バナナケーキはバナナスタンドから生まれる
カクヨムに掲載していたものを手直ししてこちらで投稿。
春咲家のテーブルの一辺の中点には、決まっていつもバナナスタンドが置いてあった。
「バナナスタンド?なにそれ」
「えっ、知らない?」
反射的に聞き返した。だって春咲れんげにとってはあまりに当たり前の存在で、まさか通じないとは思わなかったのだ。
目をまんまると見開いた私に見つめられた彼女;佐藤翼は、そのまま隣にいる彼;白石紡へと視線を滑らせる。
「…知ってる?」
「いや、知らない。想像もつかない」
そうして怪訝そうに首を傾げる御学友たちを見て、これはえらいこったと私は慌ててスマホを取り出した。
時刻はちょうど21:30を過ぎている。私たちは神社の石段に座って話し込んでいた。先ほどまでは夏祭りが開かれていたのだ。
少しずつ解体されていく屋台と櫓を眺めながら名残惜しげに居座るのは、何も私たち三人だけじゃあない。
スマホの明かりがぼわあっと暗くなった周囲を照らした。ローマ字打ちのキーボード上で指を踊らせて、素早くウェブを検索。該当の写真を発見。
こんなに何かの存在証明に躍起になるのはなんだか可笑しかった。
「ほらほら、これ。見たことないかな」
「うわ、本当に吊るされてる」
「結構シュールだな」
「でもこれ好きだなあ、すごく面白い」
身を乗り出してスマホの画面に顔を近づけ、きゃあきゃあと騒ぎだす白石紡と佐藤翼。
そんな御学友たちを「信じられない」と白い目で見つめる私に「いやいや、だってさ」と言い訳を始めるふたりです。
ブルーライトに照らされて彼女の唇を貫くピアスがきらりと光って、彼の顔の上に乗るメガネがちらっと反射するのが見えた。
「なんかさ、私のなかではバナナって割と安価で手に入る果物っていうか。フルーツのなかでは低めの位置付けだからさ、それがこんな丁重に扱われてるのが面白いんだよね」
と、佐藤ちゃんが語った意見に「なるほど」と私は少し頷く。
我が家でバナナの束が絶えず補充されていたのは健康面への配慮だけじゃなく、手ごろな値段のおかげでもあったのかもしれない。
「わかる。たかがバナナ如きにそこまでするか、って感情がどっかにあるな」と、同調したのは紡だ。
「なんてバナナに失礼な。全世界のサル科に恨まれるよ?」
「それだとヒトも入るんだけど...」
わざと入れたのです、とちゃっちく憤りながらも私は少し笑った。
カーレースのゲームをする度にバナナに引っかかって転んじゃえばいいのだ。とか思っているので、実際に私は完全にバナナの味方だ。
ついでに「ヒトじゃなくてホモ・サピエンスね」と追加するのが春咲れんげ流です。
「バナナは接地面から腐って黒ずんでいくから、こうやって吊るすと鮮度を保てるんだよ」
「へえ、それは初めて知ったかも」
「なるほど、一応そういう合理的理由はあるのか」
どこかで拾い見て微かに覚えていた豆知識を引っ張り出してきて披露し、佐藤ちゃんを驚かせてひとまず紡も納得させる。
でも正直な話、家に居た時にはこんなこと全く気にしていなかった。バナナは束で吊るされているのが当たり前だったし、もはや見慣れ過ぎて風景の一部と化したというか。
「でもさ、ちょっと首吊りみたいにも見えて不気味だよね」
続けて彼女がこぼした感想に、私はもう一度スマホに表示された写真を見た。
たしかに、そういう風にも見える。
正直好きな感性だなあと思いながらも、春咲れんげの口はまた動いている。
「今思いついたんだけどさ。このさ、蔦みたいな部分を人間の腕にして、指にバナナをひっかける...みたいなやつがあったら面白くない?」
考えると同時に喋る。気軽にぽんと自分なりの感想を投げられるのは正直心地よかった。
「うわあ、それいい!私が作ってそう、というか作りたい」
「それめっちゃいいな」
そして何気なく投げたものが肯定されて共感してもらえるのは、更に。
「私が作ってそう」と言い放った佐藤翼は粘土愛好家で、陶芸部に所属している。紡も紡で作品作りをしている人だった。
春咲れんげは自分なりの世界観を持っている人が好きなのだ。と、何故か自分で自分が誇らしくなってしまう。これってつまり同期愛?
