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1. 悪神


 あたしの名は沢口春菜。


 現在、九州某所にて、土砂降りの雨の中、崩壊した道路より増水した川へと落下してる最中。ぶっちゃけ、致命傷を負っている。


 周囲が白黒と化し、万物がスローモーで動いている最中、強制的に過去の出来事を思い出している。




 今より一時間前……。



 下着まで雨がしみこむ土砂降りの中、ガス欠したバイクを一生懸命押していると――、


「うおぉおい、そこの彼女!」

 頭上から、ギターを背負った黒ずくめの(あいつ)が落ちてきた。


 変な姿勢でアスファルトと激突!

 ボーリング玉を叩きつけたような重い音。飛び散る赤いしぶき。

 彼の左腕が、ありえない方向に歪に、ギターはバラバラになって飛び散った。


 それっきりぴくりとも動かない。


「えっ? ええーっ! ちょっとぉーっ!」


 男はムクリと起き上がり、平然とこう言った。

「君はバイクのガス欠で難渋していると見た。俺はガソリンを持っている。取引きだ! 君にこのガソリンを無償提供しよう。そのかわりに、俺を隣町まで乗せていってほしい」


 何者? 不死身? バケモノ?


 とは言うものの、魅力的な取引に負けたあたしは、男を後ろに乗せてバイクで走り出した。


「俺の名はスイマスイリュウよろしくな」


 雨に濡れた漆黒の長髪で馬面。とがったアゴにうっすらと生えた無精ひげ。

 着ているものといえば、革のコートに革のズボン、そして黒いウエスタンブーツ。

 黒一色でコーディネートされた彼は、唇の端を不格好につり上げて笑っていた。

 後ろに乗せた事を後悔させるほど怪しい。


「実は頭の痛いヤツに追われているんだ。もっと速く走ってくれ」


 彼は「逃げている」のだ。

 じわりと滲みだしてきた忌まわしい思いを奥へ追いやる。


 あたしの中に共感できるものが湧き上がってきた。スイリュウに同情と仲間意識が芽生えかけたと思っていたら……。


 いきなりバイクを転かされた。


「フハハハハ、悪いね彼女。実を言うと、俺は悪党なんだ。君は俺の被害者だ。俺は、明確な悪意を持って、君を陥れた。運転覚えたんでこのバイクは頂いていく。悪く思うなよ!」


 百キロ超のバイクをヒョイと片手でおこすスイリュウ。バカが二つ付くほどの力持ちだ。

 腰高のオフ車になんとか跨り、ギコギコした危なっかしい運転で去っていった。

 





 ……そして三十分前。


 スイリュウにバイクを乗り逃げされてすぐの事である。


 あちらこちらを擦りむいて血を流しているあたしの手前で車が止まった。黄色い車だ。


「君、大丈夫かい?」

 冷静な声。でも、どこか優しさを感じる男の声だった。


「君に狼藉を働いて逃げた男の名は、スイマスイリュウ。水の魔物に水の龍、と書いてスイマスリュウ読む。私が追っている……いわゆる犯罪者だ。君のような女の子にまで、容赦なく暴力を振るう卑劣な男さ」


 ナニこの人? 水龍の知り合い? 黄色い国産スポーツ車から降りた男は、拍子抜けするくらい若かった。


「私の名はヒイロ、緋色着剣(ひいろちやつけん)だ。傷を見せて」

 緋色があたしの傷口に手を触れる。するとどうだろう、みるみる傷口が塞がっていく。


「便利だろ? ちょとした超能力? 手を当てて手当という。このままじゃ風邪を引く。車に乗りなさい」

 雨は本降り状態をキープしてる。あたしは誘われる様に車に乗った。


 車は静かに走り出す。


「呼びにくいので、君の名前を教えてもらえると助かるが」

「あ、ご免なさい。あたしは春菜、沢口春菜です」

 彼らに比べると平凡な名前で悪い気がするが仕方ない。本名なんだから、と自分を卑下する。なんだか自分が情けなくなって、自己嫌悪におちいった。


「それで、あの水龍って人は何をしたんですか?」


 緋色の目に一瞬の逡巡がめぐる。

「春菜君は知らない方がいい。愉快な部類のストーリーじゃない」

 ああ、予想したとおりの答え。べつにかまわない。余計な気苦労を背負い込まないですむ。


「春菜君こそどうしたんだい? ゴールデンウイークはもう少し先だ。普通なら、学校に通ってる季節だと思うんだがね」

 車は山へ向かうつづら折りの道へ入っていく。


「実は……」

 不思議だった。あたしは誘われるまま、話を始めた。


「あたしは、実は家出していて……」




 家出したのはちょうど一年前。


 以前から家を息苦しく思っていた。妹の秋菜から受ける圧迫感が耐えがたかったのだ。

 小学一年生の時はよかった。少し良い成績を取ってくれば両親からほめられた。


 一年後、あたしが二年に上がり、秋菜が一年になったある学期末。あいつはあたしより良い成績をとって帰ってきた。

 両親は、一年生の時のあたしの成績と比べて妹をほめる。あたしは駄目なの? 駄目な人間なの?


