なんて、やつだ
鮮血が舞う。
「くそっ、浅い!!」
「未熟」
そう言いながらもゲンサイは血の流れる自分の腕を見ながら嬉しそうに笑った。
未熟か、まったくだ。これがロンメルトだったら確実にゲンサイの首を斬り落としていただろうに、俺にかかれば首どころか腕に軽い切り傷を作る程度だった。……情けない。
というのも、足元を崩されてふらつきながらも、刀を構えて殺気を飛ばされたのだ。その殺気に押されて体を硬直させたあげく、反撃にビビッて踏込みも足りていないという体たらく。仮に反撃されたとしても俺は魔導兵装に守られているというのに、それすら忘れるビビりっぷりを発揮してしまった。
だけど、届いた。
使い手はまるでお話にならない未熟者だけど、この聖剣は本物だ。本物だと信じさせるに値する代物だった。足は出ても手は出ない状況を脱したのだ。
戦える。
「もう油断は無いぞ、深蒼!!」
速い!? 文字通りまばたきをする時間も無くゲンサイが距離を詰めてきた。身体能力……動体視力も含めて完全にゲンサイを上回るスペックを手に入れたというのに、まるで反応できなかった。
「閃!」
「くあっ!?」
聖剣で受け止め--だめだ、間に合わない!
お返しとばかりに左腕を切り裂かれ、血が飛び散る。くっ、魔導兵装の防御を普通に抜いてきやがった。
「そうら、次だ」
ゲンサイの刀が何本にも見える。残像? そんな筈は無い。今の俺の目で、残像が見える速度なんてありえない。
「目が良いからこそ、見えてしまうモノもあるということだ」
再び、今度は右腕が切り裂かれた。魔導兵装で勢いを削がれているおかげで骨に届くような深さは無いが、痛いというだけで現代っ子としては大ダメージだ。少なくとも目の前の変態のように、傷つけられて嬉しそうに笑えるような精神はしていない。
しかし目が良いから見える物? いや、待てよ。あれだけ無数の斬撃だったのに、切り裂かれたのは一か所だけだった。
「フェイントか!」
「くっふふ、少しの動作にも反応してくれる。常人相手よりも楽だぞ深蒼」
なんの、種さえ分かれば……分かれば……ちくしょう、無意識についに反応しちゃう!! 体は正直だよコンチクショウ!
「ええい、言ったろ! お前と剣術勝負なんてする気なんか無い!!」
光の力を借りて、距離を取る。あの刀の間合いにいたんじゃ、打ち合いにすらならない。
「世界が命じる! 光、火!」
炎の力を収束。それを光で包み込み、放つ。
光速に達する炎の槍はさすがのゲンサイも認識すらできないらしく、まともに当たった。当たると同時に炎が膨れ上がり、爆炎がゲンサイを中心に周囲一帯を焼き払う。
「無意味」
「知ってるよ」
ただ、確かめたかっただけだ。お前が光の速度にすら反応できるのかどうかをな。答えは「できない」だった。それはつまり、俺が光の力で接近して剣を突き立てても反応できないということ。
炎の目くらましを吹き払い、駆ける。そして炎を抜け、ゲンサイの姿を捉えた!
「な、んで?」
「答えは先ほどと同じだ。未熟者め。殺気が全て語ってくれたぞ」
さっきはまるで反応できていなかった。いや、できなくて当たり前だ。だって光速だぞ? だというのに、炎を抜けた先でゲンサイは刀を構えて俺を待ち受けていた。
刃が迫る。光速相手に刀を振る時間は無いと考えたのか、切っ先を俺の方に向けて待っていた。そしてそんな止まっている刀だというのに、それを回避することは難しかった。まさかゲンサイの知覚を超えるためのスピードが、そのまま自分に返ってくるとは。
「は……?」
気が付けば空中に体が投げ出されていた。真下にゲンサイの姿が見える。
ピイ、と頭の中にジルの鳴き声が聞こえた気がした。そうか、ジルがなんとかしてくれたのか。よく見ればゲンサイの前にジャンプ台のように反り返った岩が出現している。あんな一瞬で、よくぞやってくれた。お前は命の恩人だよ。まあお前も俺だけど。
「世界が命じる! 風!」
背後に生み出した風を推進力に、俺は空を飛ぶ。いや、飛ぶというのは語弊があるか。なにせ行先は空ではなく地面。真下にいるゲンサイなのだから。
どうやらゲンサイを俺を見失っているようだった。あれだけの速度でいきなり上空に飛びあがったんだから当然か。
風の推進力に、重力加速度が加わる。だけどさすがに光の速度には及ぶはずもなく、ゲンサイが気配でも感じとったのか第六感的なものなのか、すぐさまこっちに気付いて上を見上げた。
「だけどもう遅い!」
「小癪」
聖剣を振り下ろす。対するゲンサイはまだ刀を前に突き出した状態のままだ。間に合うわけがない、と思ったら刀とか関係なく普通に避けられた。目で追える程度の速度じゃ、奇襲ですら通用しないのかよ。
「だったら--世界が命じる! 地、火!!」
「む!?」
空振りして地面に突き立った聖剣を基点に、その周囲を溶岩へと変化させる。もちろん、溶岩に触れた程度で魔王の肉体が焼けてくれるだなんて楽観的なことは考えていない。確かにその肉体は焼けもしなければ溶けもしない。
「だけど、まさか熱を感じない体ってわけじゃないだろう!?」
「ぐ、むぅぅぅぅうぅぅ!!?」
両足から伝わる灼熱の痛みに、ゲンサイの表情が明らかな苦痛に歪んだ。
「魔王は何物の干渉も受けない」のイメージだけが気がかりだったけど、じゃあ魔王は温かい食べ物も冷たい食べ物も常温に感じるのか? そもそも地面に立ってるのも、摩擦や重力の干渉を受けているといえるんじゃないのか? そのイメージは、そこまで万能じゃないということだ。
「そして俺は、地形操作で自分の足元だけ普通の地面にすることができる!」
ゲンサイの足は、膝の辺りまで溶岩に沈んでいる。両足を溶けるような高熱で包まれて焼かれる、そんな想像もつかないような激痛に、正気を保っていられはしない。あとは苦痛に身をよじる無抵抗なゲンサイに聖剣を突き立てるだけだ。
「これで終わりだ!! ゲンサイ!!!」
聖剣を天高く掲げ、様々な思いを込めて振り下ろした。これでやっと終わる。やっと--
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
手に凄まじい衝撃が走った。だけどそれ以上の衝撃が目の前に存在する。
どうして、動ける。どうして戦意を滾らせた理性ある目でこっちを見ている。どうして、そんなにも力強く刀を振りぬける。
聖剣の破片が飛び散り、キラキラと輝く。それはまるでゲンサイを称賛するかのように。
「なんて、やつだ……」
俺はゲンサイという男が怖かった。この世で一番怖い、最強最悪の男だと思っていた。
まだ、過少評価だったというのか。
痛いはずだ。痛いなんて言葉ではまるで足りない、死を望んでもいい激痛が今もゲンサイの身と心を焼き続けているはずだ。そのはずなのに……なんて、なんて精神力なのだろう。
後方でドプン、と砕けた聖剣が溶岩に沈む音が聞こえたが、気にならなかった。俺は今、この男に魅入られている。その精神力に、尊敬してしまっている。
ゴメンみんな……これは勝てない。