20.失態
数分後。俺は、紀野姉が眠る病室に立っていた。
紀野も、嫌みを言う口を開かなかったら、なかなかの美少女である。
秋菜より、幼い顔つきと体つきだ。無理して作り上げた雰囲気が、紀野を大人っぽく見せていたんだな。
今の彼女は、中学生で通る。
その紀野の、大人バージョンともいえる紀野姉こと紀野エリコは、予想を上回る美人だった。健康的な美女ではなく、透明で壊れやすいガラス細工のような美女。
抗ガン剤の副作用なのか、病気のもつ本来の陰子なのか、紀野エリコは苦しんでいた。
紀野キリコには、見張りとしてドアにへばりついてもらった。病室に、だれも入って来ないようにするためでもある。同じ失敗は紀野姉妹で止め置きたい。
――さて、術式を執り行おうかね。
面倒が起きると嫌なので、エリコは既に眠らせてある。
俺はエリコの胸をはだける。まろびだす二つの白い球体。てっぺんで上を向いているチェリー。俺も持ってるチェリー。
……ノーマルな男であれば、ドキドキする場面らしいが、生憎と俺に性別はない。
全く感情が湧かないというのも勿体ないことだ。これが秋菜だったなら、……何を考えている俺! 意識を集中しろ俺!
ふと、後ろを振り返ってみる。疑い深そうな目をした紀野が、ドアの影から顔を半分出してこちらを見ていた。
「こほん!」
咳払いを一つ。そして、指をクネクネして準備運動っぽいデモンストレーションをしてみせる。
納得いったのか、見張りに戻る紀野。
さて、気を取り直し……。
「奇魂」
腋に両手を当て、動脈を探し出す。指先の皮膚を同化させ、エリコの体内に挿入。
指の先端から、俺様の式である体液、つまり、「水」をエリコの中に出した。
動脈の幹線道路に入った俺の水は、エリコの肉体を欲して浸透していく。やがて来る奇妙な一体感、そして満たされる支配欲。
紀野エリコの血液は、汚れていた。抗ガン剤ってヤツだな。
俺は、抗ガン剤を否定しているわけではない。ただ、薬ってヤツは毒の別称なんだ。
エリコの血液中に含まれる成分の一部は、確かにガンの進行を緩めることができるのだろう。でも、確実に他の器官を痛めつける物騒な物だ。
異物を分解しつつ、問題の芽球に集中する。
後は秋菜と同じ。紀野エリコの肉体に、さほど興味がないので詳しい描写は割愛する。
それでは味気ないので、一言感想を述べる。
病魔が進行していた分だけ、手間がかかった。以上!
徐々に紀野姉の表情から陰の要素が消え、陽の気配が段々と広がっていく。
術式終了。
ふー疲れた疲れた。
椅子で伸びる。やっぱり怪しい整体師はやめだ。しんどい。
「終わったよ」
キリコに声をかける。声に痰が絡んでいた。
秋菜の時よりほんの数分、「土」の力を長く使っただけなのに。それだけ、「土」は、「水」を浸食するのか?
