12・委員長
その後、急いで駆けつけた沢口パパを交え、ママと俺の三人で、主治医と話す機会が作られた。まだ若い先生だった。
「ご存じの様に、秋菜さんの病状は、急性骨髄性白血病です。ここにきて、急速に進行しています。入院が必要です」
「娘は? 秋菜の治療は?」
父が、若い医師に、殴りかからんばかりに詰め寄った。医師もこんな現場になれているのか、若いのに、慌てた風もなく淡々と事実を告げていく。
「昔のテレビドラマで有名になってから、不治の病と思っている人が多いようですね。ですが、今はそんなことありません。いろんな療法が開発され、治癒する確率が、昔とは比べものにならないほど高くなっています」
抗ガン剤や、造血幹細胞移植等、治療法の説明をする医師。俺達は熱心に聞き入った。
人は、吉凶入り交じった、いろんな情報に接したとき、自分にとって有利な情報のみを拾い出す性癖がある。両親は、助かる可能性の話にのみ、すがっていた。
医者の話が終わった。沢口ママは、秋菜の看病に戻った。残ったのは、俺とパパの二人。
沢口パパは、俺を喫茶コーナーへ連れ出した。話があるという。
「実は、秋菜はな、本当は、ゴールデンウイーク明けの今日から入院する予定だったんだ」
秋菜が倒れたのは、俺の責任でもあったのか?
「いや、違うよ春菜。春菜が帰ってきて、秋菜は本当に喜んだんだ。秋菜が泣いて頼みこんだから、入院を一日だけ延ばしたんだ。結局、秋菜は予定どおり入院しただけだ。これでも、お前のせいだと言うのかね?」
父親は、俺の心配を一笑に付した。
「いつから秋菜は病気に?」
医者は、かなり進んでいるという。だいぶ前から、この病院に通院していたはずだ。
「去年の夏。お盆休みに、酷い貧血で倒れた。その頃は、まだ何とも言えない状態だった」
パパの話は続く。
秋菜は入院を勧める両親に反対し、何としても春菜が籍を置く清流学園に、「入る!」と、かたくなに意地をはりぬいたのだそうだ。
「お姉ちゃんは、必ず戻ってくる!」
その一念で、……春菜と同じ学舎に通学したい、その想いを遂げたくて入院を先延ばしにしていたらしい。
気持ちが病魔にうち勝っていたのか、年を越すまで病状が進行しなかった。むしろ、病をねじ伏せていた節があったという。
しかし、所詮人間。タンパク質とカルシウムで構成された物体。じわり、じわりと病は秋菜の体を蝕み、進行していった。
それが今年の年頭。
合格しても、学生生活は一ヶ月だけに止め置く。ゴールデンウイーク明けには、入院して養生する。そんな約束が、両親と病院と秋菜の、三者間でなされていた。
秋菜は、体調不良を押して清流を受験。見事合格したのだ。
ボーダーラインである大型連休が、あと一日を残して間もなく終了。そんな時、春菜が、お姉ちゃんがフラリと帰ってきた。
秋菜の喜び様たるや、両親の想像を越えるものだった。
「一日でいい。お姉ちゃんと一緒に学校へ行きたい!」
命の炎が尽きようとしている娘の頼みだ。むげに拒否する親はない。
しかし秋菜にとって命の一日が、俺の暴力沙汰で終わってしまったのだ。
「何度も言う。お前のせいじゃない。春菜が帰ってきてくれて、秋菜は、本当に助かったんだと思う。そのことが、きっと病気と闘う大きな力になるよ。大丈夫だ、秋菜は必ず治る」
父上の言葉に力は感じない。
ところで、俺は人間の病気についての知識がない。風邪と癪くらいしか知らない。
以前より治る確率が高くなったといっても、昔は不治の病だったというじゃないか。0%から、どの程度勝率がアップしたのか?
こりゃ楽天的に考えない方がよさそうだ。
俺はその場を外れ、フラフラと歩き出した。後ろから父上の声がしたが、何を言っているのか聞き取れなかった。
俺は、病院内外を徘徊した。体を動かしてたら気持ちの整理がつくと思ったからだ。
でも、真っ白になった頭では、何も考えがまとまらない。気がつくと、元の喫茶コーナーで、大嫌いな炭酸水を飲みながらソファーにもたれていた。
――秋菜が死ぬかもしれない―――。
今まで俺は、人間の生き死になどに関心がなかった。
はっきり言おう。俺は人を直接殺したことはない。が、春菜のように、巻き込んで、結果として殺してしまったことは多々ある。
でも、心は痛まなかった。俺は超越者だ。具現化された水のエレメント・水神だ。生命力一つをとってみても、人間なんかの寿命を遙かに凌ぐ、無限力の持ち主なのだ。
俺の、いや俺達エレメンタル神の時間感覚からすれば、人間の一生など、ちょっとよそ見している間に終わってしまうモノ。個体の生命などいちいち気になどしていらるかっての!
……秋菜が死んでしまう。
なんなんだ?
この、残暑で蒸し暑くなったトイレで、下痢に苦しんでいるような感覚は?
骨盤が分離して飛んでいくような脱力感、と言えばいいのだろうか?
或いは冷たく巨大な手が、心臓といわず肺と言わず、横隔膜から上を掴みまくる感覚。
また或いは……。
だめだ、医者にまかせず自分で動こう。
ほとんど口を付けなかった炭酸水入り紙コップをゴミ箱に捨てる。
「沢口さん!」
うわ、びっくりした! いきなり後ろから、俺を呼ぶ声がした。
「飲み物が入ったまま、ゴミ箱に捨てるなんて、あなた最低ね」
振り向くと、――なんだ紀野委員長か。つーか、なんで病院に?
「身内が、ちょっと入院しているのよ。そんなこと、あなたに関係ないわ。あなたこそ、なんでここにいるのよ?」
「それこそ関係ないだろう。学校以外で委員長面するな、バーカ!」
何か言っている紀野と、ネガティブな俺を振り払うかのように、踵を返す。
……キリコ……だったな。
その時、どうしても思い出せなかった紀野委員長の、下の名前を思い出した。




