これが時流じゃ
「ジル! アレは食えないのか!?」
声が引き攣っていることを自覚しながら呼びかけるも、ジルは悲しげにピィとだけ鳴いた。
まあそうだろうとは思っていた。ジルを通じて、あの邪気の本質が伝わってきている。壮絶な負の念だ。世界中の恐怖のイメージを力に変える『悪』属性。その無尽蔵にも見えるエネルギー源は、きっと世界中の悪意なんだろう。そんなものを食えば、俺は正気ではいられなくなるに違いない。
逆に考えれば、俺1人が狂えば全員が助かると言えるのか? いや、この攻撃だけ防いでもダメだな。
そんなことを考えている間にも、死は着実に近づいてきている。だけどどうしても打つ手が思い付かない。そんな時、リリアが叫んだ。
「小僧、ワシの魔法を食うのじゃ!!」
時属性を? 時の魔法そのものは存在が漠然としすぎていて食べられないけど、術者本人を丸飲みして属性だけを食うことはできる。要するに液体と同じだ。器に入っていれば簡単に飲み込める。
でもこれが低位の魔法士ならともかく、リリアは第1期の、オリジンにもっとも近い魔法士だ。俺達オリジンとそう極端に魔力量の差があるわけじゃない。意味あるのか?
「前に言うたじゃろうか? 時間移動はワシの魔力では不可能じゃと。じゃが今の小僧の魔力ならば……それでも足りんようならワシの魔力を上乗せすれば……行けるかもしれぬ。時の向こう側への」
「上乗せなんてできるのか?」
「普通は無理じゃ。だが元はワシの魔法。可能性はあると思わんかえ?」
可能性、か。曖昧だけど、今はもう他に縋るものもない。
「分かった。……理を喰らう鳥!!」
ジルがリリアの体を通り抜ける。すると俺の中に『時』が流れ込んできた。即座に理解する。俺の魔力だけじゃ、まだ足りない。
リリアに視線を向けると、それだけで伝わったのかコクリと頷き返してきた。
ジリジリと、もう直ぐ足下まで邪気が迫る中リリアの魔力が流れ込んでくるのを感じる。
「ダメだ、まだ足りない!!」
「逃がさん」
俺達の動きを察知したのか、瞬く間にゲンサイが距離を詰めてきた。突き出される刀の切っ先。そういえばリリアの未来予知じゃ、俺は鐵のオリジンに刺されて死ぬんだった。や、やばい--
ゲンサイの刀が俺の胸に触れた。一瞬の冷たさと、針で刺したような痛み。同時に足下から寒気を感じた辺り、邪気の方も俺に接触してしまったらしい。
今度こそ死ぬのかと覚悟を決めたその時、ジルが大きく翼を広げ、その直後に俺は激しい流れの中に放り出されていた。
「なっ……!!?」
どっちが上なのか下なのかすら分からない。ただ、ゲンサイの金縛りからは解放されたようで、体は動くようになっていた。
とはいえこんな激流の中じゃ、動けた所で意味なんか無い。
何が起きて、どうなったんだ? そもそもこの流れは何だ。まるで氾濫した川に落ちたかのようだけど、普通に呼吸ができている。むしろ風に近いか。そんな経験は無いけど、竜巻に飲み込まれたらこんな感じなんじゃないだろうか。
「これが時流じゃ!」
すぐ近くで声が聞こえた。これは……リリアか。
「サバ子! みんなは!?」
「わからぬ。じゃが……ふむ、もう魔法はワシに戻っておるようじゃな。皆は反対方向……未来の方に流されたようじゃ」
とりあえず俺達だけがここに来て、みんなは置いてけぼりっていう最悪の事態だけは無さそうだ。反対方向が未来ってことは、俺達は過去に向かう時流に流されているのか。めちゃくちゃ流れ激しいけど、大丈夫かコレ。
「何日、何年先の未来に出るか、もはやワシらではどうにもできんが、皆無事じゃよ。あちらは流れが緩やかのようじゃからのぅ、そう遠い未来には行かんじゃろう」
