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【Case1】病死したアイドル画家の謎
「――こんな時間に歌詞をお披露目?」
抗議の意を込めて春斗くんを見上げた。
金曜、午後九時過ぎ。
突然『お邪魔しまーす』と聞こえたかと思うと、彼が玄関のドアをすり抜けて侵入してきたのだ。
「私が返事をする前に入ってこないでよ。他人の家に勝手に上がり込むなんて、生きてたらありえないことでしょ?」
『俺たちは他人じゃなくて、未来の歌い手とプロデューサーでしょう?』
「また勝手なこと言ってる。私の心は一ミリも動いてないよ」
『まぁ作詞も全然動いてないんですけどね。その気になったらいつでも言ってください』
絶対にならない、と繰り返し言ったところで無駄だろう。
今夜もローテーブルを挟み、彼と向かい合った。
「歌詞が完成してないなら何しに来たの?」
『ちょっと訊きたいことが。凛花さん、出身もこのあたりなんですか?』
「生まれも育ちもここ、愛知県岡崎市だけど」
『なら良かった。歌詞に地元ネタを盛り込みたいんですけど、先日お伝えしたとおり俺のスマホは使えないので。インタビューしたいんです』
「……そのくらいなら協力してもいいよ」
『決まりですね。これを機に岡崎について学ばなくちゃ』
「春斗くんは岡崎生まれじゃないの?」
『大学の都合で引っ越してきたんですよ。出身は神奈川です』
春斗くんは肩に掛けているボディバッグを下ろした。
ちなみに彼の服装は、半袖の黒いTシャツにジーンズというカジュアルなもの。バッグ含め、彼が死亡する直前に着用していたものだろう。
「その格好で歩き回っても寒くはないんだよね? 今、一月半ばだけど」
『平気ですよ。夏場も全然暑くなかったです』
「今まで絡んできた幽霊にも同じ質問をしたことあるんだけど、現世の影響を受けないのはみんな同じなんだね」
『結構便利ですよ、この身体。すごい軽くなった感じもして』
話しながら、春斗くんはバッグの中身を取り出した。テーブルに広げられたのはノートとペンケース。
『凛花さんが「岡崎と言えばコレ」と思うもの、いくつか教えてくれません? 創作のヒントになる情報があるかもしれないので』
岡崎の有名ポイントを思い浮かべてみた。
観光で言えば岡崎城。
岡崎公園の桜。
家康行列に花火大会。
道の駅藤川宿。
名物なら八丁味噌……。
「うちの近くにある東公園もいいよね。行ったことある?」
『前を通ったことなら何度もありますよ。入ったことはないけど』
「奥まで行くと動物がたくさんいるよ。入場無料で、小さい頃はよく行ったな」
なるほど、と頷きながら春斗くんはメモを取った。お祭りなど時期的に不可能なものは除き、自分の脚で出向いてみるとのことだ。
『次は凛花さんのことを聞かせてください。好きな食べ物とか趣味とか、簡単な自己紹介でいいです』
「それも歌詞に組み込むの?」
『インスピレーションが湧けば』
「私の好みを詰め込んで機嫌を取って、さっさと歌わせようと思ったら大間違いだよ? 感動なんてそう簡単に生まれないからね」
『まったくもう。嫌味ったらしい人ですね』
「……どの口がそれを言う」
『王子のデビュー作を独占できるんだから、もっと嬉しそうにしてください』
「……理想の王子様とは程遠いワガママ王子だったもん。全然嬉しくない」
『仕方ないなぁ、表現を変えてあげますよ。歌詞関係なく凛花さんのことを知りたいので、いろいろ教えてくださーい』
「……趣味はジョギングかな」
昔から走るのが好きで、小学校から高校まで陸上部だった。社会人になってからもマラソンイベントに出場。仕事の日は一キロ、休日は五キロ、コースを決めてほぼ毎日ジョギングしている。
『すごいですね。俺は運動オンチで……。中・高と美術部でした』
「音楽やってたわけじゃないんだ」
『大学に入ってから作曲に興味を持って細々と。歌詞は一度も書いたことないんです。国語が得意じゃないのもあって』
「それでよく『振り向かせる』なんて豪語できたね。美術部ではどんな作品を作ってたの?」
『印象派の絵画が好きで、風景画を描くことが多かったですね。現代美術だと天海ルイの絵も好きです』
天海ルイ。
その名前なら美術に疎い私も知っている。
数年前〝イケメンすぎる画家〟として話題になっていたからだ。
天海ルイは二十六歳でテレビ出演したことを機に、一躍有名人となった。幻想的な風景画をメインとした創作で、一枚の絵に百万単位の値がつくこともあったらしい。「淡い光で人の心を癒したい」と語り、主に女性ファンから〝ルイ様〟と呼ばれていた。
私が知っている情報はこのくらいで、別段興味があったわけではない。しかし唯一、彼に関するニュースで目を引いたものがある。
「天海ルイ、亡くなったよね」
『ですね。二年くらい前……くも膜下出血で』