そのくらいできなくて、何が聖霊だ
「お、おい! どうなってんだよ!? なんで柊が攻撃してきてんだよ!?」
「琴音! どうしたんだい、しっかりしなさい琴音!!」
目を覚ました中田が騒ぎ、琴音のお父さんが呼びかける。だが琴音は泣きそうな顔をしながら、躊躇ない攻撃を仕掛けて来る。ちなみに智世の母親は起きたけど、またすぐに気絶した。
「アイツに操られていうんだ! くそ……ジル、テロスの魔力だけ食べたりはできないのか!?」
「あっはは、無理無理。そんな初歩的な部分を見落としてるわけないでしょ? これは1000年もの間練った復讐なんだよ?」
そんなテロスの嘲笑を肯定するように、ジルは悔しそうに一声だけ鳴いた。
いや、ごめん。わかっていたことだ。ジルはあくまでも「存在」を喰らって魔力に変えているんだ。琴音を喰うということは、文字通り肉体ごと琴音を食べることを意味している。
だけどなんとかしてテロスの魔力を抜き出さないと、琴音はいつまでも操られたままになってしまう。
「打つ手なんて無いよ。魔力っていうのは、聖霊が世界に干渉する時に必要になるエネルギーのことなんだ。そして僕が分け与えた魔力から姉さんに干渉していることや、EXアーツの形状が人それぞれなことからも分かると思うけど、魔力は魂と密接な関係にあるんだ。魔力に干渉するということは、魂に干渉するということ。廃人になってもいいなら、好きなだけ試してみるといいよ」
俺の考えなどお見通しとばかりにテロスが釘を刺してきた。そしてその忠告はきっとウソではないだろう。過去の世界でジルがテロスを喰おうとした時、ジルはテロスが溜め込んでいた魂のストックを喰らって、結果俺の魔力の総量が確かに増えた。
そういえばあの時から俺の身体能力も飛躍的に上がっているけど、それはひょっとすると魔力という分散した聖霊の力を回収したことで、俺が創世の聖霊に近づいた副産物だったのかもしれない。
もしかすると、世界中の魔法士や餓獣などから魔力を全て回収すれば、ジルは全盛期の力を取り戻すんだろうか? 完全となった聖霊なら、あるいは琴音を救えるのかもしれないけど、もちろんそれは机上の空論であり、倫理的にも物理的にも不可能だ。
「ふはははは!! 待たせたのである! これで余も戦えるぞ、ユート!!」
こうしている間にも絶え間なく飛んでくる琴音の子供達を防いでいる後ろで、ロンメルトはどうにかアシストアーマーを着こむことに成功したらしい。
「いや、やめといた方がいいよ王様。たぶん俺から離れた瞬間に窒息死する」
「な、なぬ!?」
なにせ空気まで支配下にあるのだ。あっという間に周りを真空に変えられてお陀仏だろう。
とりあえず自分から切り離さずに常に魔力を練り続けていれば、俺の魔法の支配権を奪われることはなさそうだ。ちょっとでも隙を見せれば裏切られるけどな。だけどそれが可能な範囲は、せいぜい俺の周囲半径数メートル程度が限界だ。
「じゃがこのままでは……」
「わかってる。持久戦は絶対にまずい」
俺は常に魔力を消費し続けているのに対して、琴音は特になにも消費していない。なにせ「お願い」をして子供達に戦ってもらっているだけなんだからな。
「ふうん? でも父さんの魔力なら何時間……いや、ひょっとすると何日も持ちこたえちゃうかもしれないよね? それはちょっと退屈だなぁ。退屈は嫌いだよ。もう2000年以上も退屈だったんだから」
打つ手も無く籠城する俺達を見下しながら、テロスが嫌らしい笑みを浮かべた。こいつ、何を考えてる?