 あいつはあたしを見て育っていく。目の前に手本がいるのだ。あたしより効率よく勉強できて当たり前でしょう?

 中学に入って秋菜から離れられたとき、やっと気がついた。来年、秋菜は中学生になる。


 妹が追いかけてくる!


 少しでも妹から離れようと背伸びをし、原付を飛び越えていきなり自動二輪をとった。秋菜も、すぐに追いかけて免許を取るだろうことは想定している。

 春生まれのあたしと秋生まれの秋菜。秋菜が免許を取れるまで、一年と五ヶ月の開き、いわばタイムラグがある。


 ――その間、秋菜はなにもできない――。




「えてして、時と空間が解決してくれる問題もある。人と人は、いつも近くにいれば仲良くなれるとは限らない。離れているからこそ仲良くなれる場合もある。君たち姉妹の場合がそれだろう。人の手では解決しない問題だ」

 私の心に、直接ささやくような優しい緋色の声。


「着いた様だ」

 緋色が前を指さす。


 森の端に、水龍が乗り捨てたバイクを見つけた。





 ……そして15分前……。


「雨が降っている間は、水龍に有利だ。こちらとしては、なんとか地の利に持ち込みたいものだ」

 あたしに向けた言葉ではない。緋色自身に向けられているのだ。


 緋色は、エンジンも切らずに車を降りた。つられてあたしも車から降りた。雨は後ろからの風で吹き降りになっていた。


 あたしのバイクは、峠を降りきる直前、鬱蒼と茂る木々の狭間に立っている。

 律儀にスタンドを立てて止めてあった。ボロさからいって、不法投棄されたバイクにも見える。

 何せ二万円で……。


「すぐに済む」

 緋色は、そう一言残し、一瞬で木々の狭間に消えた。文字どおり消えた。


 控えめに見ても人間のスピードじゃない。


 あたしは、言われたとおりに、車のサイドシートで大人しくしている。

 どうも現実離れした出来事が、あたしの周囲で起こりはじめている。

 まるで、「夢?」


「夢じゃない」


 水龍が車の向こうに立っていた。髪や肘から水滴が滴っている。


「見事フェイントに引っかかったって訳だ」

「水龍……さん。あなたや緋色さんは、……何者なの?」

 まだ残る緊張にシートの端を手で握りしめながら、あたしは先程からの疑問を口にした。


「手短に言う。俺とあいつは……」

 少しのためらい。


「おまえ、五行って聞いたことあるか? 水・木・火・土・金の五元素、乱暴にいえばエレメントのことなんだが。八百万の神のうち、自然を元とする神々は五行のいずれかの出身だ。……と言われている」


「いわゆる……水は火に強くて地に弱いって……」

「そんな単純なものじゃねぇんだが。なんつーか俺が水神で緋色が土之神つーかな」

 あたしは水龍の説明が理解できない。それ以前に、文に脈略がないのが一番の問題だ


「なんで、緋色とあなたは戦っているの?」

 あたしの舌がこわばっている。


「うん、じつはな……この前、町で不良が絡んできたんだ。もちろん、金を巻き上げて川に突き落としてやったさ。後でそいつの家を探しだし、ガソリンをぶちまけて火をつけてやった。それのどこが悪い? 『水』の能力で人を襲ったわけでもないのに! 信じられないことだが、それが緋色には理解できないらしい。って、なんで不自然に目を細めて俺を見るかな?」


「あなたの言葉が理解できない。あんた、彼女いないでしょ? 友達もいないんじゃない?」

 別の意味で怖い目をする。


「女だの友だの、なに甘いこと言ってやがる。俺は俺が可愛いんだ。他人の為に、指一本動かすのだってヤだね」

「でもガソリンと移動手段の取引はするのね」


 水龍は、「ふー」と大きくため息をついた。やれやれと嫌みったらしく眉を寄せる。


「あのね、俺は刃向かう野郎には躊躇無く暴力で応じるぜ。アメ玉一個の取り合いで人を殺すこともあるだろう。でも、ほかに道があるなら、めんどくさい場合を除いて選択するのもやぶさかでは……あ!」


 いきなり水龍が飛んだ。軽く車に飛び乗り、ボンネットを踏み台にして高く飛んだ。


 とても人間が飛べる高さじゃない。


 いきなり水龍が立っていた場所に土の壁がそそり立った。

 アスファルトを割って生えていたとしか言い様のない存在。

 なにこれ? わけわかんないよぉ!


