09 : 逃げる少女、追う人々2
裸足のまま、千雪は廊下を走る。
靴を探す時間の余裕はなかった。
裸足で走れば、そのうちに足の裏が傷つくだろうことも分かってはいた。だが、それでもすぐにあそこから逃げないと、今度は「何」をされるか分からなかった。
目が左右を見回す。逃げ込む先は、大使館か警察しか千雪には思いつかなかった。
大使館ならば、少なくとも日本人がいるだろう。
警察の場合、言葉が通じない可能性があるが、あの言葉も通じないわけの分からない集団よりはマシだ。
言葉が分からず、場所もまったく見当がつかない。それでも、千雪はまだここが地球のどこかだと信じていた。違うかもしれない、という可能性からは目を逸らしていた。
人がやってきたことに気付き、千雪は柱の影に隠れる。
「うぇいるいか――執務室、あーふぇい」
「分かった。らぁしゅうぇい」
御仕着せの制服を着た少女達が、笑いながら通り過ぎるのを見送った。
少女達を見つめながら、千雪は両の耳に手を当てる。その顔は青ざめていた。
何故、と。どうして、と湧き上がる疑問。
先程まではまったく理解出来なかった言葉が、どうして今更になって多少なりとも理解出来るようになったのか。
知っている単語ではない。見知らぬ言葉の後に、千雪の脳裏にその意味が思い浮かぶようになった。
有り得ないはずだった。千雪は一番最初に知ったのだ。彼等が話しているのが、日本語でも英語でもない事を知った。
千雪が学んだ事があるのはその二ヶ国語しかない。だからこそおかしかった。本来ならば学んだ事のない言葉を、自分が訳せるわけがないのだ。
知らない間に、知らない知識が増えた事に対して恐怖を覚える。
特にこの知らない場所に置かれている状況下で何もかも分からないからこそ、余計に、先程の彼等に何かをされたのではないかと勘繰ってしまう。
自分が自分でなくなってしまうような気がして。それが、千雪にはどうしようもなく怖かった。
「ばーちゃん、じーちゃん」
今まで彼女を導いてくれた人の名を呼ぶ。
祖父母は千雪にとって絶対の庇護者であった。
幼い頃は、両親が既に亡くなっており、その上母親が未婚だった事で苛めてくるクラスメイトから、彼等は千雪を守ってくれた。
何時だって彼等は千雪を守ってくれた。
その彼等が傍にいないことに、少女は心細くなった。
千雪は子供だ。
本人が認めなかろうとも、大人になろうと足掻こうとも、彼女は思慮が浅い未熟者だ。
けれど。子供であったとしても、それでも彼女は、1人では何も出来ないという程にまで、誰かの助けを得るまで泣き喚いている幼い子ではない。
自分で考え、最善を模索し、望み、行動しようという気概はあった。
故に、千雪はここで泣いている時間がない事に気付いていた。
先程の人々は、彼女が逃げた事を知れば追いかけてくるだろう。それまでに逃げなければいけない。
涙で滲んでいた目元を掌で拭い、千雪は柱の影から出て外へ逃げるべく一歩を踏み出した。