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Weorold  作者: 黒木かさね
一幕 ≫ 王冠の姫君
8/11

07 : 共に手を取り歩く人




 全てを思い出すには、あまりにも鮮明すぎて。







 すっかり日が暮れてしまっている街を、彼は城のベランダから見渡していた。

 彼の強い光を放つ瞳が細められ、その深みを増す。

 その身に纏う風が、金の髪を揺らした。


 彼がその心に想うは、ただ1人のこと。

 とても綺麗に、幸せそうに微笑う女性だった。

 最初出逢った時は泣いてばかりだった。家を恋しく思い、分かれた家族や友を思い、泣き喚いてばかりだった子供を彼は敬遠していた。彼女も、彼が自分のことを厭うていると気付いていたのだろう、関わろうとはしていなかった。

 次に出逢った時、彼女は自分の危険など省みず彼を助けてくれた。損得を考えない向こう見ずなその行動に、呆れと、それだけ平和な環境で幸せに周りから愛されて生きていたのだろう彼女に羨ましさと妬ましさ、そして彼女のその在り方に少しだけの憧憬を覚えた。

 それからは早かった。

 素直で、泣き虫で、頑固で、融通が利かなくて、優しくて、気が利いて、目の前のことに一生懸命で、放っておけばトラブルを引き連れてやってくる。一言で纏めれば、無茶苦茶な女だったと彼には言えよう。それでもその無茶苦茶な女に彼は惹かれた。ただの子供だと見ていたはずが、いつの間にか女として見ていた。これからも共に生きたいと願うようになった。

 今更だが、どうして彼女に惹かれていたのだろうか。顔はそれなりに可愛らしかったが、その顔で性格を差し引いても余ってしまう程に無茶苦茶な女性だった。そんなに己の趣味は悪かったのか。

 悔いるように眉間を指で押さえていると、彼の背後から声が掛けられた。


「どうかされたのですか、陛下」


 振り返れば、そこには彼の臣下である1人の男が佇んでいた。

 柔和な笑みを浮かべた男を見て、彼は微笑を浮かべた。


「いや、なんでもない」

「ユーカ様のことですか」


 見事に言い当てられた彼は無言を貫いた。それに男は苦笑で返す。

 普段は非常に考えていることが分かりやすい彼だが、政を行っている時はそれを露ほどにも感じさせない。それもこれも、彼が為政者として自らの行動を律している為だろう。


 男は知っている。次期皇帝となる人間の右腕になるよう教育され、彼の傍にいた男だからこそ、彼の苦悩も見てきていた。

 本来、彼が皇帝になるはずではなかった。

 母親は皇后であるものの、生まれた時点での地位は第三皇子。上に同腹の兄が1人、側室の子である異腹の兄と姉がそれぞれ1人いた。同腹の兄が皇帝になると見なされていたからこそ、争いを避ける為にも、彼は皇帝としてではなく側近となる為の教育を施されてきた。

 それが崩れたのは、上の兄達が政権争いで共倒れになった時である。

 ある貴族が第二皇子であった異腹の兄を唆し、彼等は対立した。

 当時は第一皇子が優勢だったからこそ、誰もが第一皇子が勝つのだろうと思っていた。だが、彼は知っていた。上の兄は為政者としては優しすぎた。政敵となった弟を切り捨てられない程に、困った相手がいれば誰だろうとも手を差し伸べてしまう程に、自分で自分の危険を招いてしまう程に、愚かな程に優しすぎた。

 結果として彼等は互いに潰しあい、そして互いに斃れた。

 残されたのは、他国へ嫁ぐ予定の姉と、彼の弟妹と、そして彼自身だった。

 第一皇位継承者となったのは、彼だった。

 下の兄が焦がれ、争ってまで望んだ地位を、欲したことのない彼が受け取った。人によっては良かったと羨むのだろう。皇帝とただの皇族という身分では差に開きがある。

 だが、彼にとって本当に良かったのかは分からない。男は知っていた。彼がまだ幼く、第一皇子が生きていた頃に「ぼくは兄上をお助けするのです」と誇らしげに胸を張っていた姿を。表立って親しくはなかったけれど、決して彼は第二皇子の事を嫌ってはいなかったことを。激変した環境に、第一皇位継承者としての重圧に押しつぶされそうだった彼の姿を。

 近い未来、彼はこの地位に押しつぶされるだろうと男は考えていた。才覚に欠けていたわけではない。だからこそ彼は不幸だった。才覚に欠けていたのなら、その地位を下ろされて別の皇族がその地位にいただろう。だが他に目立った皇族もいなく、彼に可能性があるのならと皇太子という座に就いてしまった。

