影話・ウルスラグナ・F=ガルディアス
ガルディアス帝国の帝都、その中央にそびえる要塞と見まがうような皇帝の居城。その一室にガルディアス皇帝ウルスラグナ・F=ガルディアスはいた。
彼の娘であり第1王女であるシャロンの安否。出撃した時期を考えればそろそろ報告が入る頃であり、ウルスラグナはそれを待っていた。娘を心配する父親として……ではなく、この帝国の行く末を考える皇帝として。
そして部屋の扉を叩く音が響いた。
「入れ」
一拍置いて、扉が開かれる。入ってきたのはウルスラグナが雑事を任せている側近の1人だった。まだ年若いが、確かな血筋を受け継いだ第8期の魔力を持つ、それなりに優秀な男。もっとも、宮仕えであるがゆえに戦場に出た経験は無く、その魔力も宝の持ち腐れとなっているが。
「失礼いたします。皇帝陛下、その……」
「予想はついておる。申せ」
「はっ……」
側近の青年は何かを恐れるような様子で、しかし皇帝の言葉に従って報告書を読み上げた。ここに来る前に一度目を通しているとはいえ、何度見ても目を瞑りたくなる内容が記されている。
「シャロン殿下率いる第21侵攻部隊5000名、セレフォルン王国内アンファングの森にて戦線を開き……三日の後に壊滅。過半数の兵が捕虜となり、その中にシャロン殿下の御姿もあり、とのことです」
「ワシが聞きたいのはそこではない。あの一団が壊滅するであろうことなど、出兵の前よりわかっておったわ」
青年は耳を疑った。負けると最初から分かっている部隊を送り込んだこともだが、その部隊に予定を変えてまで王女シャロンをねじ込んだのは、他ならぬ皇帝本人なのだから。娘をわざと死地に送り込むなんて、その真意がまるで読み取れなかったのだ。
「答えよ。我が娘は勇敢に戦ったのか? 勝てぬまでも、捕えられるその寸前まで無様に足掻きぬいたのか?」
「はっ……、私めが受けた報告では、その、取り乱すことなく、潔い降伏を行ったと」
ウソだった。青年が聞いた話では、シャロン王女はオリジンの力に怯え泣き叫び、押し寄せるセレフォルン兵から逃げ惑いながら、最後には気でも狂ったのか、居もしない空想の兄の呼び続けていたそうだ。だがそんな事をどうして眼前の王に言えようか。多少の脚色とはいえバレれば処断は免れないだろうが、どうせ誰も言えはしないと青年は判断した。
が、それに対する皇帝の返事は彼の予想を覆した。
「戦わなかったのだな?」
「え? はい」
「くだらん。やはりその程度の娘であったか」
戦い、抵抗していれば王女といえど戦死していたかもしれない。だというのに父親であるはずのウルスラグナは明らかに落胆した様子だった。そこに娘の無事を喜んでいる気配はまるで無い。ある程度予想もできていたのか、やれやれといった風に目を閉じる。
「直にセレフォルンから人質交渉がくるであろう。おそらくは金、いくらでもくれてやればよい」
「はっ、必ずや王女殿下をお連れ致します」
青年はなんとなく安堵していた。自分が敬愛する皇帝が、その失望したような様子からもしや実の娘を見捨ててしまうのではないか、と心の片隅で危惧していたからだ。王女の無事うんぬんはもちろん、自分の娘を切り捨てるような人物でなかったことにホッとしていた。
--次の言葉を聞くまでは。
「そして戻り次第……誰でもよい、それなりの血筋の者をあてがって子を産ませよ。嫌がるであろうが、構わぬ。ワシが許す」
「……は?」
今度こそ、青年は自分の耳を信用できなくなった。
この王は今なんと言ったのかと。無理矢理にでも子供を産ませろと、そう言ったのかと。それは一体どこの奴隷の扱いだろうか。
「この王座はその孫に譲るとしよう。ふむ、だがまた出来損ないが生まれても困る、か。予備も何人か産ませておくべきであろうな」
この言葉を聞いて、それが自身の家族の将来設計であると理解できる人間がどれだけいるだろうか。実際、ウルスラグナ以外で唯一この話を聞いている青年は完全に言葉を失っていた。
(なんと、なんと冷たい目で淡々と語るのだ……。己の娘を道具のように扱う計画を、なんと淡々と……)
それはいくら「偉大な皇帝」というフィルターごしに見ても、到底受け入れがたい現実だった。
「どうした? 抗わねば奪われるのみ、とあれほど教えたというのに尚戦わぬ愚かな娘など、もはやその程度の使い道しかあるまい?」
ハッとなって青年は王から顔を背けた。その目に宿っていた不快な感情を見抜かれてしまったのだ。もう遅いと知りながらも、その感情をあからさまに王に向け続ける勇気など青年には無い。
だが王からの叱責は無かった。それどころか……。
「なんだ、いっその事……貴様が孕ませてみるか? ワシは構わぬぞ。生まれてくる王は、生まれながらにして王なのだから、父親の地位に価値などあるまい。であるならば、ワシが求めるはその血の濃さのみよ」
「お、お戯れを……」
「……ふん。そう、父親など、どうでもよい。黄昏のオリジン、フジワラノタケツナが正統なる血ガルディアスに連なる強き王。この戦争が終わるより前に、我が後継にふさわしい王に育て上げねばならん。その頃にはこの大陸は、ガルディアス帝国の旗の下に統一されておるのだからな」
