男親の悲しいところ
「うわっ!!?」
バシンッ、と目の前で風が弾けた。俺が防いだわけじゃない。まるで状況を理解できずに硬直していた俺に代わって、ジルが防いでくれたのだ。そうでなければ俺は今頃、首と胴体が離れ離れになっていたに違いない。それだけの威力が風の刃には込められていた。琴音が作った風の刃に。
「ママ!!」
だが血まみれで倒れる母親の姿に気が動転していたらしい智世は、下手人まで頭が回っていないのか不用心に母親の下に駆けつけようと走り出した。
「待て、智世! おい!!」
だめだ、まるで聞こえていない!
風が蠢く気配は無い。だけど、これは……地面か!?
「く、おおお!」
「あ!?」
ギリギリの所で智世に追いついて抱きかかえた。一瞬遅れて地面から小石が舞い上がり、無数の矢のように鋭い先端を向けて飛んでくる。が、それらが俺達に届くことはない。しょせんは世界の一部。俺の「世界」の前には抗えない。
ならばとばかりに風や草花までもが襲い掛かってくるけど、同じことだ。触れた先からそれら全てを食い散らかしていく。
そしてそのまま、じりじりと歩を進める。
「ここからなら届くな?」
「う、うん。ごめん、ありがとう」
まだ冷静さを取り戻していないらしく、素の口調のまま智世が礼を言ってEXアーツを呼び出した。
何度も投げている内に鍛えられたコントロールでタマゴが投げられ、倒れ伏してピクリとも動かない3人に見事的中した。
少し時間が空いてからの治癒になってしまったけど、即死、というほどの傷にも見えなかったから大丈夫なはずだ。
ほどなくして、意識は戻っていないものの3人とも安定した呼吸の音が聞こえるようになった。ふぅ……ひとまずこっちはこれで良い。
問題はもう1つの方だな。
「琴音……」
「ちがっ、私じゃ……こんなつもりじゃ……」
狼狽というより、困惑。どうやら正気を失くしたわけではないらしい。なら自分の意志で俺達を裏切った? はっ、馬鹿馬鹿しい仮説だったな。確かにテロスの身の上は同情を誘うし、気の毒にも思う。だが、それは仲間を裏切るほどもものじゃないし、琴音の性格上、裏切るなんて真似も、家族や友人、知人を手にかけるなんて真似は死んでも無理だ。やらないんじゃなくて、できない。
「琴音に何をしたっ!! テロスッ!!!」
原因があるとすれば、中空に浮かんでニヤニヤと笑いながら俺達を見下ろしている、アイツ以外に何がある。
「何って、姉さんが僕を受け入れてくれた……それだけのことだよ?」
「そ、そんなこと、そんなことしてないよ!!」
同意を求めるようなテロスの視線に、琴音は必死に首を振って否定した。
「確かに私達がアナタにした仕打ちは酷いことだったよ。気づいてなかったからって、絶対に許されないことだったと思ってる! でも、でもこんなこと--」
琴音? まさか、記憶があるのか? 聖霊の記憶が、本当に?
「ううん、したよ。姉さんは僕を受け入れた。あの戦争の前夜、確かに受け取ったじゃないか……僕の魔力を」
「え? ……あ」
琴音の顔がみるみる青ざめた。
「僕は『無』だ。色を持たない僕の魔力は、誰の魔力とも混ざり合い、一体化する。だけど、それが僕の魔力であることは変わらないよ? 何色に染まろうと、その魔力の支配権は常に僕にある。姉さんの中に入ってから何日が経っただろう? 内側からゆっくりと奪わせてもらったよ。姉さんの魔力と、体の支配権を」
テロスが「さあ、どうぞ」と言うように、手をかざして俺達を指し示した。
「殺してよ、姉さん。僕の邪魔ばかりする父さんを」
「ヤダ……やだあぁぁぁ!!」
言葉とは裏腹に、琴音の魔力が練り上げられる。
なんて魔力だ。無色の魔力……大した力も持たない男をオリジン並みの魔法士にして送り込んでこれたのは、この能力によるものだったのか。
「やめろテロス! 琴音の魔法は俺には効かない! だからこんなことは--」
「ふふ、父さんは姉さんを侮りすぎじゃないかな?」
侮るも何も、自然を強化して操る琴音の攻撃は、どんなに強力だろうと関係無く、世界のルールを支配する俺の魔法で無力化できる。
それは俺だけの話だけど、他のみんなを守る余裕くらいはある。一箇所に固まって守れば、どんな攻撃も、誰一人傷つけることはできないはずだ。
「だめ! やめてっ、みんなやめてよぉ!!」
事実、琴音の意思に反して次々と襲いかかる自然物達は、そのことごとくが俺達に近づいた傍からジルに食い尽くされて消滅している。
「姉さんは育みの聖霊。いうなれば、この世界の育ての親だね。産むだけ産んでほったらかしの親と、愛情をこめて育ててくれたお母さん。子供が懐くのはどっちかな? どっちの言うことを素直に聞くかな?」
それが、琴音の「愛」属性の本質?
