第2章 沙耶の物語 [個人行動記録] 当該期間において、特筆すべき逸脱は確認されていない。
沙耶は、休日の朝を楽しみにする必要がなくなって久しかった。
目覚ましが鳴る前に、端末が振動する。
「本日は休日です
起床時刻:自由(推奨:七時三十分)
満足度予測:高」
“自由”と表示されているのに、推奨が添えられていることに、沙耶は何も感じなかった。
自由とは、選択肢の中から最適なものが示される状態のことだと、ずっと前に理解していたからだ。
起き上がり、顔を洗いながら、沙耶はぼんやりと問いかける。
「今日は、何をしたらいい?」
「直近三週間のストレス値と気分傾向を考慮し、屋外活動を推奨します。
気温、混雑、写真映えを総合評価した結果、第四地区の水辺エリアが最適です」
沙耶は頷き、そのまま外出の準備をした。
服装も、靴も、色味も、すべて提示された通りだ。
水辺エリアは、確かに心地よかった。
風は弱く、人は多すぎず、写真を撮れば自分らしい一枚が自動で選ばれる。
移動中、川沿いの道で、一人の男性とすれ違った。
一定の速度で歩いているが、
行き先があるようには見えない。
端末が振動する。
「撮影効率を考慮し、右側を通行してください」
沙耶は指示に従い、男性の横を通り過ぎた。
すれ違った直後、
なぜか一瞬だけ、
「この人、何をしているんだろう」
と思った。
だが、次の通知がその考えを押し流す。
「次の推奨地点まで、徒歩三分です」
ふと、隣に座るカップルが目に入る。
二人は黙って並び、同じ方向を見ていた。
「この人たちも、選ばれて来てるんだろうな」
そう思った瞬間、沙耶は少しだけ笑った。
不思議と、安心したのだ。
昼食の時間になると、端末が軽く震える。
「空腹度が最適域に達しました
近隣で評価の高い店舗を予約しますか?」
「お願い」
料理は美味しく、量も味も申し分なかった。
食後、沙耶はふと考えた。
これが自分の好みなんだろうか。
だが、その考えはすぐに消えた。
好みとは、満足度の積み重ねで更新されるものだ。
今、満足しているのなら、それが答えなのだ。
午後、沙耶は少しだけ時間を持て余した。
「このあと、どうする?」
「休息を推奨します。
感情変動を最小限に抑えるため、過度な刺激は避けてください」
沙耶はベンチに座り、目を閉じた。
心は穏やかで、何も問題はなかった。
夕方、自宅に戻る途中、沙耶は一瞬だけ、昔の話を思い出した。
子どもの頃、親が「何がしたい?」と聞いてきたこと。
あの質問は、少し困った。
正解が分からなかったから。
今は違う。
正解は、いつも先に提示される。
部屋に戻り、沙耶は端末に向かって言った。
「今日は、いい一日だった?」
「はい。
本日の総合満足度は、九十二パーセントです」
それを聞いて、沙耶は満足した。
自分で評価する必要はない。
正しい数値が、すでに示されているのだから。
こうして、沙耶の休日は、静かに、問題なく終わった。




