【3】
「私じゃなくて機械音声の歌……ボーカロイドじゃ駄目なの?」
『凛花さんが俺の代わりにパソコンと必要ソフトを揃えて、使い方も勉強してくれるなら』
「……勘弁してよ」
『俺としては生身の人間に命を吹き込んでほしいですね。あわよくばレコード会社から声が掛かって歌手デビューできたら最高だよなー、なんて思ってました』
「歌手デビューどころか『ヘタクソ消えろ』とか誹謗中傷される可能性もあるじゃん。自分の夢でもないのに変なリスクを背負いたくないよ。私は絶対に歌わない」
きっぱり断言する。
憧れの王子様スマイルから一転、春斗くんは面倒くさそうに息を吐いた。
『困ってる人を平気で突き放すんですねー。凛花さんってそんな冷たい人だったんだー。がっかりー』
「何なの、その嫌味」
『俺はこのまま永遠に現世を彷徨うハメになるんだろうなー。ボランティア精神が微塵もない凛花さんのせいで』
「……感じ悪。これだから幽霊は面倒くさいんだよね。再会しなければ王子のままだったのに」
『王子?』
しまった、つい秘密の呼び名を口に出してしまった。
言ってしまったものは戻らない。
春斗くんはにやりと唇を歪めた。意地悪な笑みを浮かべたままローテーブルを回り込み、私の隣に座り直す。相手が何の気配もない幽霊とはいえ、あまり接近されると恥ずかしい。
『凛花さん、俺のことを〝王子〟なんてキラキラしたあだ名で呼んでたんですね。実は俺に片想いしてた?』
「片想いなんて大袈裟な感情じゃないけど」
『俺に好意があったなんて意外です。こうして仲良くなったことですし、俺のこともいろいろ教えてあげますね』
「仲良くなってないし知らなくていい。もう帰ってよ」
『戸籍が抹消されてるので帰る家はないですね。俺の住んでた部屋は空室になってますし、凛花さんがお願いを聞いてくれるまでもう一回住もうかな? 俺の歌で毎日モーニングコールしてあげますよ』
……イケメンなのは外見だけで、中身は全然イケメンじゃなかった。この人は優しく包容力のある王子様でなく、図々しくて強引なワガママ王子だ。
『俺が丁寧に凛花さんをプロデュースしますから。一生のお願いです』
「一生も何も、春斗くんはもう一生を終えて死んじゃってるでしょ」
『歌のお礼に王子からのハグでもあげましょうか? 触れられないので形だけになっちゃいますけど』
「要りません」
『…………あーあ、ホントつまんない子。もういいや』
春斗くんは壁をすり抜け、隣の部屋へ移動していった。
これまで接した幽霊いわく、彼らはどんな物でもすり抜けることができるらしい。しかしそれは「すり抜けるぞ!」という意志を持ってぶつかるから可能なことだと証言を得ている。たとえば〝椅子に座ろうとしたらすり抜けて尻もちをついてしまう〟ということはないそうだ。
ただし〝物や人間に触れている〟という感触はなく、動かすこともできない。仮に触れることができたなら、私は酷い目に遭っていただろう。幽霊を自宅に招くこともなかった。
無事ワガママ王子が去ってくれたことに胸を撫で下ろした――のも束の間。再び壁をすり抜けて春斗くんが戻ってきた。
『凛花さん、俺にチャンスをくれませんか?』
「……チャンス?」
『歌詞には自分の想いを込めたいと思ってたんですけど、やめます。凛花さんのために書きますよ』
「どういう意味?」
『凛花さんの心にグサッと突き刺さる歌詞。凛花さんが「感動した!」と拍手してくれるほどの歌詞ができたら、俺と一緒に歌の練習をしてくれませんか?』
「……素晴らしい歌詞で私の心を動かしてみせると?」
突如、春斗くんがぐいっと顔を寄せてきた。
力強い瞳の中に、自分の姿が小さく映り込んで見える。
「……何? そんな近付かないでよ」
『どう足掻いても指一本触れられない関係なんだから、このくらい距離を詰めてもいいでしょう? 凛花さんにとっての俺、王子ですもんねー』
「……それをネタにするの、もうやめてくれない?」
『そう言われるともっとイジりたくなるって知ってました?』
「……性格ねじ曲がってるね」
『なんとでも言ってください。ハートをがっちり掴む歌詞を書きますから。凛花さんのこと、必ず振り向かせてみせます』
セリフだけなら格好いいのに。
これだけでクラッと心が傾いてしまいそうなのに。
図々しいワガママ王子だと知ってしまったから――。
「私の心は動かないと思うけど。完成したら読んであげてもいいよ」
『へぇ、随分と上から目線で来ましたね。あとで「王子に惚れちゃいました」って言わせますから、覚悟しておいてください』
キリッとした面持ちから一転、春斗くんの表情が美麗な笑みへと変わった。
……歌い手デビューすることは絶対にないが。
彼がどんな歌詞を持ってくるのか、楽しみにしていよう。