ならば変装すれば良いのじゃ!
シャロンを捕獲してから早くも1ヶ月が経過しようとしていた。
俺達が異世界に来てから、そろそろ半年になるのか。長いような……濃度を考えれば短すぎるような。
転校したのが秋頃、文化祭間近な辺りだったから、日本ではもう春を迎えている頃だ。新学年、新一年生。部活が新入部員の獲得に躍起になっているんだろうな。新しい高校に行ったらドラゴン部を設立しようと密かに計画していたから、こっちに来ていなければ俺も今頃駆けずり回っていたのかもしれない。それでちょっと生意気な後輩と一緒にドラゴンを探しに行くんだ。でもって遭難してしまって、木の下で夜を明かしたり……あ、似たような事もう琴音とやってたな。じゃあ足をくじいた後輩をオンブして……散々智世をオンブしたっけなぁ。
なんだかんだ異世界に来てから、俺は俺のイメージする「冒険」を満喫していたのかもしれない。妄想ともいう。
しかし1ヶ月待っても、未だにシャロンを巡る駆け引きはまとまっていなかった。
手紙では信憑性の問題があるとかで、いちいち使者を送ってやり取りしているために随分時間がかかっているらしい。けど、その代わりというか、王女という人質の効果でガルディアス帝国もむやみに攻め込んで来れなくなったおかげで、割りと平穏な1ヶ月だった。
とはいえこっちを窺うように小規模の部隊を送られてきていたから、俺はちょくちょく王都を空けていたけどな。俺がその提案を聞いたのも、ちょうど王都に戻ってきた時のことだった。
「お出かけしようよ!」
満面の笑みでそんなことを言うアルスティナ女王の後ろでは、メイドのアンナさんが困った顔をしていた。
「陛下には遊んでいる時間などございません。ご覧下さい、この書類の山を。これが、ここ最近陛下が逃げ回っていた結果です」
なるほど。執務室の机には、なんの冗談だと言いたくなるような紙の束が積み上げられている。それはもう、よく崩れないなと感心していまうくらいだけど、きっとその辺りはアンナさんのクオリティだ。
「でも、どーせティナにはよくわからなくて、アンナの言う通りにハンコ押すだけでしょ? じゃあアンナがやった方が早いよね?」
誰の入れ知恵か。我が意を得たり、といった笑みを浮かべたアルスティナに余計なことを吹き込んだ犯人には、アンナさんから死よりも恐ろしい報復を受けることになるだろう。ぶるぶる……。
「陛下が押すことに意味があるのです」
「でも誰も見てないし、一緒だよ?」
「まだ陛下にはわからないのかもしれませんが、一緒ではないのです」
「うん、わかんない!」
無理だ。
アンナさんの言いたいことは分かる。メイドの意見を聞いた王様がゴーサインを出すのと、メイドが勝手に出すのとでは天と地ほども違う。違うのだけど、何がどう違うのかと言われると、権力だの立場だの責任だのと、いざ言葉にするとややこしい。なまじ得られる結果が同じなだけに厄介だ。
その点、アルスティナへの入れ知恵のなんと分かりやすいことか。面倒な人間関係をポーイしてしまうなら、まったくその通りだしな。そして、幼女王もすっかりその理屈で納得してしまったらしい。
「いえ……その…………、私では陛下の何倍もの時間がかかってしまうのですよ。あんなにも早く綺麗に丁寧にハンコを押せるのは、世界広しといえど陛下くらいなものでしょう。どうかその神業で手伝っていただきたいのです」
「え? えへへ、そうかなぁ」
それでいいのかアンナさん。そして騙されてるぞアルスティナ。
アンナさんが目で俺に「黙っていろ」と告げている。そんなに切羽詰まっているのか。まあ戦時中だもんな。さすがに人命にかかわるような書類はケイツや他の重鎮の人達が速攻で済ましているのだろうけど、それでもなお忙しいに決まっている。
だからといって、あまりにも適当というか御粗末なよいしょだけどな。神業どころか、アルスティナの押したハンコの位置ってだいたいズレてるし。まさに苦肉の言い訳だ。
だけど、そんな事はさっぱり理解していない女王様にとっては、ハンコを押すよりも遊びたいと。
ただ、アンナさんの雑な褒め言葉にちょっと心揺れたのか、ううんと悩んでいた。そして頭の上に電球が浮かびそうな感じで何かを閃き、パンッと手を叩いた。
「じゃあ今日は遊ぶけど、明日は手伝うね! ティナは早いから、一日くらい遊んでも大丈夫!」
「ちょっ--」
慣れないアドリブを効かせたばっかりに、墓穴を掘ってしまったな。今日は珍しいものが沢山見れる。
アルスティナに手を引かれて部屋を出る。後ろからアンナさんの悲鳴が聞こえてきた。一体どうするつもりなんだろうな、あの書類の山。
「一日くらいって……何日分の仕事が溜まっていると思っているんですか、陛下ーー!?」
アルスティナが満足したら、俺も見張りに協力してあげることにしよう。
「で、どこに行くんだ?」
「シャロンちゃんのトコ!」
そういう意味じゃなく、どこに遊びに出かけるんだと聞いたつもりだったんだけど。
けどそうか、シャロンと遊びたかったのか。何故か妙に気に入ってるらしく、アルスティナは最近シャロンにベッタリなんだよな。同じ王女(アルスティナもう女王だけど)として波長が合うのか?
