【24】
「あのまま天海ルイとして生きていたら、オレは偽りのキャラクターを強要され続け、好きなものを創ることができなかった。ある意味、死んで良かったのかもしれねーな」
そんなの悲しすぎる――なんて、情に流されたら駄目だった。天海ルイは幽霊を次々と殺害し、吉野さんの身体を乗っ取っているのだ。境遇は不憫だと思うが、幽霊を傷付けたり、他人の人生を奪ったりしていい理由にはならない。
それに、心臓の提供者を待っていた吉野さんやその家族は、感謝の気持ちでいっぱいだったはずだ。彼らのことを思うと居たたまれない。
「……辛いとは思います。でもやっぱり、その身体は吉野さんのものなんですから。返してあげるべきじゃないですか?」
「この身体はオレのモンになったんだ。オレの想いを上回るほど強い想いが吉野に存在しない以上、再び逆転させることはできない。――さて」
カタ、と鉛筆が下ろされる。
さっきから何を描いているのだろうと思っていたが、天海ルイが見せてくれたスケッチブックには男性の頭部が描かれていた。
「次の作品は生首をベースにしたいんだが、近場でモデルが捕まらなくて、少し足を延ばさないといけないと思ってたんだ。いいモデルが来てくれて助かったぜ」
背筋に冷たいものが走った。
天海ルイは春斗くんの身体を利用するつもりだ。
春斗くんもそう察したようで、座ったまま後ずさりした。
『あんた、凛花さんのツレには手を出さないと言ったくせに』
「そのつもりだったさ。だが、お前を消すのが凛花のためなんでね」
立ち上がった春斗くんが後方へ下がる。私も慌てて立ち上がり、春斗くんを庇うように少し腕を広げた。
「目を覚ませ、凛花。その男はあくまで死人、オレたちとは違う。霊に執着していると、人間はいずれ死の世界に引きずり込まれちまうんだよ」
「……どういう意味ですか?」
「このままその霊の傍にいたら、凛花は死ぬ」
春斗くんのせいで、私の命が危険に晒されている?
まさか、そんなことが――。
「人間と霊が心を通わせることは赦されない。絶対的な壁があるんだよ」
「……仮にその話が本当だとしても、春斗くんをモデルとして渡すわけにはいきません」
「じゃあやっぱり、適当に霊を連れてくるかな」
それも嫌だ――言いたいのに言えなかった。ここで反抗的な態度を取れば、間違いなく春斗くんが危ないからだ。
「オレのやり方にケチをつけながらも結局、『友人を差し出すくらいなら見ず知らずの霊がモデルになればいい』ってことだろ? 他人の命はお構いなしじゃねーか」
「そういうわけじゃ……いえ、そういうことになってしまいますよね」
正直に答えたとき、後ろから春斗くんに呼ばれた。囁くような声で、おそらく天海ルイには届いていない。『一旦逃げましょう』という提案――頷くと、春斗くんは壁に向かってダッシュした。私もすぐに身を翻す。
直後、ドタンッという大きな音が響いた。
反射的に足を止めて振り返る。
春斗くんが壁際で倒れていた。
咄嗟に駆け寄ると同時、天海ルイの高笑いが上がる。
「春斗くんに何をしたんですか!?」
「何もしてねーよ。その霊が勝手に、壁に突っ込んだんだろ?」
春斗くんは前頭部をさすりながら上半身を起こし、壁を見上げて目を細めた。
『何で……ぶつかった……?』
壁をすり抜けることができずに激突してしまったようだ。今までそんなことは一度もなかったのに。再び天海ルイへ視線を向けると、彼は可笑しそうに唇を歪めて腰を上げた。
「この前その兄ちゃんが飛び出していったのを見て、今後の対策を練る必要があると思ったんだよ。モデルを逃がさないためにな」
「何か細工したんですか?」
「《霊魂界》っていう古いオカルト誌を参考にしたんだ。この家全体に結界を施してある」
「……結界?」
「遥か昔、人間を生贄にすることで悪霊の怒りを鎮める儀式が存在した。儀式の場となる建物から霊が逃げ出さぬよう、そして生贄となる人間が外に助けを求めぬよう、霊体や音を通さない結界が考案されたんだ。外に繋がる窓やドアを開ければ簡単に無効化することもできる。便利だろ?」