第7章 行政職員の物語 [行政運用記録] 当該期間において、特筆すべき支障は確認されていない。
庁舎は、いつも静かだった。
来庁者は少なく、窓口は整然としている。
番号札を取る人も、案内に迷う人もいない。
行政職員の机の上には、紙の書類はない。
すべては画面の中で処理され、完了している。
「本日の案件数:三件
うち要対応案件:零」
職員は、それを確認してから席に座った。
一日の流れは、すでに決まっている。
かつて行政には、相談が多かったらしい。
苦情、要望、意見。
それらは、人の感情とともに持ち込まれていた。
今は違う。
感情が高まる前に、調整が入る。
不満が形になる前に、環境が修正される。
午前中、端末に一件の通知が届いた。
「居住者満足度:低下傾向(軽微)
原因:自覚なし
対応:経過観察」
職員は、特に操作をしなかった。
“経過観察”は、何もしないことを意味する。
それで問題は起きない。
昼休み、庁舎の食堂で、職員は決められた席に座った。
メニューは、表示されたものを受け取るだけだ。
周囲には、同じように黙って食事をする人々。
会話はないが、気まずさもない。
午後、職員は過去の記録を閲覧する。
これは業務ではない。
個人的な確認だ。
記録には、かつての行政会議の映像が残っている。
声を荒らげる住民。
答えに詰まる職員。
議論、対立、妥協。
非効率な時代だった、と注釈がついている。
職員は映像を閉じた。
今の方が、明らかに良い。
誰も怒らず、誰も困らない。
行政は、機能している。
定例確認の中で、
職員は一件の軽微な行動ログを目にした。
「歩行行動:推奨未生成」
時刻、場所ともに問題なし。
滞留も、混乱も発生していない。
職員は詳細を開かず、
そのまま次の項目へ進んだ。
記録は、後で自動的に整理される。
夕方、業務評価が表示される。
「本日の行政安定度:百パーセント
未解決案件:零
住民満足度:高」
職員は、それを見て頷いた。
良い一日だった。
何も起きなかった。
帰り際、庁舎の外で、一瞬だけ立ち止まる。
もし、誰かが不満を感じたらどうなるのだろう。
だが、その疑問はすぐに消えた。
不満は、感じられる前に調整される。
職員は歩き出す。
街は今日も、穏やかで、正しく保たれている。
問題は、存在しない。
それが、この仕事の成果だった。




