アイを紡ぐは夢の中
そこは真っ白い世界だった。
全てが真っ白い、混沌とした場所であった。
そこには何かわからない、作りかけ、壊れかけの物たちが、散らばっていた。
それらの物はあやふやで、はっきりとしていなかった。
そこには何もいなかった。
けれどある時、アイが生まれた。
アイはその眼で世界を見た。
その眼に映る物たちは、作りかけ、壊れかけの物から、意味ある物と変化した。
相も変わらず、世界は白いままだけど、世界は意味を持ったのだ。
アイは世界を見回した。
世界は白いままだけど、アイの眼に映った物は何かしら意味を持つことになったのだ。
アイが座れば椅子になり、アイが開けば扉になった。
そうして開けた扉の先に、色彩のある世界があった。
アイは世界へ踏み出した。
そこは先ほどアイがいた白い世界と同じように、まだあやふやな世界だった。
けれどそこには色がある。
アイは世界の鮮やかさ、白い世界にはない良さを知った。
そこに一人の少年が現れた。
「あなたはだあれ?」
アイが聞いた。
「僕はビル。君はアイだね。僕に無いもの」
そう、ビルは答えた。
ビルの言うことがわからずに、アイは戸惑った。
「どういうことよ」
「さあ、僕にもわからないよ。ただ僕には無いものだということがわかるだけ」
「それなら、わたしには何があるというの」
アイがそう考えた時、後ろから肩を叩かれた。
「アイには俺がついている、ということさ」
アイが振り返ると、快活そうな青年が立っていた。
「俺はヴォルフ。よろしくな、アイ、ビル」
ヴォルフはそういうと、アイの肩を置いた手でポンポンと叩いて笑った。
アイは目の前の二人を見比べた。
ビルは黒い髪に黒い瞳、白い服を着た少年だ。
彼は、自分には何も無いと言っている。
ヴォルフははねた茶髪に面白そうにこちらを見る目をしている。
アイやビルは彼の胸くらいまでの高さしかないくらい、ヴォルフは身長が高かった。
さて、これからどうしたものだろうか。
アイがそう考えた時、ヴォルフがアイのを引いて言った。
「とりあえず、この世界を見て回ろうぜ。何があるのか、ワクワクしないか?」
アイはヴォルフに引っ張られるままに、歩き出した。
確かに、世界がどうなっているのか気になっていたのだ。
ビルは二人の後を影のようについて行った。
その世界は、一面が草原のようになっていた。
ところどころに小さな花が咲いている。
風に吹かれると、その花たちはアイに手を振るようにゆれていた。
はるか遠くの地平線を切るように、青い山々が連なっていた。
空は高く青くすんでいて、どこまでも飛んで行けそうな世界であった。
三人はしばらく歩き続けていたが、草原はどこまでも続き、地平線の山々も変わらずにあるように見えた。
「この草原はどこまで続くのかしらね」
アイは思わずつぶやいた。
「さあな。行ってみればわかるんじゃないか」
「僕には何もわからない」
ヴォルフとビルはそうとしか答えず、アイの疑問に答えてくれる者はなかった。
「さすがに歩き疲れたわ。どこかに座りたい」
アイがそう言うと、目の前に三つの切り株が現れた。
それはとつぜん現れたので、アイはとてもおどろいてしまった。
ビルはアイの服のすそをつかんだ。
二人が少し警戒していると、ヴォルフは切り株を眺めまわし、そのうちの一つに座った。
「おまえらも座れよ。ちょうど休みたいって言ってただろう」
アイとビルはヴォルフにすすめららると、おそるおそる切り株に座った。
特に何かが起こるでもなく、切り株の脇芽が柔らかくゆれただけであった。
「何なのかしら、これは」
「さあ。でも危険なものではなさそうで、少し安心したよ」
アイとビルがそう話し合っている横で、ヴォルフは一人、気持ちよさそうに体を伸ばしていた。
それに対して、ビルは少し呆れた目線を送っていた。
その時、ヴォルフが何かに気がついてようで、いきなり立ち上がった。
「誰か来る」
ヴォルフはアイとビルを背にして、何者かが来る方をじっと見つめていた。
アイとビルにはヴォルフの背中しか見えなかった。
「こんばんは。いいお天気ですね」
やって来た人物は、ヴォルフに向かってそう言った。
「おまえは誰だ」
「私はノリッジ。貴方と同じく、アイさんと共にある者ですよ」
ノリッジはそう言うと、優雅におじぎした。
ヴォルフはまだ彼を見つめたままだった。
