【15】
「凛花は見えるだけのようだが、オレは霊に触れることもできるんだ。オレの手を通せば、実体のない霊を現世の物に拘束することなんかもできる。だからそのへんの霊を掴まえて、こうして絵のモデルになってもらってるんだよ」
「もしかして……下に飾ってあった絵にも、全て本物のモデルが?」
「もちろん。人形と違って、霊には表情があるからいいんだ。傷を付ければ苦痛に歪む。血も流す」
その話を聞いて、春斗くんがバイト先に飛び込んできた日のことを思い出した。火傷した幽霊が倒れていたのも吉野さんの仕業だろうか。訊ねると、彼は「あの霊に会ったのか」と言いながら振り返った。
「オレが見てきた限り、霊体は人間よりずっと丈夫で痛覚が鈍いらしい。個体差もあるが、肉を抉り取るくらいしないと痛がらない奴、人間ならとっくに死んでる出血量で呼吸してる奴もいたな。消えずに持ち堪えてくれる時間が長いってのは、モデルとしては最適なんだが――」
『まさかあんた』
春斗くんが話を遮る。
吉野さんの目線が彼へと移った。
『あんたの真の目的は、幽霊をさらって殺すことなのか?』
「人聞きの悪いこと言うなよ。モデルになってもらった結果死ぬこともあるってだけだ」
『だけど、何の罪もない人たちを騙して連れ込むなんて――』
「騙してるわけじゃねーよ。ちゃんと『絵のモデルになってくれ』って声を掛けてる」
どのように誘い込んだのかはこの際関係ない。
幽霊にも〝死〟の概念があるなら、吉野さんのやっていることは〝殺人〟ではないのか。それが一番の問題点だ。
『あんた、マジで狂ってる。自分の絵のために人を殺すなんて』
「呑み込みの悪い兄ちゃんだな。オレは人間を殺してるわけじゃねーだろ? 霊は既に死んだ存在、言うなればただの物体じゃねーか。オレに言わせれば、蚊を叩き潰す方が残酷だと思うぜ? 蚊には命があるんだからな」
小馬鹿にした物言いに不快感が増す。
幽霊は〝死んだ人〟であり、自分とは全く別の存在――少し前までは私も似た考えだった。見えるからと言って深く関わりたくない、見えない人にとっては空気同然だと。
しかし、その考えは間違っていた。
不快極まりない吉野さんの発言で気付くことができた。
以前春斗くんが言っていたこと――幽霊も生きているのだということを、今は強く実感している。
天海ルイに励まされた美琴ちゃん。
女性の死を悼み、行動しようと奮起した春斗くん。
生きている人間と何も変わらない。
彼らにも〝命〟がある。
「幽霊のことを物体呼ばわりしないでください」
「ったく、何を熱くなっちゃってんのかねぇ。だから知られたくなかったんだよ」
「人を傷付けるのもやめてください」
「オレのやり方が気に入らない、人を傷付けるのは間違いだと断言するなら、今すぐ警察に通報すりゃいいんじゃねーか?」
「そんなこと……」
「立証できるはずねーよな。〝霊を殺害した罪〟なんてものも存在しない。それとも、オレの創造を阻止するために刺し殺しでもするか? オレと違って、凛花は立派な犯罪者として捕まることになるぜ?」
吉野さんは可笑しそうに語りながら黒い棒をキャンバスに走らせ、時折り顔を上げて磔にされた女性を観察し、やがて「できた」と呟いた。女性の両手首・両足首に刺さっている釘を、バールでひとつずつ外していく。
完全に解放されたら、吉野さんに頼んで彼女を手当てしてもらおう。そう思っていたが――女性の身体は、床に崩れ落ちると同時に四散してしまった。
間に合わなかった。
私がここに来なければ、彼女は助かっていたかもしれないのに。
何もできない自分に腹が立った。隣の春斗くんも『クソッ』と悪態をついている。精神的ダメージを受けている私たちと違い、吉野さんはいたって冷静だった。
「そんなにキレるなって。オレは仲間の凛花を傷付けるつもりはない。もちろん、仲間のツレにも手を出さねーよ」
こんな冷徹な人に仲間呼ばわりされなければならないなんて。
自分の体質が嫌になる。
しかし今は、この場を去りたい気持ちの方が大きかった。私よりも、幽霊である春斗くんの方が嫌な思いをしているだろうから。
「……帰ります」
「やはり凛花には、オレの芸術を理解できなかったみたいだな。幽霊男なんかに依存してたら人生もったいないぜ? ちゃんとした人間と付き合えるよう頑張れよ」
ギリ、と奥歯を噛んだ。
これには反論せずにいられない。
しかし私が言葉を発する前に、春斗くんの方が『ふざけるな!』と声を荒げた。こんなに感情的になる彼を見るのは初めてだ。
『俺が自分の意思で凛花さんの傍にいるんだ。部外者は黙ってろ』
「ハハッ、姫様を助けるナイトのつもりか? イケメンは何をやっても様になるねぇ」
『あんたのやってること、見逃すつもりはないからな』
吐き捨てるように言った春斗くんは壁際へ駆け寄った。私の部屋から帰るときと同じように、窓をすり抜けて飛び出していく。吉野さんは呆気に取られた様子で窓を見つめていたが、ふっと息を漏らした。
「短気な奴。あんな霊のどこがいいんだ? やっぱり顔か?」
「……確かに彼は美形ですけど、私は顔の良し悪しで付き合う人を選んだりしません」
「そりゃ良かった。オレは外見で判断する人間が大嫌いだからな」
吉野さんの言葉に応えることなく《魔界》をあとにした。