影話・再壊
すぐ外で何十万という人間が殺し合っているとは思えないほど、独立された空間。壁を貫通して響いてくる怒号など、その部屋の中にいる人間の耳にはまるで入っていなかった。
「リスの子よ、下がっておれ。この男とは余が決着をつけねばならぬ」
相対する2人は、その両方が赤。髪の色も、身に纏う雰囲気も、手に握る武器も似通った2人の間に血縁があることは、事情など知らなくともわかることだった。
にも関わらず、その2人の間には親愛など無く、むしろ決して埋めがたい亀裂が存在していた。
ウルスラグナ・F=ガルディアス。かつて世界を掌握し、オオヤマト王朝を築き、後に他のオリジンに独立された黄昏のオリジン、フジワラノタケツナの末裔。再び世界の覇権を握るという先祖代々の野望を掲げ、その実、無力ゆえに死んだ妻の死を引きずり、強くあろうともがく男。
ロンメルト・アレクサンドル=F=ガルディアス。魔力を持たずに生まれた者、ノーナンバー。力を求める父に切り捨てられた、存在を消された第一王子。それでもなお強き王になろうと剣を磨き、今こうして実の父の前に立ちはだかった男。
ついに世界に2人だけになってしまったフジワラの血族が今日、互いに滅ぼし合う。
「無意味な戦いだ。魔力を持たぬ貴様が、どうしてワシに敵うと思うのか」
「ふはは、それこと『どうして』であろう。どうして魔力を持たぬから弱いと決めつけておる。強さなど、執念と努力でどうとにでもなる!」
大剣を肩に担ぎ、ロンメルトの体を覆うアシストアーマが唸りを上げる。育ての父と友人から授かった、人間の限界を超えた力で床を蹴り、生きている者死んでいる者、全ての想いを乗せて剣を振る--
「軽いわっ!!!」
気が付いた時、ロンメルトは首を傾げた。今、確かにウルスラグナに突撃していたはずなのに、どうして反対側の壁にめりこんでいるのかと。
壁にぶつかった背中の痛みと、腕に残る激しい痺れがその疑問の答えを物語る。
「そんなものか、ロンメルト」
ハッとなってロンメルトが顔を上げた。初めて父に名前を呼ばれたことが、そうさせた。その事に気付き、その事を恥じて立ち上がる。鎧と、その内側の緩衝材のおかげで、痛みはあれど動きに支障が出るほどではない。
ウルスラグナの姿は剣を振り下ろした形で留まっていた。勢いあまって剣が突き立った床が当然のように砕け、それどころか踏み込んだ足下まで砕けていることから、どれほど重い一撃だったのかが分かる。
「余の剣を受け、そのまま吹き飛ばしたと申すか」
「そのような軽い剣で、何を驚くことがあろう」
ロンメルトの剣は、決して軽くはない。単純な重量だけ見ても、一般人では持ち上げるだけで一苦労という重さだ。それに加え、外で戦う仲間達の命運のいくらかを背負っている責任も重々に承知している。その上で、大人と子供……いや、そんな程度では済まないほど圧倒的な差を見せつけられたのだ。
「ほざけ。魔法の力であろうが」
カラクリなんて、考えるまでもない。ウルスラグナがどんな武器を手にしていようと、その本質は魔法士だ。魔力の多さを、血の濃さを信奉する、昔ながらの考えに凝り固まった人間だ。
「承知の上で挑んできたのではなかったか?」
「当然である。その自信、踏みにじってくれよう!」
気勢を上げたものの、ロンメルトは無策に突っ込むことは無かった。
常識外れに巨大なウルスラグナの剣を見る。アシストアーマを用いたロンメルトですら、あれほどの剣は振れるかどうか定かではない。ましてやウルスラグナのように軽々と振り回すなど、絶対に不可能だと断言できた。つまりあの剣を使えるということもまた、魔法によるものだ。
「黄昏のオリジン、フジワラノタケツナ。その属性は……重力であったな!」
再度、ウルスラグナに向けて走り出す。
重力を操るということは、重さを操るということ。ウルスラグナは巨剣を持ち上げる時のみ重力を軽くし、振り下ろす時のみ重力を重くしているのだ。ただでさえ重い鉄塊をさらに重くしていたのだから、ロンメルトが吹き飛ばされたのは当然だった。
