイフで切るかのように軽やかに、しかし確実にゼノビアの風を切り裂いた。
「きれい……」
ゼノビアの目が奪われる。
当然だ。幼い日から10年。リリアに時間を止めてもらった部屋の中で10年。20年間血反吐を吐いて磨き上げた集大成。たかだか一年ほど、やむを得ず握った大剣を振り回していた頃とは比較をすることすらおこがましい。
ロンメルトの剣は、力任せの剛剣などでは決してない。貧弱な力でも持てる小さく細い剣で、それでも敵を倒すべく「もっと速く」「もっと鋭く」「もっと的確に」と振るってきたのだ。
幸いにして、アシストアーマのおかげで使い慣れてしまった大剣をも細剣のように軽々と扱える。そして彼は取り戻したのだ。本来の、幼い日から目指し続けたロンメルト・アレクサンドル=F=ガルディアスの剣技を。
剣が舞う。風が舞う。
ゼノビアの心が高揚した。
(すごい。魔法なんて使ってないのに、普通のヒトなのに)
努力だけで人とはここまで高みに登れるのかと。そしてゼノビアは確信した。これが「英雄」だ。自分が夢見た人達は、確かに存在したんだ。それらは決して幻ではなかったのだ、と。
(私も、そこへ--)
憧れていた舞台に立つ役者を見つけ、自分もその舞台に上がりたいと思うことは罪ではない。だが実際に登るには、それ相応の力量が求められる。それが自分にもあると信じて、ゼノビアはタクトを振るう。ロンメルトの剣技を支える足腰を封じるべく、回避のしようもない風が地表に吹き荒れた。
「ふっはっ!!」
ロンメルトが飛んだ。ジャンプして、それでもなお風圧に体を叩かれる。そこを狙い済まし、ゼノビアが風の砲弾を撃ち込んだ。
(すごい)
砲弾を、ロンメルトは斬らない。防ぎもしない。風に煽られながら、その風を大剣とマントで絶妙に受け止めて体勢を操り、砲弾を回避した。そして飛ばされるがまま微調整をし、ゼノビアの頭上へと迫る。
(すごいっ)
タクトを振り上げる。上空へと打ち上げるような風。そしてロンメルトはその風を、流れを切り裂き、羨望のまなざしを向けるゼノビアへと大剣を掲げた。
--あなたは、本物だった--
大剣の血を拭きながら、ロンメルトはゼノビアの最期の呟きを反芻した。
「もう少し、語らってみたかったものであるな」
剣を背負い、上へと繋がる道を急ぐ。上では師匠のゲンサイが、さぞや凄まじい戦いを繰り広げていることだろう、と。そしてリリアと悠斗の戦いも見逃すのは惜しい。
「いつの日か、余もそちらに行く日が来るであろう。その時に話してやれる英雄譚は、多いにこしたことはあるまい」