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【完結】鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~  作者: 木風


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第二十七話 雪の夜、姉上は鬼になった

 湯浴みを終え、水分を含んだ彼女の髪から、一滴の雫が畳へとこぼれ落ちる。


 その軌跡を、吸い寄せられるように見つめていた。

 雫が彼女の寝間着に染み込むまでの、ほんのわずかな時間。

 彼女がそこにいるという事実が、あまりに生々しく、温かい。


 触れれば体温がある。

 声をかければ、こちらを向く。

 そんな当たり前のことが、これから語る過去の寒々しさとあまりにかけ離れていて、胸の奥に鈍く刺さった。


「……どこから、話せばいいんだろうな」


 ぽつりと言葉を漏らす。

 あの日の光景は、今でも時折、ひどく鮮明な悪夢となって俺を苛む。

 口にするだけで、肺の奥にまで冷たい霧が入り込むような憂鬱が広がっていく。


 五歳の子どもにとって、それは世界の終わりと同義の衝撃だった。

 そのせいか、俺にはそれ以前の記憶が、何一つとして残っていない。


 雪の降り積もる、静かな日だった。


 その日の朝、母は産気づいて本宅を離れた。

 屋敷に残されたのは、姉上と数人の使用人、そして俺だけ。


「朔夜。貴方は弟と妹、どちらがよいかしら?」

「どっちだろうな……。やっぱり、一緒に遊べる弟かな!」


 明日か明後日になれば、父上と母上が帰ってくる。

 そして、新しい家族が増える。


 何も変わらない、幸福な日常が続いていく。

 そう信じて疑わなかった。


「私は、弟は朔夜がいるから、妹がよいわ」


 そう言って、姉上は微笑んだ。

 十五歳という若さながら、数多の名家から縁談が舞い込むほど、姉上は美しかった。

 五歳の俺から見ても、彼女はひどく大人びていて、凛としていて、それでいて柔らかな光を湛えたような人だった。


 姉上が笑えば、屋敷の空気まで少し明るくなる。

 幼い俺は、それが当たり前だと思っていた。

 姉上はずっと姉上で、明日も、明後日も、同じように俺の隣で笑ってくれるのだと。


 夜が更け、自室へ戻った時のことだ。

 風もないのに、行灯の火が不自然に揺らめく。


 子ども特有の鋭敏さで何かを察し、辺りを見回す。


 しんしんと降り積もる雪の気配に紛れて、鉄の錆びたような、鼻を突く匂いがどこからか流れ込んできた。

 なぜだろうか。

 五歳の子どもが、それが血の匂いだと知るはずもないのに。


「……だれ?」


 呼びかけに返る声はない。

 音を立てないように襖を開き、廊下を這うように進む。


 先ほどの匂いは、一歩進むごとに濃くなった。

 甘ったるく、重く、喉の奥に絡みつく。

 肌を刺す寒気とは別に、じっとりとした脂汗が全身から噴き出した。


「姉上っ……!」


 得体の知れない何かへの恐怖さえ忘れ、俺は姉上の部屋へ飛び込んだ。


 月明かりの差し込む視界に、二つの人影が重なっていた。

 一人は項垂れるように身体を折られ、その上に、覆いかぶさるような影が蠢いている。


 ドサッ、と力なく投げ出された白い腕。

 銀色の月光に照らされたそれが、どす黒い紅に染まっていくのが見えた。


「あね、うえ……っ?」


 声が、自分のものではないように震えていた。


 気づけば、俺の手には一振りの日本刀が握られていた。

 それまで一度も振るったことのない、重く冷たい鉄の塊。

 どうしてそこにあったのか、どうやって掴んだのか、今でも思い出せない。


 耳の奥では、爆音のような心臓の鼓動しか聞こえなかった。


 俺は、夢中で姉上の身体に食らいつく何かの首筋に、持てる限りの力を込めて刀を振り下ろした。


 刃が肉に沈む感触。

 骨に当たって跳ね返る鈍い衝撃。

 飛び散る飛沫が、血なのか、自分の涙なのかも分からない。


 俺は何度も、何度も、狂ったように刃を叩きつけた。

 すでに物言わぬ肉塊と化した「二体の何か」が動かなくなっても、俺の腕は止まらなかった。


 姉上を返せ。

 姉上を返せ。

 それだけが、頭の中で焼けつくように響いていた。


「こっちから音がするぞ!!」

「急げ……!」


 外の空気が白み始めた頃、数人の大人たちが部屋に駆け込んできた。

 その怒号に、俺は初めて我に返り、手からするりと刀が落ちる。


「……これ、は……何だ、一体何が起きたのだ!?」


 声のした方に目をやる。

 そこには、絶句して立ち尽くす大人たちがいた。


「鬼……なのか、これは……?」


 鬼?

 これが、お伽話に聞く、あの鬼なのか……?


 では、この鬼に、姉上は——。


 けれど、彼らの恐怖に満ちた視線は、俺が斬り伏せた残骸でも、返り血を浴びた俺自身でもなかった。

 その向こう。

 部屋の奥へと向けられていた。


「は、やく……にげて……さく、や……」


 掠れた、けれど確かに聞き覚えのあるその声に、俺は震えながら振り返った。


 そこに立っていたのは、銀色の長い髪を揺らし、血のように真っ赤な瞳から大粒の涙を流す——。

 言葉を失うほどに美しく、残酷な鬼だった。


 俺の、大好きな姉上の姿形のままで。


「姉上……?」


 呼びかけると、その鬼は顔を歪めた。

 泣いているのか、笑っているのか、幼い俺には分からなかった。

 ただ、その赤い瞳の奥に、どうしようもない苦しみだけが宿っていたことを覚えている。


 大人の一人が俺を背後から抱え上げる。


「見るな!」

「離せっ、姉上が……姉上がそこにいるんだ!!」


 暴れても、叫んでも、幼い身体ではどうにもならなかった。

 遠ざかっていく視界の中で、姉上の姿をした鬼だけが、雪明かりのように白く浮かび上がっていた。


 そして、あの声だけが、今も耳に残っている。


『逃げて』と。


 俺を守ろうとした、姉上の最後の声だけが。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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朔夜の姉上、鬼になったの!?
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