「お姉ちゃん!」
キリコが飛び込んできた。姉に声をかけた後、俺に確認する。
「もう大丈夫だ。明日、一番に検査してもらえ」
キリコの顔に、明るい光が射す。
「お姉ちゃん、よかった。お姉ちゃん、もう大丈夫よ!」
泣き笑いのキリコ。表情豊かな少女キリコ。イメージが狂う。
キリコに椅子を譲ろうと、立ち上がってふらついた。なんてことだ! 無敵の水神がバテて、……夕べも同じことを言ったような……。
キリコが、姉に抱きついて泣いている。湿っぽい光景は苦手だ。……俺、水だけど。
そっと気づかれないように、ベッド横の引き出しを開ける。小銭入れからコインを数枚抜いて、コソっと病室を抜け出す。これくらい黙ってもらってもいいだろう。
このまま秋菜の病室に帰るのもマズイ。今の俺は、ゲッソリと痩せこけているだろう。消耗しきっている姿は見せたくない。
前のように眠らせておけばよかった、と後悔するも、時すでに遅し。
重い足取りで行き着く先は、森林公園入り口の自販機。
スポーツドリンクをボトルで購入。ボトルを垂直に立て、体内に流し込んだ。水分が胃の腑に届く前に吸収されていくようだ。
そのままペタリと座り込み、つきたての餅のように湯気を立ててグニグニになる。
風が木々を揺らし、ザワザワと音を立てていた。
「あー……」
沢口家に戻って、四日目が過ぎようとしている。三日目の昨日まで、俺は、沢口家を出ることを考えていた。何だかんだ言ってぐずぐずしていたが、出ようとすれば出られないワケではなかったはずだ。
そうだ、俺のどこかで出たくない、つまり秋菜と別れたくないと思っていたんだ。
たった四日間。その間に俺の生き様が大きく変化した。
俺は水神。大昔より、世の移り変わりを傍観してきた存在だ。
人間と虫ケラに、どれほどの違いがあろうか。生まれてから死ぬまでの、短い生の中。懲りもせず、同じ過ちを繰り返す愚かな生き物ども。
そんな人間に、たった一人の人間に、こうまで入れ込むとは思わなかった。
荒魂よ(あらみたま )、祟り神よ、と恐れられたこともある俺が、だ。和魂の(にきみたま )まま幸魂( さきみたま)、奇魂と(くしみたま )なりて……。
アラミタマが、ニキミタマのまま、ユルユルとした生活を送り、サキミタマとして、小娘ひとりの幸せを願い、クシミタマのチカラを使って病を平癒する。
俺って、バカくね?
――案外、バカってのもいいかもな。
また、木々が木の葉をゆらす。
「何が不満でざわめくのか。俺は、お前らに命を与える存在だぜ。感謝こそされ、嫌われる道理はない」
俺の声に答えたか、落ち葉を踏みしめる音がした。
人の聞こえる音量ではない。言い換えれば、人が出す音量ではない。
「誰だ?」
残った水を急いで飲み干す。今、人間以外の変な生物とケンカして勝つ自信はない。
「前から注意したかったのですが、言葉遣いが乱暴ですわよ。春菜さん」
森の奥から顔を出したのは、……暗闇から、顔だけを浮かび上がらせたのは、歳星有希子理事長。
「まるで、最近、女の子になったみたいよ」
木々の中に佇む女は、闇の衣装をまとっていた。白い顔と、白い手だけが見えている。
なにこれずげーこわい。
「何が言いてぇ?」
残った力をフル動員して万一に備える。実に頼りない体力だ。
「春菜さんの体、いえ、社に入って間がない。と言っているんですけど、違いました?」
なんてことだ! それが解るってことは、こいつもエレメンタル神だ!
俺は背を丸めてバネを溜め、つま先立ちになって戦闘態勢を取る。
取りあえず、ウォーターカッターで切り刻んでやろうか、と危ないことを考えていたら、
「わたくしが思うに、あなたは、『水』のエレメンタル神でございましょう? わたくしは、『木』のエレメンタル神。あなたと戦うつもりは、ございませんことよ」
なんだ、木か。一気に緊張が解ける。
木とは敵になり得ない。相性がよすぎるのだ。木は、水の恩恵を受けて生を営む。水がなければ木は枯れる。
「いつ知った?」俺は、緊張は解いたが、油断はしていない。
「最初に会ったときかしら。確信したのは、園長室のドアノブ。見えない木の棘に、ただの人では反応できませんわ」
そうか、あの時の。園長室の、ドアノブの一件。歳星は、あの部屋にいた。
