08 : 逃げる少女、追う人々1
千雪の部屋の前にいたヴィンセントとフェビアンだったが、上に呼び出されてしまう。
仕方ないのでその場にいた騎士に忘れ形見の娘の護衛を任せて執務室で書類を閲覧していると、その後から濃い金の髪の青年が入ってきた。
その瞬間、ヴィンセントは書類を放り投げて青年のいる出入り口にまで足を進めた。その顔は、本人が意識しないままだったが険しい表情を浮かべていた。
傍にまでよると、青年の肩を掴み、そして顔を上げた青年を見て眉根を寄せた。
「シルヴィアリアス! お前……っ」
「うわー。本当に変わってますね」
怒気を含んだ声のヴィンセントの後ろから、彼等2人の雰囲気などものともせずフェビアンが呑気な声を上げた。
ヴィンセントとフェビアンの視線の先、先日まで蒼だったはずのシルヴィアリアスの瞳の色が、今は蒼灰へと変わっていた。
「禁術の影響か、はたまた交わした契約が原因か。どっちなんでしょうねー?」
「魔法書には、契約を交わした証だと書かれていた。交わした当人同士の色が混ざるだろうと」
シルヴィアリアスが見た書物に書かれていた情報を引き出せば、ヴィンセントは渋面となった。
「と、いうことは……」
「姫君の瞳も同様に、という事ですね」
ヴィンセントの言葉を引き継いだフェビアンは、今にも殴りかかりそうな様子のヴィンセントに呆れる。
「今更怒っても仕方ないでしょうに。なんでも武力で解決しようとするなんて、これだから騎士団所属の人間は嫌なんですよ」
「狂科学者には言われたくないがな」
「何を。確かに契約を交わした人間がどうなるのか、解剖して中身を見てみたいとは思いますが、流石にやりませんよ」
フェビアンの言葉でやる気が削がれたのか、手を離したヴィンセントに対し、フェビアンは顎に片手を添えながら己の疑問を口にする。
「そもそも、何故姫君は言語が通じないのでしょうか?」
「どういうことだ」
「姫君を召喚したのは、姫君の母君であるあの方を召喚した魔女当人です。そしてあの方は、始めからこちらの言語を理解していたと聞いています。ならば、姫君もあの方と同様に、最初からこちらの言語を理解していてもおかしくないのではないでしょうか? むしろ、理解していない方がおかしい。契約を施す必要もなかったはずです」
「それに対しては、魔女が答えてくれた」
ああ、とヴィンセントは魔女との会話の内容を思い出し、心持ちげんなりとした様子を見せた。
見た目は幼くも愛らしい姿をしている銀髪の魔女だが、それに侮ってかかれば、彼女が兼ね備えている大人の狡猾さをもってして足元を掬われる事を、実際に掬われた内の1人である彼は知っている。
昔の習慣からか、未だに対峙する時は過剰に警戒してしまうヴィンセントを知って知らずか、魔女はヴィンセントが相手だと人を食った態度を見せた。
「お嬢のように理解出来ないのが普通、最初からこちらの言語を理解できた彼女が特別であっただけ、だそうだ」
「姫君が一般的な異世界人だということですか」
それはまた面倒な、という言葉をフェビアンは飲み込む。
言ったら最後、目の前の2人の反応が手に取るように分かるからだ。すなわち、こちらに突っかかってくるのだろう。それもまた面倒で、口にしなければ起きない衝突であるのなら言わない方が賢いというものだ。
だが、フェビアンの思考を余所に、唐突に執務室のドアが開き娘の護衛を任せていたはずの人物が入ってきた。
護衛からの報告に、フェビアンは瞳を瞬かせ、ヴィンセントは目を見開き、シルヴィアリアスの双眸は剣呑な色を宿した。
そして次の瞬間、各自それぞれの行動を起こしはじめる。
「いやー、流石あの方のご息女です。お転婆ですねえ」
「感心するとこかそこ!? 探せ! ……じゃない捕まえろ! ああ、見た目? 10歳程の黒髪の子供だ」
笑って静観をするフェビアン、部下に指示を出すヴィンセント。
それらを聞きながら、シルヴィアリアスは部屋を飛び出した。廊下を駆ければ、同僚や侍女が何事かと視線を寄越してくるが、彼は気になど留めなかった。
駆ける彼の脳裏を、先程の護衛の言葉が過ぎる。曰く。
――目を離した隙を突いて、逃げられました。