影話・女王
ぴちゃぴちゃと水滴の音が響く。
薄暗い、水路のような場所で、少女と女性が向き合っていた。少女の方は何故かガッカリした様子でうなだれていて、女性の方はそんな少女にどう対応すればいいのか迷っている風だ。
「雪、見れるって……楽しみにしてたのに」
「アタイに言われてもねぇ?」
雪のような少女、とよく言われるものの雪を見たことがなかったアルスティナは、この迷宮塔の草原階層の次は雪原階層だと聞かされていて、それはもう楽しみにしていた。が、雪原はカットされ、その次の水路階層が待ち受けていた。
雪原ならと今度は自分が戦うと約束した手前引き下がれず、彼女はこうして水のオリジン……紺碧のカッサンドル・ベルティーユ・サンドゥと相対することになった次第っである。
「ううん、まいったねぇ。アタシゃアンタを倒して先に行った連中を追いかけないといけないんだけど」
水面のように揺らめく青髪に、つり上がった目つき。ちょっと派手めの化粧といいキツそうな印象の強い、いわゆるドSの方の女王様を連想する女性だが、さすがにしょんぼり落ち込む少女に問答無用で攻撃を加えることは憚られるようだった。
「お嬢ちゃん、ここで大人しく遊んでるなら見逃したげるって言ったら、大人しくしててくれるかい?」
「だめ」
カッサンドルの言葉に、この場に残った理由を思い出したアルスティナが即座に拒否の意を示した。
「だめだよ。ティナはみんなの為に、ここでお姉さんをやっつけなきゃいけないんだもん」
「みんなって、さっきの連中かい? アンタみたいな子供を置いていく連中なんて、放っておきな」
実年齢で言えばこの世界での成人にギリギリ達しているのだが、その天真爛漫さから幼い子供だと思い込んでいるカッサンドルから見れば、彼女を置いて先に進んだ悠斗達は子供を捨て駒にするヒトデナシだ。ましてや、カッサンドルは悠斗達が「アルスティナならオリジンと戦って勝てる」と信じて置いて行ったとは夢にも思っていない。
そして今、さらにもう一つ勘違い。
「違うよ。みんなは、みんなだよ」
「? だから、さっき一緒にいた「みんな」だろ?」
「みんなもみんなだけど、みんなは、みーんなだよ」
みーんな、と言いながらアルスティナが腕を目いっぱい広げた。
「世界中の、みーんなのためだよ。だってティナは女王だもん。王様はみんなを守ってあげなきゃいけないんだよ」
アルスティナは自信を持って宣言した。それは少し間違っていて、少し正しい。彼女に王様のあるべき姿を語った者達は「国民」を守るべしと言いたかったのだろう。だが国の違いが人の違いだとは考えていないアルスティナからすれば、みんなとはつまり「みんな」だった。人や町はもちろん、動物や草花すらも「みんな」に含まれている。
「そうかい。なら、アタイはお嬢ちゃんの敵だねぇ」
「やめてくれないの?」
「やめてはやれないねぇ。そういう決まりなのさ」
カッサンドルは悪人ではない。見た目はキツそうで悪役風ではあるが、彼女とて1200年前にはこの世界の人々のために立ち上がり、この世界に骨を埋めた者だ。世界が消えてほしいわけはないし、子孫達が可愛くないわけでもない。
「アタイ達は、テロスに逆らえない。むしろ従うことが至福に感じられるようにされちまってるのさ。お嬢ちゃんに守りたいものがあるのなら、アタイを倒すしかないよ。アタイは、戦うって言うならお嬢ちゃんを殺さなきゃいけないんだからねぇ」
他のオリジンの過半数はテロスの洗脳を受けて、彼に心酔してしまっている。逆らえはしないが自分を保っているだけカッサンドルの精神は強いのだろう。だが、それならいっそ洗脳されてしまっていた方が幸せだったと彼女は思う。正気でなければ、目の前の少女を殺しても心が痛まずにすんだだろうに、と。
「悪いけど、手は抜けないよ。せいぜい頑張りな」
「うん」
アルスティナもなんとなくだがカッサンドルの心情を察して、うなずいた。
「目覚めな、水没神殿」
「頑張ろうね、純聖剣」
アルスティナの手に、少女には似つかわしくない片手剣が出現する。だがその装飾の美しさと清廉さは、彼女の内面を表すかのようだ。
対するカッサンドルは、その身を囲うように6本の石柱が出現していた。石柱の上には、神殿の屋根のような形に水の塊が浮かんでいる。