その未来を想像したのか、ウルスラグナの口が喜悦に歪む。この冷徹な王がこうもわかりやすく表情を出すことは珍しい。
それも当然。初代皇帝のタケツナより続く悲願なのだ。かつて一度はフジワラノタケツナの手によって、世界にはオオヤマト王朝のみがあった。そこから他のオリジン達が離散し、セレフォルンとオルシエラが生まれたのだ。奴ら裏切者を滅ぼし、世界を再びフジワラの名の下に掌握する。それこそがF=ガルディアス一族の、1200年の妄執。
だが地形という壁がどうしても侵攻を妨げ、圧倒的な兵力を持ちながらどうしても攻め切ることができなかった。集団と集団、塵芥同士のぶつかり合いでは、何をどう工夫しても劇的な変化は得られなかったのだ。ウルスラグナもまた、ガルディアス帝国最強の男として最前線に出たことが何度もあったが、無駄に終わった。農耕に適さない土地が大半を占めるガルディアス帝国は、少しでも拮抗してしまうとあっという間に兵糧や資材が尽きてしまうのだ。短期間で敵の領地に攻め込み、略奪の限りを尽くさなければならず、ウルスラグナ個人の武力ではそこまでの殲滅力は得られ無かった。
だがそれもこれまで。異世界の知識を参考に作り上げた空を飛ぶ船『制空船』と、ウルスラグナには成しえなかった究極の個人の力『オリジン』をガルディアス帝国は手に入れたのだから。
「見ておれ、そろそろ鐵のオリジンが動き出す。そうなればセレフォルン王国は瞬く間に瓦解するであろうよ」
鐵のオリジン。
ある日フラッとやって来たかと思うと、当時暴れていたかの餓獣王が一角、海王フォカロルマーレを切り捨てた。
なんとしても引き入れたいとウルスラグナが使者を送ったが、その使者は死者……生首となって帰って来た。おまけに生首を作った本人がそれを持って王城にやってきたのだから恐ろしい。門番から始まり、衛兵、騎士、近衛と切り捨て玉座の間へと悠々踏み込んできたゲンサイに、ウルスラグナは死を悟ったほどだ。
そしてゲンサイは言った。
『獣の相手はもう飽いた。私は人を斬りたいのだ、戦争がしたいのだ。攻め込め。その時は私が勝利をくれてやる』
ゲンサイは知っていたのだ。ガルディアス帝国が他国を侵略したがっていることを。そしてガルディアス帝国には総兵力こそ多いものの、抜きんでた所謂「英雄」と呼ばれるような戦士がいないことを。
だがセレフォルンには、オルシエラにはその目が芽生えつつあった。
かの伝説の『時流の魔女』は言うまでもないとして、風の噂ではセレフォルン王国には次々と戦功を上げて浮浪児から凄まじい勢いで成り上がっている、成人して間もない勇猛な若者がいるという。彼は戦場とあればどこにでも向かい、いつしか『千戦』と呼ばれるようになった。
ちなみに「メイドが怖い」と報告した兵は、正式な場で冗談を言ったとしてウルスラグナに処断されている。
一方オルシエラでは昔から『終わり』と呼ばれる妙な男の存在が囁かれていた。その上、当時世界中を驚かせたことだが、なんと原種ドラゴンの孵化に成功させ、さらには手懐けてしまった少女がいた。彼女は多くの人々の予想通りその竜を駆り『竜騎士』として名を馳せている。
雑兵をいくら斬ってもゲンサイは満足できない。心踊る戦いを求めるゲンサイの狙いは、それらの「英雄なのだ。
しかしガルディアス帝国には「英雄」がいない。
ゲンサイはガルディアス帝国に興味があったから来たのではない。その逆、一番興味が無いから、手駒に選んだのだ。それは屈辱だったが、それでもいいとウルスラグナは思った。それで悲願が達成できるなら、それで奪う側になれるのなら、と。
「しかしセレフォルン王国にはオリジンが三人もいます。恥ずかしながら我々だけでは太刀打ちできていない状況。屈強なるガルディアス軍がこうも苦戦を強いられている以上、かのオリジン達の力は認めざるをえません」
「報告は受けておる。強いな。確かに強い。特に『深蒼のオリジン』……その魔法は世界を自在に操るというではないか。しかし……勝てん。鐵のオリジンには、決して勝てん。1200年前の偉大なる10のオリジンでさえ勝てん。たとえ全員でかかったとしても、勝てんであろうな」
青年は信じられないといった顔だったが、ウルスラグナは確信を持って断言した。誰も勝てない。『鐵のオリジン』ゲンサイには、何人たりとも敵わないと。
「もし……」
ウルスラグナはゲンサイの力を始めて目の当たりにした日を思い出していた。まるでつい先日のことのように、明確に思い出せる。それほどまでに鮮烈な光景だったのだ。
だからウルスラグナはゲンサイの提案に乗った。「ガルディアス帝国は他二国に戦争を仕掛ける。その見返りとしてゲンサイが勝利を与える。そして大陸が統一された後、ウルスラグナはゲンサイの決闘を受ける」という、自身の死が約束された契約を結んだのだ。
全ての英雄を殺し尽くした後、用済みになった最後の「英雄」。英雄のいないガルディアス帝国で唯一の英雄であるウルスラグナを喰らい、ゲンサイとウルスラグナの契約は完遂される。
「もしアレを打倒しうる存在がいるとすれば……」
全てはこの大陸の覇権を取り戻すために。誰からも奪われない強き国にするために。そのためならばとウルスラグナは悪魔と手を組んだのだ。神にすら牙を剥く、そんな悪魔と。
「それは創世の聖霊のみであろうよ」