ここから始まったんだよね
「ここで良かったっけ?」
「うん、ここの筈だよぉ」
見渡す限りの緑。植物に覆われ、人の足跡1つ無い純粋なまでの自然。だけどそれは、今この瞬間までの話だ。
「ボクの意見は聞き入れられなかったようだ。これが世界を敵に回すということか」
「ガルディアスはさすがに遠すぎるであろう」
「ふうむ、この辺りはあまり変わっておらんようじゃな」
「おい、油断すんじゃねーぞ。この森は餓獣の巣窟なんだからよぉ。陛下もいんだぞ?」
「うわー! すごーい! 木、おっきー!!」
(ほぼ)前人未踏の地がドカドカと踏み荒らされていった。別に思い入れとか無いからいいけど。
「っていうかアルスティナに王様まで来て良かったのか? ほら、国のこととか」
「別に数日程度かまわんであろうよ」
「いや、ダメだぜ普通によ」
何でもないように答えたロンメルトにケイツが待ったをかけた。そうだろうよ。戦争が終わって皇帝も代わった直後に、両方の国の王様が不在って。アルスティナに至ってはこれっぽっちの護衛で出歩いていいわけがない。
今から俺と琴音と智世が抜けるから、ケイツとロンメルト、リリアとユリウスで守ることになる。人間相手の戦力としては過剰だけど、餓獣の出る森となると絶対とは言えなくなる。
俺の視線に先に気づいたのか、ケイツが頭をかきながら困ったように言った。
「魔女殿がこっそり連れて来てやがったんだよ。今頃城でアンナがカンカンだろうぜ」
「うえー……」
抜け出した後の事までは考えていなかったのか、アルスティナは王城で待ち構えているであろうメイドさんの姿を思い浮かべて悲しそうな表情を浮かべていた。よく覚えておくといい、それを日本では自業自得というのだ。
「まあ、なんだ。王国の救世主様を見送るんだ。大目に……見てもらえねーかもしれないが、口添えくらいはいたしますぜ」
「うう……おねがいね?」
きっと無駄だろうけどな。
「ここから始まったんだよね」
そう言って琴音は周囲を見回した。
ここは俺と琴音が初めてこの世界に来た時に現れた、王都の南に広がる大樹海の中だ。帰るのはここからがいいという琴音の要望で、オル君にドラゴン化してもらい、記憶を頼りに空から、時々地上から探してやってきた。
一年前の記憶と完全に合致する風景。そうだ。男の子を追い、世界を繋ぐ回廊を抜け、門を潜り、そして俺達はここで目覚めた。ここから異世界での冒険が始まったんだ。
「思い返すと……よく、生きてるね私達……」
「……ホントにな」
なんということだ。思い出の全てが殺伐としていた。思い出せば思い出すほど、今生きていることが不思議でならない。俺ってもしかして運がいいのかな?
「でも、それも今日まで。この世界は平和になったし、私達も平和な日本に帰るんだもん」
「ボクとしては、もう少し闇の力をコントロールする術を身に着けてからにしたいところだけど」
「永住する気か」
その内言い出しそうだな「永住するから迎えに来い」って。こっちなら厨二を爆発させても、もしかしたら本当かもと思ってみんな驚いてくれるけど、日本ではただの痛い子だからな。早く完治すればいいけど。
「いつでも行けるのぉ?」
「ああ、城でまた空間属性を借りて来てるからな。万が一に備えて5つほど」
しばらく魔法の力を失ってしまう兵士の皆さんには申し訳ないけど、空間属性は「世界」の何をどう混ぜても作れないから仕方ない。行きと帰りの2つあれば足りるのだけど、何か問題が起きて2つとも使ってしまうと、帰る時にまた回廊を使う羽目になる。前回無理矢理通ったことで門番のドラゴンが怒っていると怖いから、できれば通りたくないのだ。
「そっか。うん、じゃあ……」
琴音が覚悟を決めたようなので、目の前の空間に魔力を込めた。智世の意志は聞かない。時間の無駄だ。
木々の並んでいた風景がぐにゃりと歪んだ。真夏のコンクリートでよく起こる蜃気楼をもっとはっきりさせた感じだ。そこに飛び込めば、日本だ。
「場所は俺ん家の中になってる。まだあの町には詳しくないし、下手な所に繋いで誰かに見られても困るからな」
「わかったよぉ。悠斗君も一回帰るんだよね?」