「だが! いくらその剣が見た目に比例せぬ軽さだったとて、それを振るのは貴様の腕! その速度は使い手の腕次第であろう!!」
ウルスラグナは巨剣を軽枝のように振り回せるが、それだけだ。重さが増しても落下速度が変わらない以上、速度においては多少心得のある剣士程度にすぎない。
「余が剣に捧げた10年! その程度の速度でどうにかなるほど軽くはないわ!!」
師と仰いだゲンサイの剣に比べれば、ウルスラグナのそれは児戯に等しい。そのゲンサイと打ち合えたロンメルトには、意表を突きでもしなければ掠りもしない。
軽々と振り上げ、絶対的重量をこめて振り下ろされた巨剣を掻い潜る。懐に飛び込んだロンメルトは、そのまま自分の剣を振り上げようとして……その感触の変化に気付いた。
「剣が、重い!?」
となれば原因はウルスラグナ以外にありえない。ロンメルトが睨みつけると、肯定するようにニヤリと笑った。
「かつて黄昏のオリジンは周囲一帯の重力を操り、相手に立ち上がることも許さなかったという。血が薄まり、この程度の力しか発揮できぬワシにすら貴様の剣は届かんか?」
「ぬうううううううう!! 舐めるでないわ、この程度ぉっ!!!」
アシストアーマがギギギと嫌な音を立てながら、それでもロンメルトの意志を叶えるべく力を高める。
「かああああああ!!!!」
まったくのゴリ押しで、巨岩のように重かった剣を振り切った。その剣速は多少衰えたものの、まさか振れると思っていなかったウルスラグナが回避できるものではなかった。
そのはずだった。
ひょい、と。その巨体からは想像もできない軽やかさで後ろに跳んで、ウルスラグナは悠々とロンメルトの剣閃を躱してみせた。人間の体の動きをよく理解しているロンメルトは、その動きの不自然さに思わず目を見開いて固まる。
「自分自身の重量を変えたことが、そんなにもおかしいか?」
「ぐ、ぬ……」
他人の重さを変えることができて、自分の重さを変えられないはずがない。だが思っていた以上に高い「魔法」の壁に、ロンメルトは歯噛みするしかなかった。
これがもし、そこいらにありふれた第10期、9期の魔法士なら、とっくに勝負を着いていただろう。なにせウルスラグナはEXアーツをほとんど使っていない。
実はウルスラグナが纏っている真紅のマントが彼のEXアーツなのだが、その効果は「身に着けている物の軽量化」だ。巨剣を常に持ち歩くには便利だが、重量を増加させる効果も、他人や自分自身の重さを操作するような効果も無い。ゆえにウルスラグナはEXアーツを介さず、自力で魔力を練って重力魔法を行使している。そしてそれは、恐ろしく燃費が悪い。
「ふがいない」
「なんだと!?」
「貴様ではない。貴様はよくやっている。魔力も持たぬ無能の分際で、よくもここまでワシに喰らいついてみせたものだ。貴様の剣など当たる気はせんが、このままではワシの剣も当たるまい。それが、ふがいないと言ったのだ」
ウルスラグナの足下の小石が、浮かび上がる。自身の周りの重力を軽くしているのだ。
「こうして」
無重力化での踏込みが、爆発的な推進力をウルスラグナに与える。
「瞬間的に」
まったく予期していなかった高速接近に、ロンメルトはまんまと間合いを詰められた。巨剣が迫る。その重量は既に増加されている。
「部分的に」
巨剣が床の石材を粉砕する。ギリギリで躱してみせたロンメルトがすぐさま反撃しようとするが、その時には再び軽くなった体で距離を取られた後だ。
「魔法を使わねば」
ならば次に向かってきた時こそ迎え撃ってやろうと身構えるロンメルトを嘲笑うかのように、ウルスラグナは天井近くまで飛び上がっていた。その手にはいくつかの破片が握られている。
「魔力が続かぬのだから」
放り投げられ、重力の加護を受けた破片は、弾丸と化してロンメルトに襲いかかった。それらを剣で弾いたロンメルトに、上からウルスラグナの巨剣が降ってきた。
受けた剣ごと、押しつぶされる。辛うじて倒れてはいないが、膝をついたロンメルトの体があまりの重さに床を砕いて沈み込んだ。
「ワシは弱い。ゆえに、強き国を作った。そしてその力で、世界を再びフジワラの血の下へ……!」