「ついでに、社が新しい、……つまり、わたくしの正体を見抜けないでいる、と確証したのは今朝。木の神であるわたくしを前にして、堂々とゆすりを働いたときですわ」
艶やかな笑みを血の色をした唇に浮かべる歳星理事長。
治癒に関して、木のエレメンタル神は、水のエレメンタル神に次ぐエキスパートなのだ。
あっさり見抜いておきながら、あんな芝居をするか? たいした役者だ。
「ただ者ではないと思っていたが、そうか、『木』か。あまり脅かすな木の神よ。何用だ? まさか、慰謝料の約束を反故にする話じゃねぇだろうな?」
俺の体から殺気が消えたのを確認したのか、歳星はゆっくりと近づいてくる。
「わたくしと手を組みませんこと? 『互いに苦手をカバーしあいませんか?』というお誘いよ。」
なるほど。
物質としての構成要素を指すのではなく、行為の性質や属性を指すのが五行思想。
……人間が言うには、ね。
俺たちエレメント神に言わせれば、それが全てではない。
実際に、構成要素の代表選手が降臨した、という事実がここにある。俺たちはエレメント、つまり構成要素の神なのだ。
まあね、因縁つけるつもりはないよ、うん。昔の中途半端に賢い人がさ、人の生活を中心に、各要素をはめ込んで理論づけた思想だからね。
水気と木気が戦いにならないのは事実だ。水は、木に命を与えるだけだし、木気の力は、水気に対して弱すぎる。
例えば、俺が苦手とする土気の緋色は、木気の歳星を苦手とする。
一方、歳星が苦手とする金気と火気は、水気の俺を避けたがる。
二者が組んで損はない。
「で、二人が手を組んで何がしたい? 何が狙いだ? まさか俺の治癒能力で、病院経営にテコ入れしようってんじゃないんだろな?」
自販機を挟んで並ぶ二人。歳星の顔半分だけが、青白くライトアップされる。
「ふふふ、それも一つでございますわね」
妖しく微笑む歳星。
俺は歳星のことをよく知らない。ちょっと喋ってもらわなくてはな。
「あんたの想像どおりだ。俺は女の社に入って間もない。春菜の体で二代目。通算十年になる。春菜の前は、男の社を使っていた。べつに、社に入りたくて入ったわけではない。止むに止まれぬ理由があったからだ」
人間の手によって、水脈が枯れることはよくある話だ。俺の場合、強引に古墳群を抜けるバイパス道路工事の影響だった。
これまでか、とあきらめていた時、水龍(の元)に逢えたのは幸運だったのだ。いろいろ制約はあるものの、自立的に動き回れる自由を与えてくれた水龍(の元)には、感謝している。
「やはりそうでしたか。わたくしは、ほどなくあなたの正体を見抜けたのですが、……あなたは本体と社とが、完全に融合しきれていないのですね。だから、他のエレメンタル神であるわたくしを感知できなかった」
そのとおりだ。完全融合体であったとしても、自分と違うタイプのエレメンタル神を感知するには時間がかかる。五分や十分では不可能だ。
春菜を社として十日と経っていない俺に、歳星有希子の正体は見抜けなかった。俺の目には、ただの変質者としか映らなかった。事実変質者だし。
いや、余計なことは言うまい。とにかく俺は略歴を述べた。木の神、歳星有希子に、自己紹介を促す。
「あたくしが、この社を手に入れたのは、太閤秀吉の治世でございました」
遠くを見る歳星。えらく遠くを見なきゃいけないな。……俺は平成の社だしな。
「わたくしは本来、京の、とある小さなお寺の境内にあった、樹齢三百年になる櫟の木です。降臨したのは戦国の世でした」
降臨というのは、自意識が目覚めた時のことをいう。でも、古けりゃ降臨するとは限らないのが不思議なところ。……あまり古すぎて、妙に悟ってしまうのかも?
「幸いにも戦火を逃れ、後に社を手に入れた次第でございます」
ざっと四百年間も同じ社か。よく飽きが来ないな。
まあいい。そろそろ話を戻そう。
「面倒なのはよそう。ホントのところ、用件はなんだ? 俺に近づいたのは、火気や土気に備えるだけじゃないだろう? 本心を単刀直入に述べよ。場合によっちゃ共闘せんこともない」
「では、お言葉に甘えまして――」
歳星が柔らかく微笑んだ。
「わたくしといたしましては、あなたに清流財閥を引き継いでいただきたい、と思う次第。それともう一つ……」
もう一つって?
「秋菜さんの体が欲しい」
次話「殺戮」
「なら、心おきなくお前を殺せるな」
お楽しみに!




