パパは娘との約束を死んでも破らねーぞぉ
テロスが四つん這いになって俺を睨んだ。その目は驚愕に彩られていて、最初の迫力はどこにもない。今の姿は1200年後の世界で見慣れた子供のもので、おそらくその姿がテロス・ニヒの原点なんだろう。
もうテロスが溜め込んだ命は、そのほとんどが俺の中に移っている。ここからテロスに逆転する目は、無い。
「その力……間違いない。お前、何年後から来た?」
「だいたい1200年、アランの年齢を考えると1180年くらいか?」
「まあ、それくらいじゃな」
細かく言えば1779,8年くらいかな? アランがこっちに来てすぐにイリアさんを授かったと考えるなら、イリアさんが20歳くらいだからそれぐらいだろう。だけどそれがどうしたっていうんだ?
「そういうことなんだね、父さん」
そう呟いてテロスが背後を振り返り、そこに悠然とそびえ立つ塔の頂を見上げた。どういう意味だ? まさか、そこに居るっていうのか? 1200年後の世界でもテロスが言っていた、コイツの『父さん』が?
未来の世界で、テロスがシャロンを殺してガルディアス帝国とセレフォルン王国の戦争を決定的なものにした時に言っていたことだ。『全ては父さんの為だ』と。その元凶がいるというのか、あの塔の上に。
「いいだろう。全ては1180年後……そこで決着をつけよう」
「ま、待て!!」
気づけばテロスの体が半透明に……そのまま完全に、世界に溶けていくように姿を消してしまった。
「逃げられた、のか?」
「そのようじゃの。これで奴は歴史の通り1200年を生き、再びワシらの前に姿を現すじゃろう」
悔しそうだ。ここでテロスを倒せれば、この先の時代で失われる命を救えるのではないかと信じていたからな。まんまと逃げられてしまったことに、罪悪感が湧いてしまう。無駄話なんてしていないで追撃をかけていれば、あるいは--
考えが表情に出ていたらしく、リリアが励ますように背中をたたいてきた。励まされるべきはお前だろうに。
「げほっ……!」
「父様!?」
しまった! そうだ、アラン!
イリアさんに支えられたアランの無くなった腕からは、止めどなく血が流れ出ている。誰が見たって、これがマズイことはわかる。
「なにボサッとしてやがる、行ってこい」
イリアさんの手を振りほどき、自分の足でしっかりと立ってみせながらアランが言った。余裕そうな笑みを浮かべてはいるものの、その体を濡らす苦しげな汗が、それがやせ我慢だと証明している。
「行くって……?」
「塔の上に決まってんだろ、クソ野郎。ああ、いや、お前はクソ野郎じゃねーな。行ってこいユート。そこに敵のボスがいるってんなら、行かねーなんざ嘘だろ? 行って、全部見て、そんで全部ぶっ飛ばしてこい!」
敵のボス。テロスが『父さん』と呼ぶ存在。あの邪神とでも呼ぶのがふさわしいようなテロスの「上」の存在。そりゃあ恐ろしい奴に決まってる。
だけど『世界』を、『ジル』を理解した今なら……。そして今度こそ、歴史を変えることができるのかもしれない。
けどな--
「そんな状態の奴を置いていけるわけないだろ」
「そうじゃ父様。ワシの記憶が確かならば今日は父様の亡くなった日じゃ。このままでは歴史の通りになってしまうのじゃよ!」
そうか。リリアが言っていた父親との約束っていうのは、このベビードラゴンの名前を帰ってから聞くという、アレか。想像していたよりしょぼい約束だが、状況から考えてそれで間違いなさそうだ。
「パパを舐めるな、マイプリチーエンジェル! 生命力を「強化」すりゃあ、このぐらい屁でもねーよ! 行ってこい。そんで戻ってきたら、俺の力で未来に帰してやる」
「父様……約束じゃぞ」
「ああ、パパは娘との約束を死んでも破らねーぞぉ」
Θ
「もう行ったよ」
「……そーか。かわいーなぁ、リリアちゅわんは。こんな雑なウソに騙されちゃって」
「娘との約束は死んでも守るんじゃなかったの?」
「嫌われちまうかなぁ……?」