「お、い。まさか……やめろ! やめさせろぉ!!」
俺達にもう一度攻撃しようと戻ってきていた戦闘機が、なにもせずに頭上を越えて飛び去っていく。だけどそれは攻撃をやめて帰還するためじゃない。違う目標に攻撃を加えるためだ。
そこに、更に10機の戦闘機が合流した。最初の一機はたまたま既に空に上がっていたから特別早かったのだろう。
そして町が爆撃の炎に包まれた。
「なんてことをっ!!?」
叫んだのは、琴音だった。心までは操られずに済んだようだけど、その結果、正気をしっかりと保ったまま、自分の能力で自分が生まれ育った町が壊されていく。その絶望感は、きっと俺では計り知れない。
「何を怒ってるのさ姉さん? どうせ壊れる世界だよ? 今死ぬか、後で僕に消されるかの違いだけじゃないか」
テロスはニヤニヤとした笑みを絶やさないまま琴音に語り掛ける。一見すれば言い聞かせ、説得しているかのようだけど、違う。これもアイツの復讐なんだ。俺達への、そして琴音への。
「そうだ! 次は太陽でも落とそうか? それともブラックホールをこの場に作る? いっそ地球を爆破するのも面白そうだね! ははっ、皆おかしな表情をしてるね。できるよ。できるさ! そのくらいできなくて、何が聖霊だ。何が神だ!」
テロスは、嬉しそうだった。俺達が苦しむ姿に、この上ない愉悦を感じている。それだけの恨みを貯めこんで生きていたのか。
そんなテロスに、無駄だと察しているだろうに琴音が懇願した。
「テロスくん、もう……許してよ。もう……」
「嫌だね」
それまで楽しそうにしていたテロスが豹変した。下らない、汚らしいものを見るような目で琴音を睨み、智世を睨み、俺を睨む。
「もっと苦しんでおくれよ。この1200年は、それだけを楽しみに生きていたんだから。夢ばかりみてる、希望ばかり追いかけてるクソ共から、ソレを奪い取ってやることだけを考えていたんだから。やめてほしい? 救いたい? 助かりたい? ……どんな夢でも見るといいよ。その全てを、僕が壊し尽くしてあげる」
狂気に染まった目だ。何があっても決して止まらない。止まる気が無い。目を見ただけで、それがはっきりと伝わってきた。
事実、こうしている間にも町は次々と撃ちだされるミサイルによって着実に焼き払われていっている。
そして遂に、琴音が限界を迎えた。
「もうヤダよぉ! 殺してぇ! もう殺してよぉ!!」
「バカなことを言うな!!」
そんなことは、それだけは、絶対にダメだ! まだ何も試していない。まだまるで足掻けていない。そんな短絡的に、安直に、命を諦めるなんて絶対にダメだ!!
「だって……あそこには悠斗君のお父さんやお母さんだっているんだよ!? 智世ちゃんのお父さんもいるんだよ!? たくさん、たくさんの人がいるんだよ!?」
父さん、母さん……っ。
「--だから殺せって言うのか!? 俺に、琴音を!?」
「そうだよ! ジル君なら、悠斗君ならできるでしょ!? お願いだから殺して!! もう耐えられないの! 私が人を殺させてることも、心が蝕まれるのに抵抗するのも!!」
心を?
「私が私じゃなくなっていくの! こわいよ、悠斗君……」
一瞬、頭の中が真っ白になって、無意識のままテロスを睨んだ。
やっと気づいたか。そう言うように、侮蔑の笑みを向けて来る。こいつ……こうしている間にも琴音への浸食を継続してやがったのか。琴音の体だけじゃなく、心までも支配するために。
「テ、ロス……っ」
「どうしたの、父さん? すごく怖い顔してるよ」
俺が今まで殺意だと感じていたものは、ただの怒りだ。これが、これこそが殺意だ。コールタールを飲み干したかのように、腹の底からドロドロとしたものがグツグツと沸き立つ。見えている風景が、何も変わらないはずなのに別世界に感じられる。
だけど……なにも出来ない。
琴音からの攻撃は激しさを増す一方だ。お願いすれば、世界中のどこからでも命令を遂行しようと子供達が集まって来るという性質上、時間が経てば経つほど激しくなっていくことは必然だった。
俺はここを、一歩も動けないままだ。そして魔法での遠距離攻撃も、すぐさま琴音の支配下に置かれて届かない。
「お願い、悠斗君。ジル君に私を食べさせて。ジル君はEXアーツだから、悠斗君から離れても平気だし、悠斗君も少しの間ならジル君がいなくても耐えられるよね?」
「言うな!! ……言わないでくれ、琴音」
分かってるさ。気づいていた。俺がその気になれば、いつでもこの猛攻を止められる。町への攻撃もそれで止まる。
EXアーツが無くても魔法は使えるんだ。魔導兵装はジルありきの技術だから無理だけど、ただ防ぐだけなら魔導兵装が無くてもできる。そして運動能力の低い琴音は、どんな猛攻も無視して飛べるジルからは逃げきれない。それで終わりだ。ジルが琴音を喰らって、この惨劇は一端の収束を見る。
俺が、琴音を殺す気にさえなれば--
「早く! 今ならわかるの! 太陽を落とすことも、地球を壊すことも私には本当にできる。そんなことになったら、いくら悠斗君でもどうしようもない! それに私の心も……もう本当にもたないの」
その時、俺は思わず琴音のお父さんの方を見た。
「……っ」
涙でぐちゃぐちゃになった、大人とは思えない泣き顔で……なにも言わずに俺の目を一瞬だけ見て、何かを振り切るような勢いで顔を振って、それからはじっと琴音を見つめていた。
どうして「やめてくれ」って言わないんだ。どうして「娘を助けてくれ」って言わないんだ。
見ればリリアやロンメルト、アルスティナ。気絶したままの母親を抱きかかえたままの智世も、中田も、一様に悔しそうな顔を琴音に向けて、泣いていた。
ああ、そうか。琴音のお父さんの顔色をうかがってしまった時点で、俺も答えを出していたんだな。
そしてテロスが、勝ち誇った声で告げた。
「どうだい、父さん。願いが叶わないと知った時の気分は」
認めるよ。お前が1200年練った復讐は完璧だ。よく、わかったよ。
俺は……琴音を救えないんだな。
「喰え、ジル」