「一応、責任もって最後まで見届けないと落ち着かないしな」
この行き先の見えていない歪みの中に2人を放りこんで、はいOK! とはならないだろう、さすがに。俺もこの魔法を使うのはこれで2回目だしさ。それに戦争が終わったことで、ひとまず死ぬような危険はしばらく無いだろうから、一言伝えて親を安心させてあげたいというのもある。
「それじゃあ、その……今までお世話になりました」
琴音が振り返って異世界メンバーに頭を下げた。
「世話になったのかこっちだぜ、コトネちゃん。農園は国でしっかり管理しておくから、いつでも遊びにきてくれよな」
「うむ、コトネがおらねば余は今も迷宮都市でくすぶっておったであろう。余は生涯、そなたへの感謝を忘れぬ」
「小僧がセレフォルンに帰ってくるたびに迎えに行かせるわい、かかか。また会うのを楽しみにしとるのじゃ」
「ばいばい、葉っぱのおねーちゃん」
最後まで葉っぱ呼ばわりだったことに脱力しそうになったが、琴音はとうとう慣れてしまっていたみたいだ。最初の頃はあんなにも嫌がっていたのに、反論もせずに普通に寂しそうに涙をこらえている。
「……で、ボクには?」
なんの見送りの言葉も貰えなかった智世の不満に対する答えは「なんかすぐに戻ってきそうだから」だった。片道通行なら日本を選んだろうけど、行き来自由となると頻繁に来そうだよな。その時の送迎は俺の仕事になるのか。
「まあ、来るけど」
やっぱりか。図星を当てられてつまらなそうに口をとがらせた。
「1人で勝手に来るなよ。あの回廊、どこに飛ばされるかわからないし、お前は戦闘能力は無いんだから」
「だけど悠斗と連絡取れないし」
「黙って待ってろ。いつか行くから」
いつかじゃ嫌だー! と騒がれても困る。これはガガンにでも頼んで空間属性を込めた道具でも開発してもらわないと本当に勝手に来そうだ。作れるかな、そんなもの。ダメ元で頼んではみるか。
「ほら、お別れの雰囲気を台無しにするな」
「ぶーぶー」
さっきまでしんみりした、いかにもな空気だったのに。
「ええと、じゃあ帰るね?」
「お、おお。うむ?」
「あー……達者でな」
「さらばなのじゃ」
ちょっと微妙な空気の中、少し名残惜しそうに琴音が歪み(ゲート)に身を委ねた。抵抗も無く、琴音の体が吸い込まれるように消えた。そして俺も、抵抗する智世を担いでゲートへと飛び込んだ。
転移する直前に後ろの方が騒がしかった気がする。なんだ、誰か泣いたのか? 卒業式で泣くタイプか? アルスティナとユリウス以外だったら、後で嫌ってくらいイジッてやろう。
☯
ほんの一瞬の浮遊感の後、靴ごしに足下に柔らかい絨毯の感触を感じた。やばっ、結構高そうな絨毯だ。思いっ切り土足でふんじゃったぞ。それも森の中を歩いた土まみれのブーツで。
「あ、悠斗くん。ゴメンね、すぐに脱いだんだけだ」
「いーよいーよ、俺のうっかりだし」
「ボクはまだセーフだ。わかったかい? これが全てを見通すアカシックレコードの力」
俺に担がれていたおかげで床にまだ足を付けていなかった智世が手足をブラブラさせた状態のまま自慢気に語った。絨毯の上に叩き付けてやりたい衝動をどうにか抑え、とりあえず絨毯の上は回避して床に下ろす。
「ここは、客間かな? 俺もあんまりよく覚えてないんだよな、引っ越したばかりだったから」
「悠斗、お茶」
「偉そうにソファーに座る前に靴を脱げ」
父さんが会社の同僚を家に招いた時のためにと見栄を張って買ったのだろう高そうなソファーで踏ん反りかえっているアホは置いておくとして、まずは着替えだな。さすがに異世界の服で外を出歩くのは目立ちすぎる。女物だから母さんがいてくれると助かるんだけど。
「悠斗くん、この魔法出しっぱなしでいいの?」
「え? ああ、1分もすれば勝手に消えるよ」
「そっか。放っておいて餓獣とか来たら大変だと思ったんだけど」
「さすがに1分の間にみんなが帰って餓獣が飛び込んでくるってことは無いだろ」
「それ何てフラグ?」
やめろ、不安になってくるだろうが。ついゲートを見て身構えてしまった。
「ほら、大丈夫そう……」
「わあ、ここが青いおにーちゃんの家なんだね」
……あれ?