 緋色が走ってきた。


「春菜君、君は下がっていろ。今、君を守る余裕はない」

 声色は、緊張と興奮が混じっている。緋色に似合わない声だ。


「取ったぞ、(ツチ)っ!」

 真上から水龍が落下してくる。水龍の姿が……変身した?

 海老カニを彷彿させる鎧に覆われていた。


「すまない、春菜君! 後で治してやるからね、牙山(がざん)!」

 緋色が叫ぶ。大地からアスファルトを突き破って、何本もの太い土の牙が生える。


「ちょ、ちょっ待て緋色!」

「嫌ぁー!」

 三人の足下で、大地がぐざぐざに裂けた!


 あたしははじき飛ばされていた。大地から上空に向かって無数に飛び出した牙が、あたしと水龍を切り裂いていく。


 道路から跳ね上げられた格好のあたしは、谷底に落下していく。脇腹が切れたのかな?

 血が、帯のように噴き出しているのが見える。


 痛みは一瞬だった。今はもう痛くない。水龍が空中で……。


 我に返ると、何かに引っかかっているのか、崖に体をぶら下げていた。


 引っかかっているのは、あたしの手……を握る水龍の手。





 ――そして今――



 朦朧とした意識の中。見上げると、甲殻類装甲もヒビだらけで、何カ所か剥離している。そこから出血。彼も血みどろになっていた。


 歯を食いしばって、何かを我慢している水龍。

 そんなに苦しければ、この手を離せばいいのに。


 水龍から流れだした血が、あたしの体を伝う。大量の血が、泥で汚れた私の傷口を洗っていく。

 いや、そもそも流れているのはだれの血だったっけ?

 かったるい。早く目を閉じたかったけど……。


 最後に一度だけ、死力ってモノをふり絞ってみた。

「自分の……怪我、なおすの得意じゃなかった……の?」

「人のことはかまうな! 早くどこかにつかまれ」


 そんなこといってる間にも、水龍の血がどんどん私の体を流れていく。

 つかまるってどういう意味? 腕って動くものだったっけ?


 脳が活動をやめたのか、考える「力」も血と一緒に抜け出てしまったのか。

 死んじゃうの?


 ――あれ? 死ぬってこんなこと? もう考えなくていいの? 


喉に刺さった小骨が取れた気がした。

 これこそあたしの望んだ理想の世界! あたしは死を望んでいたんだ!

 気が張ったせいか意識が冴える。とたん、激痛が体を襲ってきた。


「あくぅっ……」

 嫌だ、苦しんで死ぬのは嫌だ!


「おい、くそ女! 話がある!」

 見上げると、朱に染まった水龍の笑顔があった。人肉にありついて、歪んだ喜びを得た悪鬼のような笑顔。


「俺が痛みをを消してやろうか?」


 声にだす必要はなかった。あたしの意識が肯定するやいなや、痛みと入れ替わりに心地よい気怠さが浸透していった。

 そして、どんどん体に力が入らなくなっていく。


 あとは早く妹のいない世界へ行くだけだ。絶対に妹が追いかけてこない世界へ。


「春菜君!」

「緋色! てめえはこれでも喰らってアレしてろっ!」

 水龍は、緋色の攻撃の前に最後の抵抗をした。


 緋色も攻撃を仕掛けていた様だ。

 彼の攻撃は勢い余って、水龍の体ごとあたしを谷底へ吹き飛ばしてくれた。


「しまった! 春菜君!」

 後悔を叫ぶ緋色。

 別にいいのに。緋色には感謝するよ。


 暗くなった視界の端っこに、下半身がちぎれて半分になった水龍を捕らえた。


 あたしの顔に、目に口に雨以外の水滴が当たる。何だろこれ?

 水龍の目から出た透明な液体だった。

 化け物も死ぬときは泣くみたいね。


 あなたもすぐ、涙を出す器官が、活動を停止するわ。肉体が無くなれば、体が無くなれば、泣かなくて、も、いいの、よ。


 ……なるほど、体のない世界なら……


 体がないなら、お母さんのお膝も欲しくないし、お父さんのおんぶも必要ないし。脳が無くなってしまえば、……うざったいこと考える器官が無いから楽になるね。


 永久なる至福よ。揺りかごなる暗雲よ。


「……これで助かったらシャレになんないわね……」






 そして柔らかい闇と、暖かい眠りの世界が訪れた。



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