きっと来てくれ、ユウト
「ユウトか」
ノックとすると、すぐに返事が返ってきたのでドアを開ける。
中に入ると、すでに鎧を着こんだリゼットが窓際に立っていた。私服姿が見れるかと期待していたから残念だけど、よく考えればもう数時間もすれば出発だもんな。軍を率いるのに私服なわけがない。
「よく俺だってわかったな」
「他の者はみな、昨日の内に別れを告げてきていたのでな。もちろん、出立の時にも来てくれるのだろうが」
「マジかよ。俺も誘ってくれればよかったのに」
1人だけ当日ギリギリまで挨拶に来ないなんて、なんか雰囲気悪いじゃないか。一声かけてくれていれば、俺も昨日の内に顔を出していたのに。
「気を、きかせてくれたのではないかな?」
「俺より王様の方がボロボロだったんだから、休ませておくならそっちだろ」
「そういう意味ではないさ」
「?」
俺が疲れてると思って声をかけなかったんじゃないのか? リゼットの様子を見るに、そうではないらしい。
「やれやれ、今度参考になるいい本を貸してやる。世界を見て回るのだろう? オルシエラに来た時は私の所に来るといい」
「必ず行くよ。たしか……家は牧場だったっけ?」
「それは実家だ。これでも出世しているのでな、城にアインソフの獣舎を作らせるくらいのワガママは言えるのだぞ?」
そりゃそうか。いや、よかった。何せ地図は軍事機密扱いで手に入らないから、何とか山の近くの何々村とか言われても分からないのだ。適当に村か町を見つけて人伝に周辺の情報を聞くしかない。けどさすがに首都の位置なら誰に聞いてもすぐ分かるからな。それこそケイツに聞いても分かるくらいだ。実際、オルシエラの援軍はまっすぐセレフォルンの王都に来たんだし。
「待っている。いつでも来てくれ」
「大丈夫か? 一応、俺はセレフォルンの所属ってことになってるんだろうし」
実際はまったくそんなことはないけど。俺はセレフォルンの兵に対して、実は一切の命令権は持っていないし、肩書だって何も無い。だって軍になんて入っていないのだから。あくまでも善意の協力者でしかないのだ。
だけど周囲はそうは思わないだろう。セレフォルン兵ですら、俺が偉そうに命令すれば普通に従ってしまう。事情を知らない外国の人なんて以ての外だ。
「言っただろう、多少のワガママは通るのだと」
そう言うリゼットの表情は、どこかイタズラっぽい雰囲気があった。たぶん無茶だとわかっているんだろう。何せ本気で暴れればオルシエラの全軍を相手に大損害を与えかねない存在を、あろうことか自ら中枢に招くのだから。だけど通す、何がなんでも。リゼットの表情の理由は、つまりそういうことなんだろうな。
「あっはは、そりゃすごいワガママだ」
「ふふっ、これだけの戦果をあげての凱旋なのだ。これくらいは叶えてもらわなければな」
まあ仮にも同盟を組んだ仲だ。国民に仲良しアピールができると思えば難しい問題でもないのかもしれない。それならオルシエラに行く時は、名前や姿を隠さない方が良さそうだな。
「だからきっと来てくれ、ユウト。国境とはユウトが思っている以上に分厚い。貴重な竜騎士である私は、きっともうオルシエラを出られないのだ」
「出られない?」
テロスが追放された今、オルシエラにリゼットを止められるような強者がいるという話は聞いたことが無い。その気になればアインソフに乗って、いつでも国境なんて飛び越せてしまえそうだけど。
「私は騎士だ。本来、国の方針に逆らうことは許されない。今回セレフォルンの援軍に加わるために随分と強引な手を使ってしまった。元々は違う将軍が送られる予定だったのだ」
本当はリゼットは来ない……来れないはずだったのか。言われてみれば、セレフォルンが滅べば次はオルシエラの番だったとはいえ……いやむしろだからこそ、最高戦力のリゼットを送り出したのは不自然なことだ。なにせセレフォルン王国からすれば、他国の兵士。率先して危険な場所に配置されてもおかしくはないのだ。もちろんセレフォルン王国はそんな真似はしなかったが、冷酷に徹するなら捨て駒にして無茶な作戦をした方が戦争を有利に運べる上に、味方の戦力を温存したままオルシエラの戦力を削れる。そのままオルシエラを征服する時に有利になる。
本当なら、失っても大した痛手にならない将を送るべき状況だったのだ。
なら、どうしてリゼットが無理をしてまでやってきたのか。
そんなの、再会した最初の言葉でわかっていたことだ。彼女は俺を心配してくれていた。だからこの機に便乗して、本来越えられないはずの国境を越えてきてくれたのだ。
それは仲間としてなのか、それとも--
「私の騎士としての誇りが、これ以上国に逆らうことを許さない。欲を言うならば、もう一度ユウト達と共に冒険をしたいのだがな……」
脳裏によぎる迷宮都市での日々。苦労はあった。でも、それ以上に楽しく充実した日々だった。リゼットも同じ風景を思い出しているのか、薄く笑みを浮かべながらも寂しそうだった。
「行こうぜ、冒険」
「え? いや、だから……」
「お前はオルシエラの国内を知り尽くしてるのか? そんなことないだろ。出られないなら、中で楽しめばいいじゃないか。俺が行くまでの間に、冒険しがいのある場所を探しておいてくれよ。そして行こうぜ、知らない場所へ、未知を求めて」
リゼットは俺とは違う。いや、日本人の考え方とは違うというのが正しい。騎士が嫌ならやめればいい、なんて口が裂けても言い出せないし、言ったとしても怒られるだけだ。そういう風に育てられたのか、それともなにか恩義や事情があってのことなのか。ただ、リゼットが意志を曲げることが無いことは確かだ。
だけど出られなくたって問題無い。オルシエラは広大だ。日本なんかよりずっと大きい。一生日本から出られない人は可哀そうか? そんなことはない。ただ海外旅行ができないだけだ。悲観する程ことじゃない。
会いに行けないなら、呼べばいいんだ。俺なんていつでも行ける。冒険だって、どこでだってできる。きっと人生全部使ったって、国の全てを歩き尽くすなんてできやしない。
「ああ、それは……楽しそうだ」
そう言って嬉しそうに笑うリゼットを見て、ようやく確信することができた。
俺は、この子が好きだ。
真面目で、一生懸命で、そのために縛られてしまっている彼女の支えになりたいと思った。それは心からの願いだ。いつも険しい表情をしているけど、時々本当に無邪気に笑うのだ。それが彼女のありのままの姿なのだろうと思う。だからもっと笑って欲しいと思うのだ。
オルシエラに行こう。
そしてリゼットと旅をしよう。餓獣以外の脅威はもう無いのだ、案内役にと言い張れば連れ出せるだろう。なんたって俺はオリジンなんだからな。
その旅で彼女が心おきなく笑顔になれるようになった時、この気持ちを伝えよう。
その日、俺の初恋の人は帰国した。
だけど寂しくはない。琴音と智世を日本に送ったら、すぐにでも追いかけるのだ。そう、すぐにでも。