「そ、そうか。その理屈だと、流れの激しい俺達はそうとう遠くまで流されそうだな」
いっそ10年くらい飛ばされて、修行した方がいいかもしれないな。鐵のオリジン、ゲンサイ。あれは、勝てる気がしない。最後だって、あと一瞬遅ければ確実に死んでいた。
「そういえば何で魔法が発動したんだろ。俺の感覚じゃ、時間移動するには足りなかったのに」
時間移動を諦めて、時間操作で巻き戻そうかとも思ったけど、燃費が悪くて巻き戻せてもせいぜい数分。結局同じ未来になることは目に見えていたからこそ覚悟を決めたのに、いざ死にかけたらコレだ。火事場の馬鹿力で魔力が増えるとも思えないけど。
「おそらくじゃが、ゲンサイの攻撃に触れた際にヤツの魔力も流れ込んだのではないかのう? ワシの『時』は、強化、重力、空間属性が混じった結果じゃからの。ヤツに負の念を送っている無数の人間の中に波長の合う属性の者がおったのではないかと思っとる。ま、想像にすぎんがの」
俺が使った魔法なのに制御できなかった理由がそこにあるのかもしれないな。なんにせよ、命は助かった。
「見つけたのじゃ」
手を握られた。さすが時間の使い手だ、この目を開けているのも辛い激流の中で俺を見つけてくれたらしい。子供らしい小さな手を握り返す。どこに飛ばされるかわからない以上、リリアとはぐれるのはヤバい。一人ぼっちで原始時代に放り出されたら絶望して泣き崩れるぞ。
「かかか、まるで母親にすがる幼子のようじゃのう」
「う、うるさい!」
こっちは人生がかかっているんだ! 見た目と行動が逆だなんて恥ずかしがってる場合じゃないんだよ! 石持ってウホウホなんて人生、死んでもお断りだ!!
「む? 流れの切れ目があるのじゃ。出るぞ小僧。これを逃すと、次はいつ出られるか予想もできんわい」
「よ、よし分かった」
「ババアによぉく掴まっておれよ、かかか」
いままであっちこっちに振り回されていた中、グイッと引っ張られる感覚。驚いて思わず目を開けると、そこには草原が広がっていた。
「うわっと」
「ほい、到着じゃ」
勢い余って草原に転がってしまった。背中に感じる柔らかくくすぐったい草の感触。空にはどこまでも青空が広がっている。
助かったんだ。
あの絶対に逃げられそうにない恐怖の塊みたいな男も、さすがに時間を超えてまでは追ってこれない。戦って死ぬか、逃げて死ぬかという状況から、俺達は生きて脱出できたんだ。
「何年後かのぅ。あまり離れていなければ良いのじゃが」
「そうだな」
みんなは未来に飛ばされたらしいけど、数日未来に飛んだくらいじゃ大して変わらない。黙って逃げ隠れできるならいいけど、そんな真似ができる連中じゃないからな。あ、智世は除く。
なんとか合流しないといけない。もう一度時間移動をする方法を見つけるか、普通に時間が過ぎるのを待つか。何十年も離れていたら後者は不可能だけど。
「おーい、お前さんらそんなトコでどーした!? 早くせんとパレードが始まってしまうぞー!」
草原の先--よくみれば踏み固めただけの粗雑な道がある--から農夫のような姿をしたオジサンが手を振っていた。現地の人か、とりあえず原始時代までは戻されなかったみたいだ。
「パレードって?」
すぐに情報収取できるのは助かった。このオジサンに色々教えてもらおう。なにせこっちには1200年生きたババアがいるんだ。最近起きた大きな事件なんかから、今が何年前かくらいはわかるはずだ。
「なーに言ってんだ。暁のオリジン、アラン・ラーズバード様の凱旋パレードに決まっとるだろうが」
リリアを顔を見合わせる。
暁のオリジンって言えば、リリアの父親にしてセレフォルン王国の建国王じゃないか。ってことは……
俺達は1200年前の、最初のオリジン達の時代に来てしまったのか!?