それからは、バナナスタンドの存在意義にまだ懐疑的な紡に「誕生日にプレゼントしてやろうか」と冗談で言ってみたり。
予想外に「でもそれ嬉しいかも」と返されたり。確かに、自分じゃ絶対に買わないけど貰ったら使えるものがプレゼントには一番いいよねって笑いあったり。
「そもそも誕生日いつなの?」と訊いたらまさかの三人全員が同じ十月生まれで盛り上がったり。
そろそろ帰ろうか、とやっと重い腰を上げた頃には22:00を回っていて。駅に向かいながらも、どこか解散を先延ばしにするように自然とコンビニに寄った。
ここは別に地元というわけでもなくて、三人とも家に帰るのだって時間はかかるのに。学生のノリって不思議な魔力だ。
でも恐らく、私と佐藤ちゃんだけではこうはならなかっただろうなとも思う。男の人がいるというだけで安心できる何かがあるんだよね、と私は紡の背中をぼんやりと眺めた。背が高いのもぐっどである。
大学生とはいえ、女子ふたりで夜の新宿を歩くのは流石に少し怖い。
そんな夜道の提灯的役割を知らずに押しつけられている白石紡くんは、コンビニで売られている個包装(いや本包装)のバナナを見つけて「あ、バナナだ!」とはしゃいで笑っている。
ひとしきりケラケラと肩を上下させた後、ふと何か重大なことに気づいたとでもいうように彼はバッと私の方を振り向いた。
「バナナスタンドってさ、最後の一本になったらどうするんだよ」
「まだ言うかそれ」
「すっかりトリコになってるねえ」
私は佐藤ちゃんと顔を見合わせて笑い合う。お酒でも呑んでるみたいに上機嫌なのが可笑しかった。私たちみんな何に酔っているんだろう。夜と非日常感だろうか。
紡は「だって引っ掛けられないじゃないか」と目を輝かせている。
「そうならないように、最初の束のときから他の房とくっついてる上の方を残すように千切るんだよ。こう、カクッとなる感じで」
説明しながら私は指で空をなぞる。ちょっと言葉で説明するのは難しいかもしれない。
「そもそもバナナって束で買うことあんまりないかも」と佐藤ちゃんが呟いた。
「うちは6人家族だからね。あっという間になくなっちゃうよ〜」
「バナナ消費が激しい春咲家概念か」
「概念じゃなくて事実だけどね」
そんな軽口を叩きながらコンビニを出て歩く、歩くあるく。そうすると、だんだんと街が都市になってゆく。
さっきまで三人で神社の石段に座っていたのが嘘みたいだった。まだ営業してるお店も多くて、ポツポツと人が立っている。
「あ、魚。死んでる」
一瞬だけ視界の端に映り込んだそれをわざわざ口に出したのは、何とも佐藤翼が好きそうな画だったからだ。
「え!どこどこ」
案の定、彼女は声を弾ませて振り返り、立ち止まった私に駆け寄ってくる。
たぶんカラスか何かが漁ったのだろう。居酒屋の前に置かれたゴミ袋が破れていて、そこから魚の頭が転がっていた。
文字通り死んだ目をした魚眼が怪しく光っている。「ホントだ」と小さく低く声を漏らして彼女は一眼レフを構えた。この暗さだ。
ストロボ発光、フラッシュがたかれる音がした。
私たち三人は、同じ大学の写真サークルに所属する同期なのでありました。
流石に生臭い匂いに耐えかねて、私は少し離れたところで佇む彼のもとへ向かう。
「やっぱり好きだと思った」と自慢げに胸を張る私に「よく見つけたね」と紡が笑っている。
彼女は少しグロテスクなものが好きだった。私は不安定なものが好きだった。彼は心情を書き起こす詩が好きだった。
「お待たせー」
「いいの撮れた?」
