やっと
何を、言っているんだろう?
「殺せ。私は敗れた。言ったはずだ、これは命を賭けた決闘だと」
自暴自棄になっているのかと思ってリゼットの顔を覗き込んでみるが、そんな様子は無い。いつもの、清廉としたリゼットだ。敗北直後とは思えないくらい、凛とした姿は彼女らしい。
だけどその発言は、らしくなかった。
「憎くて戦ってたわけじゃない。そうだろ?」
「私はお前を……ユウトを殺す気で戦った。だというのに私は敗れたにも関わらず、生き恥を晒せというのか!」
「なんで……」
なんでそこまで頑なに? いや、確かにリゼットは「ど」が付くくらいクソ真面目だけど、ここまでだったか? まるで時代劇か何かで見た、気味が悪いくらい頭の固いサムライと話している気分だ。間違ったことをしたら、切腹か? リゼットの騎士道は、そんな感じではなかったと思うけど。
「俺は、戦うしかない状況なら迷わないって言っただけだ。こうして互いに生きて決着がついて、軍の戦いも終わってる。この状況で、なんで俺がリゼットを殺す必要があるんだ」
「け、けじめだ!」
けじめって……。本心からそう思っていないことは、本人が言いよどんでいるくらいだから理解の上だろうに。
「どうしたって言うんだよ。なんで、なんでわざわざ死にたがるんだ!」
訳がわからない。思い返せばリゼットの行動は訳の分からないことだらけだった。
明らかにテロスの傀儡と化しているオルシエラ共和国を、祖国だからと守ろうとしていた。その結果、世界が消えて無くなることを承知して。
俺達を一度は見逃したことから、彼女自身は戦いたくないのだということは確かなのに、逃げも隠れもせずに戦場に現れる。
そして全力で俺を殺しにかかってきて、あるいは自分が死にたがる。まるでどちらか1人しか生きることが許されないかのように。もちろんそんなことは無いということは、一度俺達を見逃していることからも分かる。
「お前は迷わないと言ったはずだ!! 殺せ!!」
「馬鹿にするなっ!!」
今は冷静になってリゼットを諭さなければいけない場面だとわかっているのに、その言葉に思わず声を荒らげてしまった。だけど彼女は俺の激高を勘違いしたようだった。
「ならば殺せ! 自分の言葉を証明してみせろ!!」
「それが馬鹿にしてるって言ってるんだよ!」
「……え?」
リゼットの表情がキョトンとしたものに変わった。やっぱり勘違いしていた。
「俺が、リゼットを、殺す訳が無いだろうが!! 迷わないって言ったのは、戦うかどうかをだ。お前がどれだけ本気で俺を殺しにかかってきていても、俺は何が何でも殺さずに決着をつけようとしてたに決まってるだろ!!」
リゼットと戦うなんて、それだけで耐え難い苦痛だった。それでも、戦わなければいけないなら戦おうと決めた。でも、殺すことだけは有り得ない。こうして拘束するための作戦を、何度も何度も考えた。俺も死なない、リゼットも死なせないために。
「俺は言ったはずだぞ! 俺は、リゼットが好きだって!! それが……それを、殺せると思ってるのか! 馬鹿にするな!!」
「ユウ……ト……」
こんなことを言ってると知られれば、琴音のお父さんに殺されかねないな。琴音のことは殺したくせに、って。あの時俺は町を、家族を天秤にかけて、琴音を切り捨てた。だけど幸いにして、リゼットの命は誰とも天秤にかけられていない。彼女を殺さなくても、誰も死なない。
「私は……」
どうして、そんな悲しそうな顔をするんだ。何がリゼットを縛りつけているんだ。どうして、俺に教えてくれないんだ。
やがてリゼットは空を仰ぎ見て、覚悟を決めた顔をした。何を……?
