影話・最強の見る夢
「来たか……」
ロンメルトの故郷でもある港町からも離れた人気の無い砂浜で1人、ゲンサイは悠斗達の乗った船が水平線の向こう側へと消えていくのを見送っていた。
それからもう何時間経ったか、ようやくゲンサイの待ち人が現れた。
「は、お待たせいたしました。ゲンサイ様」
「お前達ではない」
背後の森から現れた鎧で身を固めた100人規模の軍隊には見向きもせず、ゲンサイは海を眺め続ける。
そして海が空を目指して立ち上る。
いや、そう見えるほどに大きなモノが海面に浮上したのだ。
「な、なんだこれは!!?」
「ほお? クジラ……か?」
慌てふためく軍隊を歯牙にもかけず、ゲンサイはそれを見上げる。
一見しただけでは壁にしか見えない。こんな巨大な生物、地球では考えられないなとゲンサイは内心で感心した。そしてそのクジラの頭上の人影を見つける。
「コロシテヤル……」
「命は取りとめたようだが、流石の怪物もその右半身を再生させることは叶わなかったか。いや、ここは悠斗……深蒼のオリジンを褒めるべきか」
失ったままの右肩を左腕で押さえ、クジラの上から憎々し気にゲンサイを見下ろすマクリル=フォカロルマーレ。肉体の主導権は、まだフォカロルマーレが握っていた。
「来ると思っていた。お前は誰より、私を殺したいだろうからな」
「コロシテヤルッ! ワガ、カタキ!!」
クジラがゲンサイの立つ砂浜を目がけて進み始める。常識を超えた圧倒的な体積は、それだけで凶器だ。砂浜に倒れ込んだ瞬間に自分の体重で死んでしまうだろうが、相手も道連れ。大きすぎて人間の足ではもう範囲外に逃げることもできない。
軍隊の半数が無駄と知りながらも逃げ出し、残り半分がそれこそ無駄と知りながら武器を構える。だが隊長と思われる男だけは無言でゲンサイを見るだけだった。彼は知っているのだ。ゲンサイの強さを。妄信していた……それこそ神を崇めるに等しいほどに。
同じくゲンサイもまた確信していた。この程度では自分を殺せないことを知っていた。
「ヨクモ、コロシテクレタナ!! クロガネェェェェェェェェェェェェッ!!!!!」
「もう一度死ね。今度こそ、潔くな」
ゲンサイが刀を抜き放つ。下から上へ振り上げられた刀の切っ先が太陽の光を受けて凶悪な輝きを放った。
「ガ…………?」
その斬撃は空振りだった。フォカロルマーレまで、クジラまでまだ数キロの距離があるのだから当たり前だ。だが二体の怪物の動きは止まった。そして海が夕暮れの如く真っ赤に染まる。
一瞬遅れて、思い出したように海が割れた。
まるで神話の再現。砂浜が、海が、海底が、空の雲が……そしてその軌道上にいたクジラとフォカロルマーレが紙細工よりも呆気なく両断された。
割れた海が元に戻ろうと、二体の亡骸を飲み込んで流れ込む。数分後にはさっきまでと同じ穏やかな海がそこにはあった。ただ海水が血で染まっていることを除いてだが。
「羨ましいぞ、海王。二度も死ねるとは、貴重な経験じゃあないか」
嘲るような呟きを、しかし向けられた相手が聞くことはない。
「さ、さすがですな、ゲンサイ様。しかし先程の男……マクリル・アレクサンドル?」
「ああ、そんな名前だったか」
「なんと……! 立派な人物だと聞いていたが、まさかゲンサイ様に餓獣をけしかけるような真似をするとは……愚かな」
実際はマクリルではなくフォカロルマーレなのだが、それを彼らが知る筈もない。ゲンサイもまた、わざわざ否定しようとは思わなかった。ただ1つを除いて。
「マクリル・アレクサンドルは行方不明として扱え」
「は? それは何故……」
「どうせ二度と会えん父親の死を、わざわざ叩き付けることもない」
ゲンサイの頭に浮かんだのは、自分に尊敬の眼差しを向けて来る赤髪の少年の姿だった。ただ黙っているだけで与えてやれる希望を、なにも奪う必要は無い。それが自分を師匠と呼んだ少年への最後の慈悲だった。
「それにな、つまらんだろう。せっかく楽しめそうな相手が現れたというのに、それが戦う前から意気消沈としていたのではな」
「は、はあ……」
隊長はよく分からないまま頷いた。もとより彼の選択肢に、拒否なんてものは無いのだ。
「では戻るとしよう。急ぎ帝都で準備を進めなくてはならん」
「と言いますと」
「分からんか? 戦争だ!」
軍隊に緊張が走った。
ガルディアス帝国はセレフォルン王国の土地を狙っている。それを率先して推し進めている人物と、最後の引き金を引かずに押しとどめている人物は同じだ。その人物が遂に号令をかけた。
「ようやく役者が揃った。ふっふっふ……深蒼、常緑、それにあの鮮血の娘。そしてロンメルト、やつも期待できる」
ゲンサイの表情が喜悦に歪んだ。手で押さえてもニヤけるのを隠しきれない。楽しみで楽しみで仕方ない。
オリジンが3人。凄腕の剣士が1人。それに伝説の魔女に、歴戦の将軍もいる。その点で見ればガルディアス帝国は不利だ。いくら数で上回っても、オリジンが1人いるだけで覆されるのだから。
「そのオリジンが3人も……ふっふふふふ、ああ楽しみだ。どんなに楽しい戦いになるだろうか」
思わずセレフォルン王国の方角を振り返る。その勢いでゲンサイの髪が振り乱された。真っ黒な髪だ。オリジンのように一部だけが魔力色で染められた様子もない、黒。だがよく見れば左の耳元の髪だけが、他の髪よりも更に黒いことに気が付ける。それは光を飲み込んでしまうような、暗黒色。
「ようやくだ。獣の相手は、もう飽いた。日本刀は、人間を斬ってこその物だろう!?」
男は剣道場を持つ師範だった。そして同時に刀鍛冶でもあった。
どれほどのフラストレーションだったか。いくら剣術を極めても、それを十全に振るうことは許されず、ましてや鍛錬を重ねた刀を本来の用途で使うことなど断じて許されない世界。
だがここでなら許される、称賛さえされる。だが足りない。弱いのだ。どの人間も、どの餓獣も、男がその磨き上げた技術と刃を限界まで試すには余りにも弱すぎた。
だから待った。時に国同士の関係を乱し、時に強大な餓獣をけしかけ、強者をいぶり出すように探し、鍛え、早10年。とうとう現れた。現れたのだ、本気で楽しんでも簡単に壊れなさそうな相手が。
「さあ戦争だ! 急げよ、奴らがセレフォルンを出る前に仕掛けなければ意味が無い。生きるか死ぬかだ。死にもの狂いで戦わねば生き残れん状況に叩き込んでやろう。そして戦おう! 私と! 命を賭けて!!」
ゲンサイが帝都を目指して歩き出し、100人の兵士が恭しく付き従う。力が全てのガルディアス帝国の人間が従うのは、ただ最強のみ。彼らは知っている。この大陸、この世界で最強は自分達を引き連れるこの男なのだと。
「期待しているぞ、深蒼。このゲンサイを……『鐵』のオリジンを楽しませてみせろ!」