そういえば琴音の魔法は操っているというより、お願いして動いてもらっている節があった。育てて動かしていたのでなくて、育ててもらったから動いていた。そういうことか。
そして聖霊としての力と意識を目覚めさせつつある琴音の命令に、全ての世界が喜んで従う。
「男親の悲しいところ、ってやつか?」
「放置する父親の言うことなんて、どんな子供だって聞きたくなんかないよ」
お前は何だかんだ父親の与えた使命を果たそうとしてたんだろ? 自分は良い子って? 琴音を苦しめて、良い子も糞もあるか。
だけど、なるほどコレはまずいな。
動けない。風も大地も光も闇も、何もかもが意思をもって襲いかかってくる。圧倒的すぎる、数の暴力。相性の問題で俺には防げているけど、もし一瞬でもこの場を離れようものなら俺以外の全員が瞬く間に殺される。きっと死体すら残らないだろうな。
「どうしたの、父さん。このままじゃジリ貧だよ? それに……そろそろ来る頃じゃないかな?」
来るって何が? まさかゲンサイにも使っていた、隕石?
キィィィーーと、甲高い音がかすかに聞こえてきた。あれは……戦闘機? 確かに超常現象というか天変地異がこの一帯だけで発生している異常事態だからなぁ。誰かが通報したんだろう。
「ねえ悠斗。ボクの見間違いでなければ……銃口がこっちに向いていないかな?」
「は、はは。そんな馬鹿な。こっちに向かってるから、銃口もこっち向きなだけ……だよな?」
現代兵器を知らないリリアとロンメルトは、俺達がなぜ焦っているのか分からずに首を傾げた。お前らには理解できないだろうけど、実物を見た事がなくたって銃口を向けられるのはとんでもない恐怖なんだぞ?
「あれが武器ならば、明らかに狙われておるのじゃ」
「なんでだよ!? 俺達が原因だと思ってるのか!?」
いやだからって琴音に銃口を向けられても困るんだけど。っていうかテロスを撃ってくれ。
「ううん……なにが、ってギャアアアア!? 戦闘機がこっち来てるぅぅぅ!?」
「うるさい! 黙ってろ中田!!」
気の毒になるタイミングで起きやがって。悪いけど今はかまってやる余裕は無いぞ。
その時、戦闘機の胴辺りがチカチカと光った。何かの合図……じゃない! マズルフラシュだ!!
「うあああああああああああぅああああ!!!?」
想像の範疇を超えた出来事に、中田が絶叫を上げる。俺も叫びそうになったけど、ジルの存在に救われた。
どんな強力な兵器だろうと、材料は鉄……自然物だ。だけどあまりの勢いと衝撃で、弾丸は届かずに消失したというのに何かにぶん殴られたかのような痛みが走った。
「うぐっ……。くそっ、こんな簡単に発砲していいのかよ!?」
「ユート! 何か飛んできておるぞ!! 魚であるか!?」
「ミ、ミサイル!!?」
あんなのが至近距離で爆発なんてしたら、衝撃だけで死ねる!
光線か何かで迎撃を--な、なんだ? 光が、勝手に曲がって全然違う方向に飛んでいたぞ!? ウソだろ、反抗期かお前ら!
「タイムストップ、じゃ!」
時間が止まって固定化された空間にミサイルが当たって爆発した。た、助かった……。
「どうやら小僧の手を少しでも離れれば、ママの方にすり寄って行ってしまうようじゃの? 頼り無い父親じゃわい」
「色々とひどくないか」
戦闘機は一度俺達の上空を通り過ぎたあと、旋回して戻ってこようとしていた。しつこい。
もう、間違いないな。どんな異常事態が起こっていたとしても、日本の自衛隊が民間人に向けていきなり機関銃やらミサイルをぶっぱなすなんて事は有り得ない。それにあの戦闘機の飛び方、素人考えでも明らかに中の人間が死にかねない。
あんなものまで、琴音の命令のままに動くって言うのか。
「分かったかい、父さん? 向こうの世界ならいざ知らず、こっちの世界でなら姉さんは父さんに匹敵するほどに……強いよ」