「アインソフッ!!!!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
リゼットの呼びかけに、アインソフが暴れ出した。足に纏わりつく大地を砕き、空へ飛び上がろうとがむしゃらに翼を羽ばたかせる。
「無駄だ! その拘束は鉄より固くしてある!」
俺の忠告など知った事かとばかりに、アインソフは暴れ続ける。だけど地面はビクともしない。当然だ、アインソフは飛龍。いくら世界最強の生物でも、空を飛ぶ生き物の脚力なんてたかが知れている。
「グオオオオオオオオオオオオ!!! ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
「な……ぁ?」
アインソフの巨体が舞い上がる。破れるはずのない拘束から解き放たれて。その足は、付け根から先が存在しない。
「足を、引きちぎって!?」
いくら主人の命令だからと、どうしてそこまで。俺がリゼットを傷つける気がないことは、お前なら分かっていたはずだ。なのにどうして。そして、そこまでして何を成すつもりだ。
自由を得たアインソフが、真っ直ぐリゼットに向かって飛翔した。助け出す気か? だけどリゼットの足もガッシリと固めてある。まさか同じように足を千切ったりはしないだろうけど、そうでもしなければ救出なんて不可能だ。
だけど次の瞬間、俺はリゼットとアインソフが何をしようとしているのか、理解した。
「辛いことを頼んですまなかった、アインソフ。さらばだ」
「ガゥゥ……」
やめろ、と叫ぶ暇すら無かった。
アインソフの牙が鎧を突き破り、リゼットの胸を鮮血に染める。
「リゼットオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
勢い余って地面に転がるアインソフによって舞い上がった土煙を掻き分け、駆けつける。土の拘束を解除して抱き上げたリゼットの体は、目をそむけたくなるほどの重症……いや、致命傷だった。
「なんで!? なんてことを!!」
想像もしなかった。アインソフに、相棒に自分を殺させるなんて。仮に命じたとしても、それにアインソフが従うだなんて。
リゼットの力無い手を握り、必死で問いかける。どうして、と。だけど彼女は、全然関係の無い話を始めた。
「私も、ユウトが好きだ」
なんで……なんで今それを言うんだ。なんで今になってっ!
「すまない……本当は、ユウトに好きだと言ってもらって、嬉しかった。その胸に飛び込んで泣いてしまいたいほど、嬉しかった。だが……それは許されなかったのだ」
「テロスか! あいつが何かしたのか!?」
やっぱりリゼットは本心から俺達と敵対していたわけじゃなかった。だとすれば、それを強要するような存在なんて1人しかいない。
「力を流し込まれ、しかし理性は奪われなかった。だがテロス・ニヒの性格を考えれば、何も仕掛けられていないはずが無い。アラン・ラーズバードはテロスを嫌っているようだったからな。聞けば、すぐに教えてくれた。私の体には、ユウトに味方した瞬間に発動するように『無』が仕掛けられていたのだ」
なんだ、それ? テロスが自分の傀儡を自爆させる時にやったような、アレがリゼットにも仕掛けられていたって? それじゃ、リゼットは俺と敵で居続けなければ死ぬようになっていたって言うのか。
「オリジン10人とテロスからは逃げられるはずも無い。どうやら自殺だけはできないように洗脳されているらしく、何度自分に槍を突き出そうとしても無理だった。テロスは私が何も知らずに喜び勇んでユウトの下に駆けつけ、ユウトの目の前で死ぬのが望みだったようだ……」
どこまで……どこまで腐ってるんだ、テロス。そのために、リゼットは逃げることも死ぬことも、俺達の所に帰ってくることもできず、裏切者を演じ続ける羽目になったていうのか。そんな下種な狙いのために、ずっと苦しんでいたっていうのか。
「だが……ふっふ……やはり死が確定している状態では、味方も何もないようだ。ゲホッ--」
「リゼット!! ……どうして、どうしてそう言ってくれなかったんだ!? 知っていれば俺は!」
「真実を話して救いを求めるのは、味方になることと同じだろう。何もせず、じっとしていることも考えたが、そうするとユウトは私が捕まっていると思って助けに来てしまうだろう? そんな状態でユウトに手を差し出されて、掴まずにいる自信が無かった」
今はリゼットの言うようにテロスの呪縛が発動しないのか、リゼットは俺の手を握り返してきた。だけどその力はとても弱い。とてもさっきまで力強く槍を操っていた手と同じとは思えないほどだ。
「自分が差し伸べた手を取って私が死ぬと、ユウトは悲しむと思ってな。だから……敵として、死のうと」
それで、リゼットは俺の前に立ちはだかったのか。俺を殺すために、自分に死の呪いがかけられていると知られないために。ただの裏切者として、俺に殺されるために。
どんな死に方だって悲しむに決まってるだろうに、ずっと悩んでいたのかよ。どうやって死ねば、一番俺が傷つかずに済むだなんて、そんなことを!
「だけど、すまない。どうしても我慢ができなかった。ゲホッ……どうしても……ユウト、お前の気持ちを聞いてしまったから。いや、だ……嫌われて、憎まれて、死にたく……ない」
「わかった! わかったからもう喋るな、じっとしてろ!」
リゼットがわずかにでも動けば、そのたびに胸の傷から血が噴き出す。くそっ、智世がいればこんな傷。智世の力は……命の聖霊メルの力は元々ジルの物だったはずなのに。
「アインソフには、悪いことをした。だけど、やっと好きだと言えた……やっと、抱きしめてもらえた」
「ああ、伝わってる! 何度でも抱きしめてやる! リゼットッ!!!」
腕に伝わる鼓動が、どんどん弱くなっていく。どんどんリゼットの温もりが失われていく。嫌だ……嫌だ!!
「ジル!! 助けてくれ、ジルッ!! 創世の鳥なんだろ!? 神様なんだろ!! リゼットを、リゼットを助けてくれええええええ!!」