影話・マント二人
木造の寂れた酒場。
王都の片隅にひっそりと建つソコは、知る人しか知らない薄汚れた店である。だが彼はそんな店に身を寄せていなくてはならない程に、追い詰められていた。
「くそっ! この私が解雇だと!? 喜々として私を差し向けておきながら、失敗したと知るや切り捨てるなどと……ふざけるなっ」
全身を深緑のマントですっぽりと隠した姿で、憤りのままに酒を流し込んでいる男の名は、アンゴル。森で悠斗と琴音を拉致しようとした商人だ。
だが商人だったのも数刻前の話、今の彼は無職。オリジン捕獲に失敗した責任を取り、辞職……と言えればまだ救いもあったのだが、実際の所は「全てアンゴルの独断であり、彼は行動を始めるまえに商会をクビになっていた」と王国治安官に言い訳するために切り捨てられたのだった。
そもそもオリジンの情報を受け、計画し、アンゴルに向かわせたのは商会の会長だというのに、だ。
そして今アンゴルは隠れている。
まだ正確な情報は入っていなかったが、オリジンが王都に入ったことは彼にも分かっていた。なにせ城門で警備兵が一斉に敬礼したのだ。あれはどこのお偉い御方だろう、と市井の噂に上がり、その噂はアンゴルの耳にも届いている。
オリジンは間違いなく王家に保護された。そして話すだろう、森で襲われたことを。それが誰だったのかも。
「おや、随分荒れていますな? 何か良くないことでも御座いましたか?」
「よくもぬけぬけと」
アンゴルの隣に座った男が飄々とした態度で彼の睨みを受け流す。それがまた、アンゴルの苛立ちを掻き立てた。
「貴様らが寄越したガキが私の名前を、所属を易々と口にしていなければ、私が追われる心配など無かったのだ!!」
顔を隠していたマントのフード部分を払いのけるように脱ぎ、露になった両目で憎悪の限りを込めて、横に座る黒マントの老人を睨みつける。あの森でもアンゴルは終始顔を隠していた。老人と揃いの黒いマントの少年が余計なことを言わなければ、アンゴルは今も商会の自分の椅子で、次の商売の計画を考えていたことだろう。
「そもそもだ、あのガキの情報自体が間違っていたのだぞ!? 何が無知で何の力にも目覚めていない、だ! 魔法を食う魔法だと? ふざけるなよ、そんな化け物だと知っていれば誰が手を出すものか!!」
思い出すのも恐ろしいあの時の感覚に、アンゴルがブルリと体を震わせる。今まで当たり前に自分の中に在った力の消失と、それに伴う無力感。それは子供が何もない野原に置き去りにされる感覚に近い。
魔法の力が戻ったおかげで逃げ出せたアンゴルは、自分が過去のオリジンを尊敬しつつも、まだまだ過小評価していたことを思い知ったのだった。
「そうでもありませんぞ? あの子供の魔法は確かに凄まじいが、吐き出してしまった魔法はもう使えんようだて。もう一度食えば別であろうがな。食って、吐く。食わねば吐けぬ。あの時、魔法を使わずに向かっておれば、あのオリジンは何もできずに捕まったであろうよ」
アンゴルが目を見開く。そしてすぐ諦めたように溜息を吐いた。
「今更それがわかったとして何になる……もう全て終わり、全て失くなったのだ」
「かのオリジンがあれから誰の魔法も食べていない、空っぽの状態だといってもですかな?」
「それが何だ。私はもうこの国を出る。祖国でやり直すのだ」
アンゴルの母国オルシエラでは両親が小さな商店を経営しており、無事逃げ切れたなら跡を継ぐのも悪くないと考えていた。数年前に、自分はこんなちっぽけな店で終わる気は無いと飛び出した場所だったが、彼にはそれが自分の身の程だと思えてきたのだ。
「ワシの手引きがあれば、城に入り込むのは難しくない……と言っても?」
「くどい」
解らなかった。何故いち商人にすぎない自分をけしかけるのか。アンゴルは自分が特別な人間でないと理解している。そしてこの黒マントがこの上なく不気味であることも。
この黒と、かすかに紫の紋様が浮かぶマントはオルシエラ共和国を導く首脳陣、その直属の部隊に与えられるものだ。それはオルシエラの国民で、ある程度の教養がある人間にとっては常識だった。だからこそ母国にセレフォルン王国の情報を流すことで利を得ていたストラダ商会は彼らの情報を受け、動いた。今までも何度かあったことだ。だがその指示は、実行した者でさえ何がしたかったのか分からないものが多い。
怪しい。ずっと思っていたことだった。
だから誘いには乗らない。あっさりこちらの情報をばらした事も含め、まるで信用できない。
「貴方はもう少し野心のある方だと思っていましたが、いや失礼した」
「はっ、数日前の私に言ってやれば喜んだかもしれんな」
「城にはワシが連れてゆく。貴方は無力な子供を……ひとまずあの娘の方だけで良いでしょう。無力な小娘を捕まえるだけでよい。それで永遠の富が約束されるというのに」
娘の方だけでいい。
そう言われて一瞬アンゴルの心が揺れた。そして慌てて自分を律する。
しかしだ。黒マント達は今まで、彼らの指令でどんなに損をしようと補完などしてくれず、同じようにどんな莫大な富を生もうと口を出してこなかった。もし成功すれば、永遠の富。黒マントはそれを取り上げたりはしない。全て自分の物……。
「私はやらんぞ! 娘の方も目覚めるかもしれない、兵が駆けつけるのが早いかもしれない、あのオリジンが助けにくるかもしれない。そうなった時、どうする? また貴様らは自分だけさっさと逃げるのだろう!?」
信用できない。信用できない。信用できない。だからこいつは信用できない!
そう言い聞かせることで誘いを断ろうとしつつ、アンゴルは気づかない。その言い方では、信用できる理由を出してくれと言っているようなものだということに。
老人がマントの下で嗤う。
「ワシはお前さんを置いて逃げんよ。契約書を書いても良い」
まだだ、とアンゴルは続ける。その頭の中ではすでに結論は出ていたのかもしれない。
「二人とも捕まるかもしれん!」
「ならば……」
老人が懐から小さな小瓶を取り出した。小指ほどの大きさのそれに入っているのは、真っ赤な液体。
まさかこんな怪しいものを飲ませるつもりか、と身構えるアンゴルの予想と異なり、老人は自分の右手にその液体を塗り、握手を求めるようにアンゴルへと差し出した。
「…………」
訝しみながらも、その手を取る。
急激な魔力の奔流がアンゴルの中に流れ込み、その魔力が体の中で自分の色に染まっていくのを感じてた。そして全てが終わった時、変化が訪れる。
「馬鹿な……髪の色が変わった、だと?」
アンゴルの髪は灰色がかった黄色。だが左の耳元だけが空色になっていたのだ。それは本来、オリジンの膨大な魔力があってこその現象。
「貴様、一体何者だ……」
「これがワシの魔法……とだけ言っておこうかの。さて、それだけの力を持って、まさか故郷に帰る等とは言いますまい?」
自身の中で渦巻く魔力を感じながら、アンゴルは思った。
故郷に帰って、両親を助けながらこれからを生きよう。美人じゃなくてもいいから、料理のうまい嫁をもらって、子供に商売のいろはを教えるのもいい。
だがその前に、手土産を貰いに行こう……と。