アイがしびれを切らしてヴォルフの後ろから顔を出した。
「おいっ」
ヴォルフが止めるのも構わず、アイはノリッジを見た。
彼はヴォルフと同じくらい背の高い青年だった。
藍色の燕尾服を着て、手には革張りの本を持っている。
ヴォルフに比べると細身であり、顔も優しげだった。
藍色の前髪の先が、銀縁のメガネの上で遊んでいた。
「はじめまして、アイです」
「はじめまして、アイさん。私はノリッジと申します。あなたの疑問には、私がお答えできると思いますよ」
アイとノリッジがあいさつを交わしている間、ヴォルフは腕を組んで見守っていた。
ビルの方は、その後ろから黒い目でじっと三人を見つめている。
辺りはいつのまにか、夜になっていた。
四人は切り株に座り直した。
ノリッジの座っているものは、さも当たり前のようにそこに現れていた。
それについて、アイやビルは少し目を見張ったものの、何も言わなかった。
全員が座るのを見届けると、早速ヴォルフが口を開いた。
「おまえは一体、何なんだ?」
ヴォルフの口調にはどこかトゲがあった。
けれどノリッジはそれを受け流すと、こう言った。
「私はアイさんから生まれた者です。アイさんの『知りたい』という思いに応えて生まれた者。ビルさんやヴォルフと同じです」
その言葉に、アイは声を上げたが、他の二人は眉を上げただけだった。
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよ。アイさん、あなたがいるから私たちは存在するのです。この草原も、あそこの山々も、この切り株もそうです。あなたが『それがあってほしい』と思ったから生まれたのですよ」
そう言われても、アイには実感が湧かなかった。
自分が世界を作っている。
そんな話をされたところで、信じられなかった。
「おまえはそう思っているかもしれないけど、俺やビルまでそうだと、おまえに何故わかるんだ」
ヴォルフが低い声で言った。
「それがこの世の理だからです。この世界はアイさんの世界です。彼女の思いによって全てが造られる。私は彼女の『知りたい』に応えるために生まれたので、この世界で起きたことについては何でも知っています」
「俺自身が知らない、俺のこともか」
「ええ」
ヴォルフはノリッジの話を聞くと、そのまま黙り込んでしまった。
アイはじっと考え込んでいた。
この世界は自分が造った世界だなんて、やはり信じられなかった。
けれど、疲れて座りたいと思えば切り株が現れ、この世界について多くの疑問が出てきたらノリッジに出会った。
確かにつじつまは合う。
アイはノリッジの言うことを信じてみることにした。
「そうです。それでいいのですよ」
ノリッジがアイの心を見透かしたように言った。
彼にはアイの心の変化が全て見えているらしい。
アイはぎこちなく微笑んだ。
「俺はちょっとそこら辺を見て回ってくるから、アイはコイツから知りたいことを聞いておけよ」
ヴォルフは立ち上がると、そう言って去っていった。
急なことだったので、アイが止める暇もなかった。
ノリッジはヴォルフを静かに見送っていた。
「ヴォルフったら、急にどうしたのかしら」
「ノリッジが現れてから、ずっとイライラしていない」
アイとビルがそう言い合っていると、ノリッジが穏やかに口を開いた。
「彼はアイさんの『冒険心』ですから、起きたことを自分で体験して、おどろきながら知っていきたいのですよ。けれど私は起きたことを知識として知っているので、そこにおどろきはありません。どうしても相容れない存在なのです。それを感じて、あのような態度になっているのでしょう」
ノリッジの言葉を受けて、ビルは不思議そうだった。
「相容れないにしては、ノリッジは淡々としているよね」
「私は何故そうなるのか知っていますから。知らずに反応するのと、知っていて制御するのでは、見え方が全くちがってくるのですよ」
「へえ、そんなものなのか」
ビルが言葉を切ると、しばらく沈黙が続いた。
空は満天の星空であった。
三人はそれぞれの思いで、星を見上げていた。
ビルは星の光とその陰を追い、ノリッジはそれらの星の名前と歴史を思い浮かべていた。
そしてアイは、この世界が自分の造ったものなら、あの星もアイ自身が造ったのかと考えていた。
