第6章 教師の物語 [教育運用記録] 当該期間において、特筆すべき逸脱は確認されていない。
教室は、いつも予定通りに始まる。
黒板はあるが、文字はほとんど書かれない。
代わりに、壁面いっぱいに投影された学習画面が、今日の内容を示している。
「本日の到達目標
理解率:九十五パーセント以上
つまずき予測:二名」
教師は、教卓の横に立ってそれを確認した。
内容に異論はない。
変更の必要もない。
授業は、端末の音声で進む。
教師が話すのは、せいぜい始まりと終わりの挨拶くらいだ。
「では、始めましょう」
子どもたちは静かに画面を見る。
集中が途切れる子はいない。
もし兆候が出れば、個別に補正が入る。
教師は、教室を見回す。
全員が理解している。
少なくとも、そう表示されている。
かつて教師は、説明の仕方を工夫し、
分からない子の表情を読み取り、
時には寄り道をしながら授業を進めていたという。
今は違う。
寄り道は、理解率を下げる。
遠回りは、非効率だ。
休み時間、教師は職員室で端末を確認する。
「本日の指導貢献度:基準値内
介入必要度:低」
問題はない。
同僚と会話をすることは、あまりない。
話す必要がないからだ。
昼過ぎ、教師は一人の生徒に声をかけられた。
「先生」
「どうしましたか」
「これ、なんでこうなるんですか」
画面には、すでに正解と解説が表示されている。
理解率も、九十六パーセント。
教師は一瞬だけ、言葉に詰まった。
なぜ、そうなるのか。
答えは、画面に書いてある。
それ以上の説明は、必要ない。
「そういう仕組みだからです」
生徒は頷いた。
それで十分だった。
放課後、教師は教室に一人残った。
机は整列し、床にゴミはない。
ふと、昔の記憶がよぎる。
正解よりも先に、手を挙げた子。
見当違いの答え。
笑い声。
今は、間違いが起きない。
間違いは、その前に修正される。
端末が、今日の総括を表示する。
「本日の学習成果:良好
予定逸脱:なし」
教師は、それを見て頷いた。
良い授業だった。
何も問題はなかった。
教室の電気を消し、扉を閉める。
廊下は静かで、足音が響く。
教師は思う。
自分は今日、何を教えただろうか。
だが、その問いに答えを出す必要はない。
成果は、すでに数値で示されている。
下校時、校門の外で、
生徒の一人が何気なく言った。
「さっきね、川のところで、
ずっと歩いてる人がいたよ」
「散歩じゃない?」
教師がそう返すと、
生徒は少し考えてから言った。
「うん……でも、
どこにも行ってない感じだった」
教師は笑って、
「気のせいだよ」と言った。
それ以上、この話題が出ることはなかった。
教師は校舎を後にした。
街は今日も、正しく、滞りなく動いている。