だけどこの所、シャロンは少し元気が無い。
城にいると否応なく聞こえてくるガルディアス帝国との衝突によって生まれる被害報告。野盗化した兵によって村が襲われることもあり、難民が救いを求めて王都にやってくることだってある。そして定期的に行われる、戦死した兵士達の供養。
きっとそういったことに心を痛めているんだろう。
もちろん戦争である以上、これはお互いさまだ。俺達オリジンが出張った戦場なんて、ほとんど一方的な殺戮と言っても過言じゃない。それによってガルディアス帝国では大勢の人が家族や友人を亡くした悲しみに打ちひしがれ、同時に俺達への恨みを叫んでいることは疑いようも無い。
だけど元はと言えばガルディアス帝国が始めた戦争だ。セレフォルン王国はこれだけされて、なおかつオリジンの力で連戦連勝にもかかわらず、いまだに停戦を呼び掛けているくらいだ。
そんなガルディアス帝国の姫がセレフォルン王国の城にいて、肩身が狭くないわけがない。
たぶんアルスティナも、そんなシャロンの雰囲気をなんとなく察して気晴らしに連れて行こうと思ったんだろう。
ま、アルスティナに深い考えがあるとは思わないけど。シャロンが楽しくなさそうにしてるから、楽しいことをしに行こう、ってとこかな。女王としては失格かもしれないけど、優しい女の子としては100点満点のいい子なのだ。
「シャロンちゃん! 行くよー!」
「どこにですの!?」
何の躊躇もノックも無しに部屋に飛び込んできたアルスティナに驚いた後、その脈絡もクソもない言葉に驚いていた。ダブルショック! いや、引っ張られてついてきた俺にも驚いていたからトリプルか。まだ怖がってるのか、こいつ。
それ以上にショックが大きかったのは従者さんだ。ティータイムの真っ最中だったらしく、ビックリしたシャロンが手に持っていたお茶を従者さんの顔にぶちまけてしまったようで、王族二人の前で失態を見せまいと無言で悶絶している。
「と、殿方を連れた状態でノックも無しに入ってこないでくださいまし!」
ああ、そっち。別に着替え中だったなんてベタなことは無かったけど、異性が突然部屋に飛び込んで来たら普通は驚くよな。
「ふぅ……それでどこに行くと言うのですの?」
「え? 決めてないけど、どこか遊びに行こうよ」
「……もうちょっと考えてから誘っていただけません?」
ですよね。行き先すら未定だとは思ってなかったよ。
「王都の中までにしとけよ? 急な用事ができるかもしれないからな」
いくら落ち着いてきているとはいえ、この戦時の真っただ中に女王とオリジンが揃って王都にいないっていうのはマズイ。何かあった時に初動が遅れる。
「町に出るのも十分危ないでしょうに。こんなこと私が言うのも何ですけれど、その、暗殺なんてことも有り得るのではなくって?」
「大丈夫だよ! お兄ちゃんがいるんだもん!」
ああ、だから俺が帰ってきた途端だったんだな。ならなおさら予定を計画する時間はあったろうに、「遊びに行く」って決めた時点で完結したのか。
「オリジンといえど不意打ちはどうしようもないのではないかしら?」
「ならば変装すれば良いのじゃ!!」
また闖入者か。振り返らなくても喋り方でわかった。
「タイミング良く来たな、エセ幼女」
「エセ言うでない。ふふふ、久々に楽し気なイベントが起きると予知が出たのでのう」
滅多にない未来予知をそんなくだらないことに!? いや、狙って見れるものじゃないから仕方ないんだろうけど、勿体無い……。
「へんそう?」
「そうじゃ! 王都の者はティナの顔を知っておるからのぅ。出れば必ずや騒動となるじゃろう? であるならば、女王とばれぬ恰好をすれば良いだけの話」
「けどさ、普通の町娘の服なんて城には無いだろ?」
それを買いに町に行ってちゃ本末転倒だし、かといって誰かに買いに行かせても時間と手間がかかりすぎて遊ぶ時間が足りなくなるぞ。明日になれば、アンナさんがどんな手を使ってでもアルスティナを拘束するだろうから、それはちょっと時間が惜しい。
「予知した、と言ったじゃろう? 準備は万全じゃ! さあ来い、変態野郎!!」
「そりゃあんまりだぜ婆さん!?」
酷い言われように飛び出してきたケイツ元帥。その手には何着かの服が握られていた。そのそれもが少女サイズの女性服。へ、変態だ。
「女児の服を抱えてうろつく30間近の濃ゆい男。これが変態でなくて、なんだと言うのじゃ」
「アンタが持ってこいって言ったんだろうが!!」
ああ、そうか。そういえばケイツは結婚こそしていないけど、女遊びが過ぎたばっかりに子供はたくさんいるんだっけな。あれは娘の服を拝借してきた物か。……どうしてだろう、事情はわかったのに変態臭が消えない。
「さあティナよ、婆ちゃんが可愛く「こーでぃねーと」してやるのじゃ」
ババアのセンスで大丈夫かよ。冷えるといけないとか言って腹巻股引き装備の上、Yシャツを第一ボタンまで留めたあげく、裾をズボンの中に入れさせるんじゃないのか? 靴下は二重か? 三重か?
と思ったら普通に可愛く仕上がった。服装はまあ地味な貫頭衣をベルトで飾った程度だけど、半分以上の時間を費やしたサイドテールがよく似合っている。いつもと雰囲気がかなり変わったし、これならそう簡単にはバレないな。
「おっと、オレも着替えてこねーとな。へへへ」
「お前はさっさと仕事に戻るのじゃ」
ケイツの最後の言葉は「元帥になんかなるんじゃなかった」だった。