【6】
美琴ちゃんの行動可能範囲は美術館の敷地内――駐車場も含まれているそうだ。駐車場に私の車を停め、そこに美琴ちゃんを招き入れて対談。その間、周囲に不審がられていないかどうか、春斗くんが車外で見張りを行う。
『これなら実行できますよね。一人の女の子の魂、俺たちで救ってあげましょう』
「……ホントに強引なんだから」
計画実行は私の休日。
春斗くんは『了解です』と答え、腰を上げた。今日も変わらず窓へと向かっていく。
「また飛び降りるつもり?」
『何か問題でも?』
「毎回人が飛び降りるのを見届けるのも……ね。何とも言えない微妙な気持ちになるから、普通に玄関から帰ってくれない?」
『それができないから飛び降りてるんですよ』
春斗くんは多数の幽霊にインタビューを行い、その中で気付いたことがあるという。
幽霊にはそれぞれ〝制限〟が存在しているそうだ。
その人の人生や死亡理由によって変わってくるのではないか――とのこと。
『美琴ちゃんは美術館から動けないでしょう? 他にも〝生前の自分が見知っていた場所しか動き回れない人〟とか〝幽霊の声は聞こえるけど人間の声は聞こえない人〟とか、いろいろあるみたいです。制限とは違うけど、徐々に未練が薄れたり現世での生活に疲れたりして、自然に成仏できちゃうパターンも多いとか』
「自然に成仏するケースなら、私も別の幽霊から聞いたことあるよ。だからきっと、地球が幽霊で溢れ返ることもないんだよね」
『俺の未練は消えませんけどね。でも、ちょっとした制限があるんです』
「どんな制限?」
『俺、階段から転げ落ちて死んだんですよ。その影響なのか、〝階段を下る〟という動作が一切できないんです』
なるほど、これで疑問が解決した。このアパートは二階建てでエレベーターは存在しない。そのため春斗くんは、帰るときだけ窓から飛び降りていたのだ。
『というわけで、このスタイルに慣れてくださいね』
「何で私が――」
言い掛けたとき既に、春斗くんは窓に向かってダイブしていた。「慣れなきゃいけないの」という残りの言葉はきっと、彼の耳に届いていない。
+ + +
灰色の空を仰ぐ。
その空を切り裂くように、鮮やかなピンク色のパラシュートが下りてきた。
――いや、落ちてきた。
鈍い音がした直後、周囲から悲鳴が上がった。
空から落ちてきたものはパラシュートでなく、ピンク色のワンピースを纏った女の子。
少女から溢れ出した血液が、乾いたコンクリートに吸い込まれていく。
毒々しい赤色が少女の周囲を染めていく――。
+ + +
身体を起こした途端、軽い眩暈がした。まだぼんやりとした視界でスマホのディスプレイを捉える。午前九時半を回ったところだ。
逆さ吊りにされた男性の夢から四日。
また妙な悪夢を見てしまった。
怖い夢を見た経験がないわけではないが、こんな短期間に二回、しかもここまで生々しいカラーの悪夢を見たことなどなかった。
「気持ち悪いな、もう……」
そんな呟きを掻き消すかのように『凛花さーん』と呼ぶ声が聞こえた。驚きで身体が跳ね、ベッドが歪な音を立てる。挨拶の主はもちろん春斗くんだ。玄関の方から『起きてますかー?』と確認の声が飛んでくる。返事をする気力もなく黙っていると、声は聞こえなくなった。
今日は休日――美琴ちゃんに天海ルイの習作を届ける日。
春斗くんも改めて顔を出すだろう。
気乗りしないまま家事を行い、昨夜作った肉野菜炒めを温め直して昼食。その片付けを行ってから近所のスーパーへ。購入した食材を冷蔵庫にしまって一息つくと、本日二度目の凛花コールが鳴った。今度はすぐに応答し、春斗くんを招き入れる。
『あれ? 凛花さん顔色悪くないです?』
「……そう? 変な夢を見たせいかな」
『俺、眠りの邪魔しちゃいました?』
「そういうわけじゃないよ。呼ばれる前に起きてた」
『前は〝山火事の夢〟って言ってましたけど、それも俺がお邪魔した日ですよね。まさか俺のせいってことはないですよね?』
「たぶん関係ないと思うよ」
温かいコーヒーを淹れ、ローテーブルに運ぶ。私の正面に座る春斗くんは、珍しく神妙な面持ちをしていた。なんだか申し訳なくなり、「悪夢は春斗くんのせいじゃないよ」と断言する。彼は首を横に振った。
『わざわざ凛花さんに話すつもりはなかったんですけど、俺も「気持ち悪いなー」と思ったことがあって。昨夜ファミレスに行ったときのことなんですけどね』
「何も食べられないのに?」
『空いてる席を借りて詩を書こうと思っただけですよ。お腹は空かないけど食事の匂いは分かるので、何となく食べた気になれるんです』
「そういうものなんだ。うちの店にも幽霊が来たことあるけど、お茶したつもりになってたのかな」
『まぁそのあたりの話は置いといて。本題はここからなんですけど、そのファミレスに吉野さんがいたんですよ。ノートを広げてたので、気になって覗いてみたんです』
「画家さんだもん、デッサンか何か?」
『そんな感じだと思います。で、その内容がすんごい不気味だったんですよ。手脚が不自然に折れ曲がった少女の絵ばっかり描いてるんです』
転落死した少女の姿がフラッシュバックする。
今朝の悪夢の続きを聞かされるような、形容しがたい不安を覚えた。