なぜ、泣いているのだ?
「リ、リゼット? うそだ……」
「嘘は苦手だ。剣を抜け、ユウト」
正気だったはずだ。操られていなかったはずだ。なのにどうして、リゼットが俺に槍を向けているんだ。目の前の光景が理解できない。……理解したくない。
「どうしてっ……!?」
「私はオルシエラの騎士だ。この命、この魂は祖国に捧げると誓った身。たとえかつての仲間だろうと、ユウト……お前であろうと、敵となった以上は戦わねばならない」
何を馬鹿な。現状がわかってないのか? いや、そんなはずはない。聖地侵略という、この世界の人々の禁忌を平然と破ってみせたオルシエラ共和国の異変に気づかないなんて有り得ない。他国の人間ですら、その不可解な行動に驚いたくらいなのだから。
なら、理解していて、その上で俺達に武器を向けているっていうのか。
それこそ有り得ない、とは言えない。ひょっとすると、と思ってしまう程度には、リゼットは生真面目な性格だ。
だけど、じゃあ……戦えっていうのか? 俺にお前と戦えって言うのかよ、リゼット。
「無理だ。俺は……お前とは、リゼットとだけは戦えない」
琴音の時とは違う。俺達はすでに敗走していて、今この場で絶対にリゼットをどうにかする必要も無い。
なにより、俺はリゼットのことを--
「行け」
リゼットが槍を引いた。
「私も、ユウトとは戦いたくない。向かってくるというならばまだしも、引くというのなら無理に戦う義務もないだろう。だが、これが最初で最後だ。もう一度向かってくるというのなら、その時は私も戦わざるをえない」
その言葉を聞けば、強者が弱者を見逃してやる時の言葉に聞こえただろう。実際の所はどうだろう。テロスの力を受けていないのなら、その戦闘能力は俺には及ばない。卓越した槍術も、雷の魔法も、俺の魔導兵装をやぶることはできない。
それでも強者の物言いできるということは、リゼットは俺が反撃できないと確信している。そして、それはつまり、リゼットは俺に攻撃できるということだ。
俺にはリゼットを攻撃する覚悟は無い。だけどリゼットは……それを「できる」と言っているんだ。俺に攻撃することなんて、少し気が進まない程度でしかない、と。
「なぜ、泣いているのだ?」
「わからないか? わかって、くれないのか?」
「私は……」
確固たる絆があると思っていた。俺達が過ごした時間には、その価値があったと信じていた。
リゼットと、オルシエラで再会したらまた冒険をしようと約束してから、なんど夢想しただろう。彼女と過ごす日々を、時間を。そして思いを伝える瞬間と、その反応を。
そんなものは文字通り夢想に過ぎないのだと、そう言われた気分だった。
「もう、来るな」
俺の想いがどう伝わったのか、リゼットは悲しそうに表情を歪めた。
「見ただろう? あの戦力を突破するなど、逃げ回っても不可能だ。だからもう向かってこないでくれ。そうすれば私達が戦うこともないのだ。無駄に抗わず、最後の刻まで穏やかに暮らしてくれ」
そうか、やっぱり全部知ってるんだな。俺達が戦う理由も、このままでは世界が消えて無くなってしまうことも。知った上で、オルシエラの騎士であり続けることを選んだんだな。
ああ、くそ。さっきは安堵していたのに、今はいっそ操られてくれていた方が良かったかもしれないなんて、バカなことを思っている。
本人の口から、はっきりと告げれた。もう決して、俺達と肩を並べることは無いと。
「……見逃してくれて、ありがとう」
「わかってくれたか?」
「いいや」
ここでリゼットに攻撃されていれば、反撃はできないまでも俺は彼女に対抗するべき時間を割かれていただろう。そうなればオルシエラ軍に追いつかれて、連合軍が全滅していた可能性もあった。そうなれば俺は仲間を守るために、リゼットと戦う覚悟を迫られていたに違いない。
そうはならなかったのは、彼女が見逃してくれたからに他ならない。それは感謝しよう。だけど、それ以外は容認できない。
「逆だよ、リゼット。今すぐ田舎の牧場に帰って大人しくしていろ。そうすれば俺達は戦わずに済む。俺は……必ず戻ってくるぞ。あの軍勢を退けて、オリジン達を打倒し、テロスを止めるその方法を手に入れて必ずここに戻ってくる」
「ユウト……っ!」
言っても聞かない子供を叱るような声だ。だけどやっぱり俺は聞かないよ。世界の終わりまで逃げ隠れるなんてできない。戦うとどうかなんて選択肢は無いんだ。俺達が考えるべきは、どう戦うかだけなのだから。
「その時にリゼットに出会えば、俺も覚悟を決めるよ。なんと言われようと、誰が立ち塞がろうと、世界が消えることだけは看過できないんだ」
世界が無くなるということは、後に繋がるものが何もなくなるということだ。
たとえ死ぬとしても、その後には何かが繋がる。それは子孫であったり、想いだったり、歴史だったり。死んでも、何もかもがなくなる訳じゃない。死んで、その人がいなかった事になるわけじゃない。
だけど世界が消えれば、それらも全て消えて無くなる。悲しいことも、嬉しいことも、そういった思い出も全部だ。戦争で俺達に後を託して死んでいった人達のことも、夢を語って死んでいた友達も、死力を尽くして戦った敵も……この手で殺した琴音のことも、全部。
「それだけは、絶対に許さない」
俺の目を、リゼットは真っ直ぐに見つめ返してきた。その目には欠片の迷いも感じられない。
「私も引き下がることはできない」
その理由の本当のところはわからない。本当に騎士道に殉じるためなのか、それとも他の理由があるのか。少なくとも、人質を取れらる程度ならリゼットは迷わない。迷わず、テロスと戦うことを選ぶはずだ。あるいは俺達に協力を求めるはずだ。
そうしないというのなら、そうではないということだ。俺にはどうにもできない、彼女だけの戦う理由があるということだ。
「互いに迷わぬよう、ここに誓おう。ユウト……次に会う時こそ、私はオルシエラの騎士としてお前を討つ」
「……ああ、誓おう。諦める気はないけど、どうしても戦いが避けられなかったその時は、俺は迷わない」
互いに敵意は欠片も無い。だけど、俺達はこの瞬間に決別した。
リゼットがアインソフの手綱を引き、飛翔していく。俺もまた、撤退を再開した。俺は振り返らないし、リゼットもきっと振り返っていないだろう。
ふと脳裏に彼女の笑顔が浮かんだ。その隣で笑い合いたかった。手を取り合いたかった。共に竜に跨り、この空をどこまでも飛びたかった。
「さよなら、リゼット」
全てを置き去りにして、俺達はシンアルから撤退した。
総動員兵数50万。戦死者35万超。人類史上最大の決戦は、史上最悪の大敗北をもって幕を下ろしたのだった。