「撮れた撮れた、ありがとう」
「良かったねえ」
佐藤ちゃんはニコニコと微笑みながら「バナナスタンドに魚が入った袋とかひっかけるのもアリかも」と提案する。
「たしかに、吊るせるなら別にバナナじゃなくてもいいからね」と私が返す。
「そういう意味では転がしておくしかないものに居場所を与えてる感じがしていいな」と彼が同調した。
夜が深まってきていた。
新宿駅に近づくにつれ、人はどんどん多くなり、ビルは更に高く密度を増していく。控えめな喧騒と、微かなアルコールの匂い。看板を彩るネオンのライトに、私たちと同じように帰宅し始める人の流れ。
道端で嘔吐物の上に寝っ転がって気絶している美形がいて二度見したり、立体に見える巨大広告を見上げて面白がったりしているうちに駅に着いた。
駅前のロータリーにはお洒落に武装した男女とキャッチらしき人たちが大量いて、あの人たちはこの後どうするんだろうとか思いながら「ひえ治安悪」「東京の闇を見た」「怖いこわい」と三人で言い合いながら速足で間を縫って歩く。
私ひとりでは絶対にこんな時間にこんな所まで残らなかっただろうな、と改めて感慨に耽った。
それから無事に改札に入り「またね」と言い合い「じゃあね、れんげ」と手を振られて別れる。三人とも綺麗に違う路線だったけれど、何故だか満足感の方が強くて別にさみしいとは思わなかった。
それくらい、楽しい時間だった。
だってほら。電車に乗り込む私は、もう今日は何回「バナナ」という言葉を口にしたか分からないや、と上機嫌だ。
我が家、春咲家ではいつもバナナの束を買っていて、それをバナナスタンドに引っかけて吊るしていた。
それでも時間が経てば少しずつ斑点が出るように黒ずんで熟れていくものだ。適度に熟れたものは柔らかく甘くって美味しいのだけれども、それも行き過ぎるとそのまま食べるのは気が引ける。
数ヶ月に一度ほどの頻度で、そうやって誰も手をつけずに皮が真っ黒になったバナナが二、三本残ることがあった。
そうなると、決まっていつも母がバナナケーキを作ってくれるのだ。
バナナを潰して小麦粉や諸々の材料と混ぜて、パウンド型に入れてオーブンで焼きあげる。すると、なんとも言えない素朴に甘い香りが広がっていく。
出来立てはもちろん美味しい。あたたかくって、充分に熟れたバナナの欠片がとろっとしてて、口の中をねっとり舐めるように砂糖とは違う甘味を残していく。
時間が経って冷えても美味しい。自重で凝縮されたバナナケーキには味がしっとりと染み込んでいて、もっと濃厚にバナナを感じられる。
どちらにしろ、牛乳と一緒だと更にしあわせ。
母がつくるバナナケーキが大好きだった私は、バナナが黒くなってくるとわざと手を付けないこともあるくらいだった。まだかな、もう少しかかるかな、とワクワクしながら眺めていたのを覚えている。
今から私が帰る場所には家族がいない。
上京して3ヶ月経つけれど、どうしても独りはさみしくって、それを埋めるように友達と過ごしている。そんな日々のなかでも、今日は久々にすごく楽しくて何度も笑った。
だからありがとう、バナナスタンド。とか思いながら吊り革を掴んで揺らす。
十月になったら、彼女と一緒にバナナスタンドを買おう。それを彼にプレゼントしちゃおう。有言実行だ。
大丈夫、まだ寂しくない。私は自分に言い聞かせてみた。ひとり暮らしを始めてから、楽しい時間の後には反動があることを知った。最寄駅に着く頃にはちょっぴりブルーかな。どうだろ。
バナナケーキが食べたくなった。