「光の剣かい? ならアタイの勝ちだねぇ」
アルスティナがEXアーツに魔力をそそぎ、その刃を巨大化させるのを見てカッサンドルは勝利を確信してペロリと妖艶に唇を舐めた。
その余裕を否定するように、アルスティナが剣を振るう。だが天井を貫くほどに伸びた光の剣がカッサンドルに届くことは無かった。いや、距離としては十分に届いている。だがカッサンドルを狙ったはずのソレは、目標よりも大きく左に外れた水路の壁を切り裂いていた。
「なるほどねぇ。魔力を込めた分だけ、どこまでも伸びる剣かい。しかも光属性……軍勢だって一振りで壊滅させられそう。見た目によらず凶悪なもの持ってるじゃないさ」
「……どうして当たってないの?」
アルスティナが自分のEXアーツを見て、不思議そうに首を傾げた。それに答えるように、カッサンドルの前方の空間が揺らめいた。
「アタイのEXアーツは、この石柱に囲まれた範囲内で水を自由自在に操れるのさ。そして、小難しい理屈はアタイにゃわかんないけど、光は水の中を真っ直ぐ進めないんだよ」
屈折。
誰もが小学校で習ったことがある、常識と言っても過言ではない現象。だが科学の浸透していない異世界では「理屈はわからないけど、そういうもの」でしかない。
「状況がわかるかい、お嬢ちゃん? アンタの攻撃は、アタイに届く前に曲がってどっかに行っちまう。そしてアタイの石柱がお嬢ちゃんを囲んだ瞬間、おしまいさね」
光は、光でしかない。もちろん目に見えるほどに圧縮固定された光になんて触れればただでは済まないが、無尽蔵に湧き出るカッサンドルの水を蒸発させるほどの熱量は無かった。
「ちなみにアタイの水は、別に神殿の範囲から出せないわけじゃあないよ?」
神殿内で生成された水の弾丸が、聖域を飛び出してアルスティナに向けて発射される。カッサンドルが水を自由に操れるのは神殿の範囲内だけだが、その中で生み出された推進力は外に出ても失われない。
「えい!」
アルスティナが軽やかに純聖剣を振り、水弾を切り裂く。その剣筋に狂いもブレもなく、意外とちゃんと訓練していたことが見て取れた。
「おや、やるねぇ。じゃあ今度は思い切って……この水路を水没させてやろうかね!」
ドバッと神殿が膨大な量の水を生み出した。生み出された水は神殿の範囲を出ても消えることは無い。あっという間にアルスティナの腰あたりまで水没してしまった。全身が沈むまで、おそらく数分も必要ない。
もちろんカッサンドルは水を操って水中でも無事でいられる。自分の周辺だけ水を退ければいいだけのことだ。
「んー……と」
「なにをやっても無駄よ、お嬢ちゃん。その剣の光は、この水の中では絶対にアタイには届かな--」
「当たった」
透明だった水が、真っ赤に染まった。
「な、んで……?」
カッサンドルの胸に、光の刃が突き刺さっていた。
水の中では、光はまっすぐ進めない。そのはずだ、と胸の光の先を辿ると……その光は何層もの水の壁を通り抜けるたびに屈折しながらもアルスティナの下へと繋がっていた。
「屈折、だよね? 知ってるよ? アンナに教わったもん」
アルスティナ付きの侍女アンナに成り変わっていたテロスがアルスティナに教えた内容は多岐に渡る。信用を得るためか、あるいはただの気まぐれか。聖霊から英才教育を受けたアルスティナは色々なことを学んだ。それは政治であったり、戦闘技能であったり、または異世界に浸透していない現代知識だった。
「入射角と、屈折角があるんだよね? 最初のでどれくらい曲がるか分かってたもん。計算するのに時間がかかっちゃったけど、正解だったからいいよね?」
カッサンドルの神殿が崩壊し、水の放出が止まる。それでも既に放出された水は消えることは無く、増水された水路で周囲を赤く染めながらカッサンドルは力無く倒れ、水に浮かんだ。
(とんでもないお嬢ちゃんだねぇ、セレフォルン王国の女王様は)
様々な意味で幼く青いが……優しく、賢く、強い。
(いい王様になるよ。シャルルマーニュのような、偉大な王にね)
故国を思い浮かべながら、カッサンドルは水に身を委ねて目を閉じた。もう不本意な目覚めを強要されないことを願いながら。