 けれど、皇帝としての器を彼は持ってはいなかった。教育を受けてはいなかった。覚悟すら持ってはいなかった。上の兄と同様、人として優しすぎた彼は、何かを切り捨てる事に耐え切れなかった。このままでは、いずれ彼は自らの重みに耐えきれはしないだろうと、一部の者は訳知り顔に噂した。


 追い詰められていた彼を救ったのは、異世界から来た少女だった。

 世界の危機に現れるという救世主は、彼をも掬い上げた。


『ねえ、エセル。わたし幸せよ。貴方に会えて、この子にも会えたもの』


 ねえ千雪、と腕の中の布の塊へと顔を寄せて笑っていた彼女が、愛しかった。

 きゃらきゃらと笑って手を伸ばす、己と彼女の血を継ぐ幼子が、彼にとっての幸せの象徴だった。


「幸せ、でしたか?」


 男の質問に、彼は瞳を瞬かせる。

 まさか男からそのような質問が来るとは思ってはいなかったと、言葉に出さずとも表情が語っていた。


 だが男は一度聞いてみたかった。その顔を見れば分かるものの、言葉として彼から聞いてみたかったのだ。

 たった数年しか共に生きていけなかった彼女。彼女と共にいる期間よりも、彼女がいなくなってからの間の方が長くなってしまったというのに、それでもまだ想う彼に。


 彼は宙へと視線を動かし、答えた。

 答えは考えずとも、言葉に出来た。


「……そうだな。あれがいる日々は、とても」


 とても、だなんて口では言い表すことの出来ないくらいに。今では恋しくて泣いてしまいたいくらいに。

 思い出して、彼は綺麗に微笑った。


「とても、幸せな日々だった」







「今はいない人を想えば想うほど、記憶は美化されていくものですよね」

「フェビアン卿、言葉が過ぎるぞ」

「別に僕は、誰が、とは言っていませんよ」

「……仮に口にしていたとしたら、不敬どころではすまされないだろうが」


 飄々と言いのけたフェビアンに対し、苦々しい顔でヴィンセントは声に出した。


 彼女は、決して記録に残っているような聖人君子ではなかった。

 幸せな家庭で、幸せに、周りに愛されて平和に育ってきた世間知らずなお姫様。誰かの死体を積み上げて、見も知らぬ人々の遺体を踏みつけても、その上で何も知らずに笑っているのだろう無知なお姫様。最初の頃の彼女をそう揶揄した者も少なくない。

 だが彼女は、その持ち前の素直さで何度も迷い悩んだ。嘆き、後悔を重ねていった。積み重ねた分、人は変わる。その結果が、国で救世主として慕われている今の彼女の姿となった。

 彼等と同じ、ごく普通の人間だった。

 幸せを幸せなのだと。人として許せない事は許せないと。当たり前の事を、当たり前と言える女性だった。


 ヴィンセントは目の前にある扉を複雑な思いで見つめた。

 その先の部屋には、彼等が無理矢理呼んだ彼女の忘れ形見が眠っている。

 先程昏倒した少女だが、医師の見立てでは体に異常はないらしい。それに安堵した。少女までいなくなってしまっては、本当に主を引き止められる者がいなくなってしまう。


「大丈夫ですよ。陛下の最愛の姫君は、僕達が思う以上にきっと強い」

「……何故分かる」


 フェビアンの言葉に、ヴィンセントの眉根が寄る。

 彼女の母親を見ても分かる通り、異世界の人間は弱い。物理的に彼女が強かったかと問われれば、否としか答えようがない。泣き喚いていた姿を思い返せば、精神面的にも強かったとは言い難い。きっとその娘だ、人より強いはずもない。

 それを知っても尚、強いと言い切る彼の言葉の意味が分からなかった。

 だが、そのヴィンセントの顔が面白かったのかフェビアンは噴出した。


 簡素な服を着込んだ青年は、ヴィンセントと同じく目の前にある扉を見上げた。


「異世界という未知の環境に置かれたというのに、それでもあの方は嘗て陛下に恋をしました。どんな状況であっても人を愛すことを止めなかったあの方は、きっとあの方自身で考えているよりも強かで、柔軟な心を持っていたのでしょう。その血を継ぐ姫君が、あの気質を継いでいないとは思えません」

「……貴殿が言うと、揶揄しているように聞こえるのだが」

「さあ?」


 フェビアンは微笑を浮かべたまま、口を開いた。


「僕としては、陛下を留めてくれさえすればなんでもいいですから」


 それに誰が傷つこうとも。嘆こうとも。例え、その道の果てに誰が斃れていようとも。


 そこに返る言葉は、なかった。




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