イリアに抱えられるように地面に横たわるアランの腕からは、なおも大量の血液が流れ出ていた。その量は既に致死量を超えている。それがわかっているからだろう。イリアにアランのウソを責めるような気配は無かった。
「どうしようも、なかったの?」
「どうしようもねーさ。リリアちゅわんが自分の時間を止めちまったのは、俺様が死んじまったのが原因なんだろう? そいつを変えちまうと、あの二人は出会いもしねーし過去にも来ねえ。だから、俺様はここで死ななきゃならねぇ」
もしあの時、悠斗とリリアを送り出さずに「このままだと死ぬ」と正直に伝えていれば、おそらくアランは助かった。死ぬ前に最後の力でリリアを強化し、もう一度過去に飛べばいいのだ。そうすれば最初から覚醒した状態で悠斗がテロスと戦うことができ、アランが負傷することも防げたに違いない。
仮に次も失敗したとして、何度でもやり直せる。アランが即死しない限り、何度でも何度でも。そしてその命が救われた瞬間に全ての歴史が狂い、崩壊する。
リリアがあわよくばアランの死を回避したいと願っていたことに、アランは気づいていた。あの日ドラゴンの卵を抱えたまま、ドア越しに話を聞いていたのだから。
だがその願いは叶わない。叶えてやるわけにはいかない。
「きゅるる……」
「おう、お前も悲しんでくれるのか? 結局お前の名前、決めてやれなかったなぁ」
アランの傷口を懸命に舐めるベビードラゴンに、アランが微笑みかけた。生まれてから短い時間しか経っていないが、ずいぶんとアランに懐いているらしい。
「EXアーツ、祝福の、鐘……」
「父様、なにを!?」
命を絞りつくすような声で、アランが魔法を行使する。
「最後の力を、お前らに託す。俺様の命を燃やした、永遠の強化だ。イリア……この力でセレフォルンを守れ。リリアを守ってやってくれ」
「……はい」
黄金の鐘の半分が光の粒子となってイリアの体に入り込む。その瞬間、イリアの魔力がオリジン達に匹敵するほどに膨れ上がった。オリジナルのアランにも劣らない力。セレフォルン王国を以後1200年まで続かせる土台を作るための力。
「そんでお前にはちょっと面倒くせーこと頼むけどよ、仮にもご主人様の最期の願いってことで聞いてくれや」
残る半分の鐘が、ベビードラゴンの中に流れ込む。この瞬間、子供でありながら世界中のあらゆる竜種の中で最強の力をベビードラゴンは手に入れた。その力をどう使えばいいのか、ベビードラゴンは主人の言葉を待つ。
「門を、守れ。俺たちオリジンが通ってきた、異界を繋ぐ門。ほとんど魔王の野郎に壊されちまったが、タケツナが通った門はまだ残っていたはずだ」
地球の各所に出現した門を、なぜかテロスは破壊していた。まるで捕まえた何かを逃がさないようにするかのように。
だがいち早くテロスの存在に気付いたアランの領土内にある、フジワラノタケツナが使ったとされる門は破壊されずに済んでいた。
「1180年後、つってたか? ユートの野郎が来るその日まで、門を守れ。それまで誰も門に近づけさせるな。誰も通すな。魔王のクソ野郎は1180年後にケリをつけるって言ってやがったからな。その舞台、守ってやろうじゃねーか。そっから後は、好きにしろ。悪いな、強化で寿命もめちゃくちゃ延びてんだろうーけど、それでも長い時間だ。やってくれるか?」
「ガゥ!!」
「おう……あんがとよ」
全ての力を譲渡し、アランの体から力が抜けた。
「父様!!」
涙でぼやけた目を、現実逃避するようにイリアはつい閉じてしまった。腕の中でさっきまで動いていた父が、さっきからピクリとも動かなくなってしまっている。目を開けてそれを確認する勇気が、イリアには出せない。
その隣で悼むような鳴き声を上げ、ベビードラゴンが本来ならまだ使い物にならない翼を広げ、飛び立った。
1人残されたイリアは、動かないアランの体を抱きかかえたまま声が枯れるまで泣き続ける。瞼はいつまでも閉じられたままだった。