アイは、その疑問をノリッジにぶつけてみることにした。
「ねえ、ノリッジ。あなたはわたしがこの世界を造ったと言っていたわね。それなら、あの星々もわたしが造ったの?わたしは『星があったらいいのに』なんて思ったことはないと思うの。それはどういうことなの?」
それを聞いたノリッジは一瞬目を見開き、やがて優しい微笑んだ。
「面白いところに気がつきましたね。アイさんの言う通り、あの星々はあなたが造ったものではありません。この世界ができた時にはすでに存在していたものです」
「なら、あの星たちはいつからあるのかしら?」
「私の得ている知識では完全なことはわかりませんが、おそらく『他の誰かが造った世界』なのではないかと思います」
ノリッジがそう答えると、アイは少し考え込んだ。
それを横目に、ビルがノリッジに質問した。
「じゃあ、アイのような存在があの星々にもいるかもしれないってことだよね。なら、ぼくみたいな存在もいるのかな」
ノリッジはビルの言葉を聞くと、持っていた本を開き、しばらく頁をパラパラとめくっていた。
やがてパタンと本を閉じると、首をふった。
「わかりませんね。アイさんのような存在がいることは確かでしょうが、ビルさんのような存在がいるかは確定できません。世界の成り立ちはそれぞれちがいます。いないとは言えませんが、いるとも言えないのです」
「そっか」
ビルはノリッジの話に短く返事をすると、アイの方を見た。
アイはまだ考え込んでいるようだった。
けれど、二人が自分に注目していることに気がつくと、あいまいに微笑んだ。
「まだ自分でもうまく言葉にできないのだけど、わたしはわたしが造った世界というものをちゃんと見たい。その上で、わたしではない別の誰かが造ったという世界も見てみたい。なんとなくだけど、そう思うの」
「それは…」
アイの言葉を聞いて、ビルは言い淀んだ。
「それは、難しいことかもしれませんよ」
ビルの言葉を受けて、ノリッジが続きを引き取って言った。
アイはうなずく。
「ええ、もちろん。簡単なことではないと思う。この世界はどこまでも続いているように見えるし、あの遠い星までどうやって行くかもわからない。それでもいつかは行って見てみたいと、そう思うの」
アイがそう言うと、ノリッジは真っ直ぐアイの目を見て言った。
「わかりました。アイさんが本気なら、私はお手伝いするだけです」
そして、ノリッジはアイの後ろを見ると付け足した。
「それに、アイさんにとってこの上ない味方も戻って来たようですよ」
アイが振り向くと、ヴォルフがこちらに戻って来たところだった。
「よお、話はまとまったみたいだな」
「聞いてたの!?」
アイがビクッとすると、ヴォルフがおかしそうに笑って首をふった。
「いや、聞いてないさ。ソイツが言ってただろう、俺はアイの『冒険心』だって。だから、アイが未知を知りたいって冒険心を起こしたら、俺にはわかるんだよ」
ヴォルフはそう言って肩をすくめた。
そして、アイのとなりで足元を見ていたビルの肩を叩いて言った。
「おまえも、こうありたいとかってのは言葉にしろよ。そうしないとアイに伝わらない。アイに伝わらなければ、それは無いのと同じなんだよ、なあ」
最後はノリッジの方を向いてヴォルフが投げかけると、ノリッジもうなずいた。
「そうですね。ここはアイさんの世界です。ビルさんもまだご自分のことを話せる時ではないのでしょうけれど、いつかはアイさんに伝えなければなりませんよ」
ビルは二人の言葉を聞くと、小さくうなずいた。
「そうだね、アイが他の星を見てみたいなら、はなさないといけないよね。自分でもはなせるように整理してみるよ」
アイは三人の話を不思議そうに、そして何を言っているのか知りたそうに聞いていた。
けれど今聞いても、ビルは話さないとわかっていた。
ビルが話さなければ、他の二人も話さないだろう。
アイはそう割り切ると、星を見上げた。
満天の星空は今も四人を照らし出している。
「さあ、そうと決まれば出発しようぜ。この世界は広いんだ。見て回るにも時間がかかるぞ」
ヴォルフがそう声をかけると、アイは振り返って元気よく返事をした。
「そうね、出発しましょう。何があるか楽しみだわ」
アイが三人のもとに駆け寄ると、彼らは地平線の山々に向かって歩いて行った。
あとに残された切り株が四つ、静かに朽ちていった。




