15.芹川嘉門
さて、そんなこんなで午前がつぶれそうだ。
このまま秋菜を看病する、という名目で学校をサボろうと決めこんでいると、「今からだと午後からの授業に間に合う。お姉ちゃんは勉強が遅れているんだし、少しでも授業に出なきゃダメ!」と、しかられ、スゴスゴと病室を退散した。
退散直前、「学校終わったらまた来てね」と、秋菜が言った。
タオルケットの端をカジカジしながら、恥ずかしそうにお願いする秋菜。
な、なんだよ、カワイイじゃねぇか。
「わかった。すぐに来る」
秋菜は喜ぶかと思いきや、キョトンとした顔をする。
「お姉ちゃん、ほっぺた赤いよ。熱があるんじゃない?」
え? そういえば鼓動が……。
なにゆえの心拍数増加? どうしちまったんだ俺! 悪いモノでも食ったのか?
フラつきながら、裏庭の一角に突っ込んでおいた春菜の愛車、紫色のオフロードバイクを取りに行く。今回は、ちゃんとキーを抜いている。キーを無くすというオチはない。
「ん?」
ハンドルに貼られた、黄色い公式文書。読み上げてみる。
『ここは公共の場所です。粗大ゴミの投棄場所ではありません。ゴミを捨てた方は――』
いや、このバイクは粗大ゴミに見えるけど、ちゃんと動くんだって!
なんか泣きたくなる俺。
慰謝料が入ったら、真っ先に外装変えてやる。それも最新年式ので!
目を真っ赤にして家に帰ったのは、何も風が目にしみただけではないようだ。
沢口家でシャワーを浴びて、新しい下着に替えると、登校するのがウザったらしくなってきた。制服をクローゼットから出した頃には、完全に気が失せていた。
そのままベッドへ倒れ込む。無敵の水のエレメントが、妙な脱力感に苛まされる。
夕べ、慣れない力を使いすぎたせいだろうか? 学校へ行く気力が湧いてこない。
……秋菜の病室へなら、今すぐに行ってもかまわないが。
俺は、「水」のエレメンタル神である。水は、土に討ち滅ぼされる関係にある。大地は水を吸い取り、水を汚し、泥と化す。
堤防は、手抜き工事をするか、よっぽど大量に水がないと、決壊しない。
水にとって、天敵である土の力を使ったのだ。春菜の体力も、俺の体力も消耗おびただしい。だが、お陰で、秋菜の危機を回避することができた。
その事実に、たぐいまれなる充足感をおぼえる。
――秋菜を助けて、俺は幸せを感じている――
なんだ、これは? たかが人間の短い生を助長して俺は嬉しいのか?
人間なんざ、セミとどこが違う?
いつの間にか湧いて出て、いつの間にか死んでいる。静かになったと思っていると、また次の夏には、やかましく鳴いている。
そんな短サイクルで世代交代を行うセミや、人間になんの注意を払うものか?
ましてや、個体にいちいち興味などいだいていては、忙しくてしょうがないじゃないか。
俺の人生は、セミの何億何兆倍も長い。必ず先に死んでしまう生き物に、情が移っていれば哀しいだけじゃないか。
……おや?
突然、俺は気づいた。
ベッドを降りて立ち上がる。
疲れたから学校へ行きたくないんじゃない。秋菜のいない学校は行きたくないのだ。
これは、まさかと思うが……アレか?
人間の生活習慣というか、人が人を思いやる? 的な、……なんだったっけ?
あ――愛する。……そう、人がペットを愛でる、あの感じがこれか?
犬を愛犬と呼び、鳥を愛鳥と呼ぶ。……人間なら愛人と呼称すればいいか……。
「なるほど。実によくわかる例えだ」
うんうんと自説に一人納得しながら、土の力もいいもんだ、と天敵の評価を引き上げる。
将来、難病を治す怪しい整体師になるのも悪くないな。
秋菜に対する、春菜の思い。それは、俺のとは違う。
オリジナル春菜の解説を削除しながら、俺はアルバムをめくるように、秋菜の思い出に浸った。
「はっ!」
いかんいかん。下着姿で突っ立っていたんだっけ。窓も開けっぱだった。気のきいたやつがいたら覗き放題だ。
やっぱ学校へ行こう。秋菜の言いつけを破って学校へ行かなかったら、秋菜に怒られる。それは嫌だ。
プログラムをロムに焼き付けられたロボットのように、機械的に登校する俺。
奇跡的にも、四時間目に間に合った。そして風紀担当教師に捕まった。
遅刻ではなく、フレックスタイムであると主張したが、敵もさるもの。俺のスケジュールに、時間を合わせられる教師がいないという。よって遅刻扱いだった。
今は味気ない弁当を広げているわけだが、俺の回りは人だかりだ。
秋菜の友人達、女子連中はわかる。友人の病状が気になるだろう。大したことなく、明日退院できるといったら安心していた。
秋菜は人気者だな。お姉さん妬けちゃうぞ!
男子連中からも、いろんな質問を投げられた。俺が知ってることは何でも答えてやるぞ。
「秋菜さんのお姉様であられる春菜さんの血液型教えて下さい」
「たしかB型だった!」
「春菜お姉様の趣味は?」
「えーと……バ、バイク……かな?」
「お姉様、好きな男性いますか?」
「いない」
「お姉様の下着の色は?」
「今日はピンク」
「お姉様、メアド持ってたら教えて下さい」
「持ってない」
ちょっと待て。秋菜のこと何一つ聞いてないぞ! つーか、質問が偏っていないか?
「コゥラ! 断りもなく、春菜お姉様にチャラチャラまとわりつくんじゃねぇよ!」
あまり見かけない連中が三人、俺を囲む人の輪を崩すように入り込んでくる。
俺は、眉毛を中心に寄せて睨み付けた。
「お前らこそ誰だ?」
俺の問いに、三人そろってポカンと口を開ける。器用にも、真四角に開けている。
いや、やや上辺が短いか?
