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18.逃避


「おおぅ! こんな所に水脈が!」

 俺の奇行に、何事かと集まっていた人の輪から、歓声が上がる。


 今まで、「あれがギャルってやつかね?」とか、「この陽気だからね」とか陰に部する批評を立てていた連中が、「あの子は水脈が読めるのか?」とか、「ただ者じゃないと思っていた」などといった、陽の批評家になっていた。


 芹川父が、噴き出す水を手ですくい、一口飲んだ。

「なんだこの水は!」

 目を見開き、信じられないといった顔をして俺を見る。


「うまい! 今までのお水より、はるかにうまいじゃないか!」


 そりゃそうだ。今までのが、三助水神のションベンみたいな水だったんだからな。本流との違いが分からなかったら、造り酒屋の当主失格だ。


「後は自分らで掘り進めろ。地下水脈は岩盤の間を流れている。堀り過ぎるんじゃないぞ」

 えへん! ちょっと自慢。……つったって、別に大したことじゃない。人で例えるなら、24色絵の具入れから、水色の絵の具を選び出した、その程度の行為だ。3歳児にだってできる。


「ありがとう! 君には、どう言ってお礼をすればよいか見当も付かない!」

 芹川父が、俺の手を握ってきた。井戸の親方も、俺をスカウトすると言い出す始末。


 ふははははっ! 気分がいいぜ!

 だれだぁ? アブナイ目で俺を見てたのは? あ?


 もっと褒めろ! 褒めて褒めて……。

褒められて気分はいいが、なんだろう? いまいちノリが悪い。


 そうだ、あんまり嬉しくないのだ。……嬉しくないのは、なぜ? 


「この湧水は、おそらく神水です。必ずお祭りしてください」

そう言い残し、俺は、くるりと背を向け走り出した。


 芹川父が、何か声をかけてきたが、シカトした。

 いらない詮索は受けたくない。


 俺は、何故幸魂を( さきみたま )……芹川を助けてしまったのか? 疑問が残る。


「春菜姉さん、すごいっス! どうやって地下水のありかを探しだしたんっスか?」

 水之江が走りながら声をかけてくる。そうか、こいつらまだいたんだっけ。


「一番湿っぽい所を掘っただけだよ。偶然だ!」

 これは言い訳。しっかり締まった地面だった。


「なるほど。だから地面が緩くてあんな簡単にパイプが埋まっていったのか!」

 フランスパン頭が、ガソリンタンクをチャポチャポいわせながら走っている。お前、なんでそんな危ない物持ってるんだ? 


「春菜姉さんが持ってろ、つったんじゃないですか!」

 俺、そんな怖いこと言ったっけ?


 そんなこんなで、芹川家の玄関をくぐって外へと脱出した。まだ日は高い。芹川家で過ごした時間は、三十分とたっていなかった。


「てっきり、春菜お姉様って、もの凄く地質学に詳しいのかと思ってしまいました!」

 メガネが、古新聞の束をうちわにして扇いでいた。


 そこで思い当たった。いや、理由を見つけた気がした。


 俺は、水神としての知識と能力を使いたかっただけだったのだ。それで説明が付く。

 だよなー。俺って、そんなに親切な知的生命体じゃないよな、ハッハッハッ……。

 まだ残尿感の様な、わだかまりが残っている……。


 ……いやまてよ、そもそも何で芹川と、ことを構えなきゃいけなかったのか?


 その時。

「沢口!」

 俺を呼ぶ声が後ろからした。振り向くと芹沢だった。


「礼を言う! このとおりだっ!」

 深々とお辞儀をする芹川。美しき青春……。


 うわー! だめだ俺、こういうの!


