鳳凰の雛
青年は草原のなかに臥せていた。
そして時たま空へ向けて手をのばしては、まるでなにかを掴もうとするように握ってはひらきを繰り返した。遠くには蹄の音。それも一頭二頭ではなく、群集となった騎馬の地響きが伝わってきた。どこかで戦が起ころうとしているのだろう。
「そこの若いの!」
顔をあげると、百姓らしき老人がこちらを見ていた。
「今から戦が始まるらしい。劉玄徳様の軍が戦支度を始めて殺気立っている。悪いことは言わないから、早くここから立ち去った方がいい」
青年は怪訝に思い、老人に問いかけた。
「いったいどこの軍と戦うのです?」
「北の曹丞相がここ荊州の地へ攻め上ってくるのじゃ。その第一軍が、間もなくここへ来る」
「馬鹿な……多勢に無勢」
天下の曹軍百万に昇らんと聞く。それとどう対峙しようというのか。
「それがそうでもないらしい。劉皇叔には最近、恐ろしく頭の切れる男が軍師になったそうなのじゃ」
青年の顔が険しくなった。
「それは誰です?」
「諸葛孔明というらしい」
「あぁ……」
青年はたんなる溜息とも、悲嘆ともとれる声を出し、またその場に倒れこんでしまった。
「おい、どうした!」
「……臥せる龍が天に昇らんと言うに、雛はいまだ殻を破らず」
「おい! お前はいったい何を言っておるのじゃ?」
「ご老人、わたしはどういう男に見えますか?」
神妙な顔をして言う青年の言葉に、老人は少し思案気に彼の風采を見ていたが、
「何を言う。わしと同じ一本の民草。百姓じゃろう」
「あぁ……」
青年は老人の言葉を耳にするや、右腕で顔を覆ってしまった。その袖はほつれている箇所が目立ち、よくみると衣服全体がぼろぼろに破けていた。
「なんだ、百姓じゃないのか」
「……いえ、わたしも百姓の一人です」
その事実を認めないわけにはいかなかった。彼はまだ何者にもなっていなかったのだから。
「じゃあお前さんも早いとこ、避難するんだぞ。わしらは先に行っているから」
そう言ってどこかへ消えた老人の声を朧げに聞きながら、青年は空高く舞う鳳の幻像をみていた。彼にしか見えていないその幻に、さっきから手をのばしていたのだ。
できれば現代風に書きたかったのですが、アイデアが浮かばず、とりあえずこのような形で残しておくことにしました。