「誰だって、……つれないっス、春菜お姉様。僕ですよ僕」
見慣れないクラスメートは引きつった笑みを浮かべ、自分自信を指さしている。
どっかで聞いたような声。知り合いの誰かに似た顔。……ホント誰だ?
じっと見ていると、あることに気が付いた。髪の色が変に黒い。染め直したように黒い。
記憶内に貼りつけた彼の頭髪を別の色に変換してみる。意図的に消したっぽい記憶が反応した。
さらに、シャフトしたソウルが命じるまま、校則どおりのズボンを短足バージョンに変えてみる。
「ひょっとして、……水之江その他の三バカトリオですか?」
「や、やだなぁ。春菜お姉様は冗談きついッス」
後頭部を激しく掻きむしる水之江達、バカ三人衆。その動き、シンクロ?
冗談じゃなくて、本気。海馬体から大脳皮質に情報が伝わらないよう、意図的にカットしてたんだ。俺って器用だろ?
「ほぼ初めまして。水之江君」
「ほぼって、ちょ、ちょっとお姉様! 本当に忘れて、……ひょっとして、昨日コンビニで貢いだのも、記憶の彼方に消し飛んでいるとか?」
そんなことあったけかな? 本当だったら水之江に悪いから、と真剣に記憶をまさぐる。
腕を組んで、一心不乱に思い出そうとする。
「あ、あの……」
短く剃った薄い眉をハの字に変えて、情けない笑みを浮かべる水之江。
「お姉様、見慣れないサイフをお持ちでないっスか?」
「そういえば、小汚い男物のサイフがポケットに入っていたので、中身を抜いて捨てておいたが、……あれ、お前のだったのか?」
大声を上げて泣きじゃくる水之江を、戦艦フランスパン頭とメガネ君が慰める。クラスの男子生徒も同情のこもった目で水之江を見守っている。
その時、なにやら教室の入り口付近が騒がしくなった。見やると、過去の水之江と共通デザインを持つ男子生徒が数人、押し入ってくるところだった。
先頭に立って歩いているのは、またエラくデカイ男だった。ギラついた目をはめ込んだ、水牛のような顔をしている。
彼の進行方向にいる同級生達が、すすんで道を開けていく。こんな場合、尊敬か恐れ、どちらかの感情を元にした威圧感が働いていることが多い。
どうやら、後者の理由で道を空けられている模様。多分、気のせいだと思うが、俺の方へ向かっているように見える。
めんどくさいことに巻き込まれなきゃいいが……。
「よう、水之江!」
俺じゃなくて水之江か。よかったよかった。
「先月のアガリ、まだだったよな。払ってもらおうか」
ひょっとして、これが噂の上納金?
「芹川さん! あの、その……」
チラチラと俺を見る水之江。
「なに? お金忘れたの?」
あ、そうか、こいつのサイフは昨日、俺がカツアゲしたんだっけ。
「こいつのサイフは現在、あたしに所有権が移っている。だから今、こいつは無一文だ」
後から思うに、このときの俺は、おかしくなっていたのだと思う。
以前の俺なら、こんな助け船は出さない。言わなくていいことを言ってしまった。
「はぁ? じゃ、代わりに彼女に払ってもらおうか」
力ずくで眉間と鼻の頭に皺を寄せ、薄くなった眉をルの字に描き、泣きそうな表情を作る芹川とやら。今の状況で、何故泣きそうになるか?
この表情は、「泣きたくなった」以外に何か意味があると思うのだが、まさか怖い顔をしているつもりでもなさそうだし……。
後で水之江に聞いておこう。
とりあえず今は引き延ばすにかぎる。
「あー、中身は貯金箱の中だ。あきらめるがいい」
「それ無理! 今すぐ貯金箱持ってこい!」
幅広の額と、鮫のように小さい目を近づける芹川。
芹川取り巻きの一人、ヒョロッとして背の高い少年がニヤっと笑って首を突きだした。
「体でもいいぜ! な、芹川さん?」
「ちげーねー!」
その時、上手い具合にチャイムが鳴った。
さすがに、教師と悶着をおこしたくないのだろう。ゲラゲラと下卑た笑いを上げながら、教室を引き払う芹川一派。
そうか、あの金をもらっといて、代わりに体で払ってもいいのか? そうすれば合法的に水之江の金が手にはいるのか?
これはひとつ利口になった。
「春菜姉様、俺達をかばってくれて嬉しいんですが、相手が悪いっス」
「そうそう、あいつは二年の芹川嘉門つって、清流を仕切ってるワルです。ちくしょう」
「痩せたヤツは平井といって、あいつも無茶苦茶アブナイやつです。悪いことは言いません。金を持ってきた方が身のためです」
俺は聞いていない。今後の方針を練っているからだ。
仮に、学校で騒ぎを起こすとすると、……秋菜が怒る。
つまり、暴力沙汰を目撃されれば、いずれ秋菜にバレて怒られる。
よって、学校がひけてから、コッソリと襲撃するしかない。目撃者がいなければ、秋菜に知れることがない。よって怒られることもない。
……なんか、思考過程にかたよりがあるように思えるが、……たぶん気のせいだ。
ひたすら耐えに耐えまくって、やっと訪れた放課後。俺は一目散に芹川の教室へ走った。
あれ? いない。
芹川グループとよく似た雰囲気の茶髪野郎に、丁寧に居場所をたずねてみる。
「へっへー。おやすくないね、あいつになんのよう?」
オール平仮名っぽいバカ丸出しの回答者に、俺は正解を急がせる事にした。
一部誤字修正