「ば、バカ! 人が見てるだろう! 偶然だよ偶然。さっきの話し聞いてなかったの?」

 ……水之江との会話だったから聞いてないか……。


「それよりあなたねぇ……」

 取りあえず言ってみたが、後が続かない。


「学校やめる理由が無くなったんだから、明日からまた学校へ来なさいよ! あたしは別に待ってるわけじゃないけれどっ!」


 チクショー! 意味不明のセリフだぜ! ボキャブラリーの少なさに、顔が赤くなる。

 俺は、それだけ言って走って逃げた。


「行くよ! 俺、もう一度清流に戻るよ!」

 相対的に遠ざかっていく後ろから、芹川の声が小さく聞こえた。


「春菜お姉様! そのセリフ俺にも言って欲しいっス!」

「脳に毛が生えてんのか、てめえ!」

 打点の高いローリングソバットが、水之江のテンプルに決まった。  


「でも、気持ちいいですね。何にもやってないけど、芹川を助けたような気分で、俺なんだか嬉しいです」

 メガネが、倒れ伏す水之江を抱き起こす。顔には険のない笑みを浮かべている。


「あたしは、……別に嬉しくない。……嬉しいとは思わない」

 俺は、昼からずっと機嫌が悪いままだ。芹川に感謝されても、全然おもしろくない。


 さっきもそうだ。褒められても嬉しくなかった。


 何かこう……喉に小骨が刺さったような、……気分が上向きになるには、何かが引っかかって邪魔しているというべきか……。


「よく分からないんですけど、春菜お姉様が井戸を掘りあてた行為は、十分賞賛されると俺は思うんですけど」

 メガネよぉー、だから何か場違いを感じるんだ! って言ってんだろがよ!


「そうですか? 秋菜さんがいれば、きっと秋菜さんも、春菜お姉様を褒めたたえていた場面だと思うのですがねぇ」


 それだ!


 メガネの言葉に、ハッとなる俺。


 そうだ、俺は秋菜に褒めてもらいたいんだ! 知らず知らず、秋菜にいいカッコしようとして、親切なところを見せつけたんだ!

 喉の小骨は、とり払われた。


『どうだ! お姉ちゃんってば、スゴイだろ?』『お姉ちゃんスゴイ!』

 一人二役の脳内小芝居が終わった。……虚しい……。


「早くタンクを取り付けて帰ろう。今日も秋菜の見舞に行かなくちゃ」

 そうだよ、道草食ってないで、早く秋菜の元へ行こう!


 太陽は赤く染まって、西の稜線にかかろうとしていた。

 バイクの修理をもどかしく感じた俺は、水之江達をその場に残し、一人走って帰った。


 人間の能力を一歩だけ越えるスピードで走る。ひとけのない道では思いっきり走った。時速百四十五キロをマーク。時間を短縮する。


 健康になった秋菜の、ナニを心配しているのか? なんでペットの秋菜をそこまで心配しなくてはいけないのか?

 その時は、迂闊にも考えが及ばなかった。


 沢口ママに行き先を告げ、外で食べると言い残し、産廃バイク……もとい、中古のオフ車に飛び乗って走り出す。


 自ら生み出した風に、制服のスカートがまくれあがって……。

 着替えるの忘れてた! ……ナニ俺はあわててるのか!


 スクタ以外のギア付きバイクに乗るときは、長ズボン着用のこと。「何だよ、ウザってーな!」なんて、勘違いしている人も多いだろうが、これには、ちゃんとした理由があるのだ。


 普段、ジーンズの厚い生地を通して、接触してきたシート。今回、薄い生地のパンツを通して感じたわけだが、シートのゴワつき感は気持ち悪い。

 おまけに、ナマの太股だと摩擦係数が高い。シートとコスコスしにくいので、理想的なライディングポジションをとりにくいのだ。


 仕方ない。シートに座るのを諦め、ステップに立ったまま、走り出した。

 よい子は真似しちゃいけないぞ。


 相変わらず、この国の交通マナーは素晴らしい。

 清流病院までは右折が多い。交差点ごとに、対向車が途切れるのを待って曲がる。それが常識だ。


 ところが、毎交差点ごとに、待つことなく車が止まってくれる。中には、急ブレーキをかけてまで、止まってくれる車もいた。

 自己中が多くなったと嘆く人もいるが、ドライバーは頭の低い人ばかりだぞ。道を譲ってくれた人は皆、下から覗き込むような低姿勢だったからな。


 それにしても、やけに髪が乱れる。いつもより風が目にしみる。

 ヘルメットとグローブ、おまけに免許証を部屋に置いてきたことに気づいたのは、八階建ての病院の屋根が見えた頃だった。  


 各交通法規は守ったんだから、この程度なら、秋菜に叱られることはないだろう。


 よいこは、……泣きたくなってきたぜ、コンチクショー!


 妙に秋菜に怒られることに対し、ビクビクしている俺がいた。






 病室の秋菜は血色もよく、出された食事に文句をつけるほど元気だった。……病人じゃないんだから、当然といえば当然か……。


 とりとめのない雑談と、昼に仕入れた昔話の思い出を語りながら夜は更けていく。やがて消灯となった。


「明日、学校へ行ければいいね。お姉ちゃん」

「病院の支払いや、後かたづけをお母さんに任せて先に帰ろう。そうすれば間に合う」

 今朝のように、タオルケットの端っこを噛み噛みする秋菜。それって秋菜の癖?


「お姉ちゃん、明日一緒に学校へ行こうね。約束だよ」

「約束なんかしなくったって、同じ学校に通ってんだから、一緒に登校して当然だろ」


 小指を出してくる秋菜。げんまんか?

 俺も小指を出す。


 秋菜の可愛い小指に、俺の可愛い小指が触れた。俺の皮膚が、秋菜の指を通して、彼女の温もりを、そして鼓動を感じとった。


 秋菜は生きている。これからも一緒に生きていく。俺の、気の遠くなるような長い人生に比べ、刹那的な一瞬にすぎない秋菜の人生と共に。


 俺はこの時、人間の、秋菜の短い生を全身で受け止めてやる決心をつけた。


 いいじゃないか。人の一生は短いといっても、一週間やそこいらではない。充分に楽しく愉快で、そこそこ長いスケジュールが組まれているはずさ。

 この暖かい一時が、永遠に続くことがないのと同じくらいの確率で、秋菜につれそう時間が、永久でないことを俺は知っている。


 そんな先の別れなど関係ないね。


 俺達は、「今」を生きるんだ。はるか先も見ない代わりに、後ろも見ない。ただただ、密やかに前を向いて、恐れず大胆に歩いていくだけだ。


「指切りげんまん、ウソついたら針千本のーます」

 幼女のような秋菜の歌声。


「どんなに頑張っても、お姉ちゃんはわたしの先にいて、わたしを待ってくれなかった。お姉ちゃんが小学校に上がった次の年、やっとわたしが一年生になった。そしたら、お姉ちゃんは二年生になってた。ずっと追いかけっこで、一緒になれない。仕方ないよね、お姉ちゃんは一個上なんだもんね。でも、一年間待ってくれたお陰で、やっと一緒になれた」


 秋菜は、絡めた小指を離そうとしない。今は、それが嬉しい。


「ずっとお姉ちゃんと一緒にいたいだけなのに、……一年の差って、なんでこんなに切ないのかな?」


 春菜よ。

 秋菜は、お前を追い越す気はないんだ。追いつきたいだけだったんだ。


 秋菜と春菜。もし、二人が双子だったら、こんな不幸は訪れなかったのかもしれないな。


「だから約束だよ。明日からずっと一緒に行こう。一緒に卒業しよう。卒業しても、ずっとずっといっしょだよ」


 俺は拳骨万回殴られようが、金属片を千本飲まされようが、死ぬ体質ではない。だが約束しよう。お前がもういいと言っても、俺は側にいてやる。


 お前を襲う不幸は、全て俺が楯となり、粉みじんに砕いてやる。お前に仇なす者は全て、俺が矛となり、皆殺しにしてくれる。


 ――約束だ秋菜――。


 昨夜と同じく、俺は簡易ベッドに潜り込む。「こっちのベッドに潜り込むなよ」と心にもないことを厳重注意する。

 そして、俺は部屋の明かりを消した。




 夜の病院は、案外と騒々しいものだ。空調の音、看護スタッフの足音。

 その中で、俺の超皮膚感覚が、この部屋の戸外に立つ気配をつかんだ。


「だれだ?」


 いきなりな俺の声に、秋菜がびっくりする。


 廊下の気配は、俺がよく知っている者の気配だった。





次話「木の仮面」


その後ろ姿は、黄泉比良坂の住人を連想させる。


おたのしみに!

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